企画展、前田利長生誕450年「富山様」利長を見るために富山城址公園にやって来ました。
金沢は雨でしたが、富山は曇り、その後は陽が差す時間帯もありました。同じ北陸でも違いますね。また冬がやってきました。
今日は展示解説の日でした。今回は珍しく前期と後期で展示内容が変わるようで、後期展では地元新聞報道にあった書状の展示があるようです。
参加者は20名ほどでした。それ以上では狭い展示室には入りきりませんが、金沢で同様の解説会があればもっと人が来るので、いまいち盛り上がりを感じません。金沢はやはり金沢検定の影響が大きいのでしょうね。
それはさて置き、今回の展示とても勉強になりました。藩主在位7年、その座を利常に譲り、隠居領として新川郡をもらって富山城に退いた利長ですが、まだ13歳だった利常を補佐し、実権はまだまだ利長が握っていました。
その5年間、利長は「富山様」と呼ばれました。自らの署名は「はひ」、羽柴肥前守利長の「羽」「肥」の2文字をとったようで、キムタクみたいな名乗りをこんな昔からやっていたなんて驚きです。今回富山城が少なくとも3年がかりで築城したことが判明したそうですが、そうすると完成よりわずか2年で富山城は焼失したことに・・・利長の失意は如何ばかりか?
半年ほど魚津に避難し、その後高岡に。現在有名な「高岡様」になったのです。しかし、高岡は砺波郡、隠居領とは関係のない場所に築城できたのも実権がまだあったということなのでしょうね。この頃、利常も18歳を迎え、利常が病を得たこともあり、政治からは退いたようです。いやー!利長深いですね。
先日来た時は修築中だった天守台まわりの石垣は完成し、
移築された千歳門横の石垣とともに、富山城の趣を深めていますね。