今年の大河は「平清盛」、県内にも平家ゆかりの地がいくつもあるので今日は奥能登を訪問しました。
平時忠の墓。中央の一番大きなものが時忠の墓と伝わっています。
平時忠って誰?県内にいてもこんなもんです。時忠は清盛の後妻に入った時子、大河ドラマでは深田恭子さんが熱演していますが、その弟になります。大河ドラマでは森田剛さんが演じています。
壇ノ浦の戦いに負けた後に能登に配流となりました。
時忠が住まいとしたのが、珠洲烏川の中流にあたる則貞の地でした。バス停「則貞」から谷間へ下りていきます。
入り口には案内板が立てられています。
さあ下りていきましょう。
しばらく下りると谷間の平坦地が広がり、その一角に墓石が並んでいます。
ここには初代時忠から十一代までの墓が並んでいるようです。
囲みの中には入れませんが、それほど大きな墓石ではありません。
が、ひっそりと並べられた墓は配流された家柄を遠慮していたかのようです。
墓所のまわりを探索すると、「木戸跡」という屋敷出入口の看板がありました。
さらに探すと、「鞍干し場跡」と「経塚跡」という看板がありました。
鞍干し場跡の上に時忠の歌碑が立てられています。
そこからの眺めはなんとも長閑ではないですか。
まわりの田んぼの中でうごめく黒の塊をたくさん発見!!
よく見ると大量のおたまじゃくし。田の中央あたりには30センチ大の黒い塊が・・・・いったい何万匹いるんだろう?
谷に下りる道のりを脇道に入ると、現代の墓石を見つけました。
「則貞本家の墓」
則貞家は時忠の五男時康の家で、この地に住んだようです。姉が蕨姫で、源義経の側室になった方です。
奥能登は平家の郷として観光誘致を進めています。則貞にも、
輪島曽々木にもモニュメントが建っています。
曽々木海岸の奇岩はみどころですが、今日は荒天で海も大荒れでした。
曽々木の時國家にやってきました。時國は時忠の六男で先の時康の弟になります。慶長11年(1606)に時国村の一部が越中土方領となって二重支配を受けるようになったそうです。
二軒並ぶ時国家を、以前は「上時国家」「下時国家」(海から遠い方が上)と呼ばれていましたが、近年「下時国家」は「時国家」と改名しました。
(バス停はまだ「下時国」でしたが)
上時国家が越中土方領、時國家が加賀前田領となりました。
入り口の立派な石垣に時代を感じます。
主屋は修復整備されなんとも立派です。
中を案内していただきました。土間に隣接する大広間です。
中央にある「大茶の間」。正面上に神棚、下の奥に仏壇という江戸期の神仏習合の形態が現代でも残されています。
国指定名勝庭園となっている庭には、能登キリシマツツジが赤い花を咲かせていました。
庭園の隅に安徳天皇社が建てられており、今年の大河ドラマを機に参詣道が整備されました。
平家の家紋の描かれた絵馬を買ってきました。
上時国家は小高い山の上に主屋を構えています。
入ろうと思いましたが、修復工事中のようだったので、終わった頃にまた訪ねることにしました。
近くには琵琶法師の銅像もありましたよ。珠洲の奥には時忠ゆかりの那須神社という場所もあるようで、まだまだ平家を訪ねる旅は続きそうです。
日: 2012年5月4日
第28回大谷川鯉のぼりフェスティバルへGo!
雨降る中、予定どおり珠洲市へ向かいました。能登有料道路を使っても3時間以上はかかると思ってましたが、2時間で着きました。でも遠いなー
会場は霧雨。大雨でなくて良かったけど、鯉のぼりたちもどこか雨に濡れて元気がない。
会場は地元民の出店が並ぶ。
地元の小学生と保育園児が描いた鯉のぼりの絵画が楽しい。やはり上級生になるほど上手だ。
生徒たちが描いた鯉のぼりも楽しい。
河口に下り、見上げると風景も一段変わる。
今日は雨だったのでほとんどのイベントは中止になってしまいました。ちょっぴり残念だけど、石川二郎さんと三春千恵子さんが雨の中、歌謡ショーを行いました。
このイベントの常連だそうで、地元の方から温かい声援が送られていました。
帰りに少し天候が悪くなってきて風も吹いてきたので、鯉のぼりたちが泳ぎはじめましたよ。