大荒れの秋分の日となりました。今日は市内へでかけました。
最初に訪れたのは、金沢くらしの博物館。今は特別展「思い出の市電・バス」を開催中です。
自分が生まれたときには既に廃線となっていた金沢市内の市電ですので、「思い出」は何もないのですが、この町をどのように電車が走っていたのか以前より興味がありました。会場には征服や切符などとともに、当時の市電が走る様子を撮影した8ミリ(これ自体が今の人は?でしょう)が放映されていました。
北陸でも隣県の富山市や高岡市、福井市では今も市電が走っていますが、フィルムを見ると当時の金沢の道路事情はだいぶ違うようですね。線路上を市電の後ろを走る車、廃線の理由のひとつに、車が増えてきて交通事故が絶えなかったことがあるそうですが、バスを市電に置き換えると今の状況と同じような感じです。当時の人は無茶苦茶な運転していますね。
続きまして、本日より始まりました石川県立歴史博物館の秋季特別展「徳川将軍家と加賀藩 -姫君たちの輝き-」を見てきました。徳川将軍家から前田家14代のうち7人が姫をいただいているそうですが、中でも有名な3代利常正室「珠姫」、4代正室「大姫」、13代正室「溶姫」の遺品や徳川幕府に嫁いだ篤姫、和宮の遺品が展示されていました。どれもすばらしい品々でしたが、中でも篤姫の嫁入り道具は精密さでは群を抜いていますね。如何に当時の薩摩藩が力を入れた一大事業だったかがわかります。
同館の歴史スポット展示コーナーでは「加賀郡牓示札の世紀 -加茂遺跡にみる古代社会-」を開催中でした。自分は歴史スポット加賀郡牓示札は見たことありましたが、同遺跡から発見された遺物を見るのは初めてでした。ほとんどは津幡町教育委員会が持っているようですが、津幡町は埋蔵文化財センターみたいなものはないですからね。
ちなみに牓示札とは、国道のわきに立てられた地元農民の守るべきことを書いた掲示板です。江戸風にいうとお触書というやつです。写真のように立てられ、当時の農民は字が読めないので、役人が読み聞かせました。
今日は特別展を記念した講演会が隣の県立美術館ホールで開催されました。今日の一番の目的です。
徳川宗家18代当主徳川恒孝氏と前田家18代当主前田利裕氏によるご当主対談です。200名限定で14時開始なのに、12時半から整理券を配るということで時間に整理券をもらいに行きましたが、開始時点で50名ほどの人が並びましたが、朝は大荒れだった影響でしょうか?最終的には開始15分前でも少し席が残っていたようです。
さて、講演会の開始まで時間がありますので、近くを巡りました。
金沢ふるさと偉人館で開催中の「中原中也展」です。中也は当地にあった幼稚園に一年ほど通ったことがあるということで「百年ぶりにかえる」という副題が付けられています。
次にMROホールで開催中の「いのまたむつみ版画展」に行きました。テレビゲームのティルズシリーズの原画を描いたことで有名ですが、入場するために行列に並びました。入場は無料ですが、版画の即売会も同時に開催していたようで、30分並んでみたもののまだまだ入れる様子はなかったので途中で諦めました。主催していたのはどこのかの画廊でしょうが、手際が悪すぎです。
中村記念美術館の企画展「紺谷公俊展」を見てきました。紺谷公俊は生まれは金沢ではないみたいですが、金沢で画を学びました。同館所蔵の竹取物語は何度か見たことがありますが、緻密な画を書く人だと思っていました。3期に分かれていて、竹取物語は3期に展示されるようです。普段は陶器が多い展示内容なので、画ばかりが並ぶのは珍しいですね。
先に席をとってありましたので、4列目正面から見てきました。両人は日本郵船時代にご一緒だったことがよく記事になっていますが、入社でいうと前田氏が4年先輩、ただし、三菱郵船が吸収合併で日本郵船になった初年に徳川氏は入社し、前田氏は三菱郵船に勤めていたということで、実質同期ということです。日本郵船では徳川氏が定期船、前田氏がコンテナ船を担当する部署に所属していたため、一緒に仕事をしたことはないそうですが、学閥ならぬ酒閥が同社にあったそうで、酒を酌み交わす仲だったそうです。ともに名のある家を継いだ身ですから、どこかしら仲間意識があるのでしょうね。
現在の宗家は明治維新で田安家の亀之助(徳川家達)が継いだときに、天璋院(篤姫)の質素を旨とする教育を受けたため、いただきものは積み上げてある一番下に入れて、上から順に食べるしきたりがあるそうです。そうすると、まんじゅうは硬くなるのですが、現地で同じものを食べて本当は軟らかいものだということを知ったというエピソードも紹介していました。