今日は石川県立歴史博物館で開催された「近世初期の前田家と能登」に参加してきました。
「織豊政権の北国支配-本能寺の変から北国国分まで-」
最初は三重大学教授の藤田達生氏による講演でした。藤田氏は織豊期を専門に、織田氏や藤堂氏の著作が多く、本日も織田信長から羽柴秀吉に至る経緯の中で、公儀がどこにあったのか、北国の勢力や合戦もこの公儀とは無関係ではない、という話がありました。
信長は官位に興味はなかったとか、清洲会議で秀吉の世になったとか、小牧・長久手合戦では家康が勝ったとか、北条征伐で天下統一されたとか、よく聞く話は当時の公儀を考えれば全くのでたらめであるという説得力ある話でした。10年後には学校の教科書もまた変わっているかも?
「前田氏の領主支配と長氏」
2人目は金沢学院大学教授の見瀬和雄氏。能登鹿島半郡を領有することになった長氏の歴史を説明しました。聞き取りづらく眠くなる話し方になんとか最後まで我慢。
「能登武士団としての長氏家臣団」
午後になり、3人目は金沢城調査研究所副所長の木越隆三氏による講演。長氏は加賀前田家にあっては地元採用組であり、加賀八家の一家でもあったのだけど、領有していた鹿島半郡は三代利常が始めた改作法の例外とされていたこと、鹿島半郡は31000石に換算されていたけど実際は20000石ほどで応分以上の軍役を課されても在地領有にこだわったこと、など興味ある話が多くありました。
最後にパネルディスカッションが開かれ、藤田氏の持論披露会みたいになったものの、本能寺の変が起こった天正10年6月2日に上京したのは信長が将軍を受けに行ったことに間違いないということで、専門の学者の間でも公儀を無視した議論が交わされている現状に嘆いていました。今までドラマで描かれてきたイメージがひっくり返るのも意外に早いかも!