今日は一日「尾北の戦国時代へタイムスリップ!」ツアーを楽しみました。この企画は、愛知県北部(尾北)の犬山市・小牧市・大口町が連携して開催されているものです。
四箇所の城(跡)を回ると、最後に文化遺産カードをもらえるという企画です。
一箇所目は小牧城のあった小牧市歴史館です。
関連企画として「決戦 羽柴秀吉 徳川家康と五つの砦」をやっています。
二箇所目は青塚砦のあった青塚古墳ガイダンス施設です。
関連企画として「いざ!青塚砦 小牧長久手の戦いにおける森長可の軌跡」をやっています。
三箇所目は犬山城です。
四箇所目は小口城址公園です。ナビに表示されなくて探すのに苦労しました。
そして、最後に大口町歴史民俗資料館に行きました。資料館は大口町健康文化センターの三階です。さすがに四箇所まわってくるのは一日では厳しいですね。到着したのがギリギリになりました。
関連企画として「中世城館でみーつけたっ!! 出土遺物とめぐる尾北の戦国」をやっています。
スタンプカードを受付で見せて、文化遺産カードをもらいました!
これが、文化遺産カードです。犬山城、小口城址、青塚砦、小牧山城の4枚です。カードは免許証サイズです。
文化遺産カードは、「NPO法人 古代邇波の里・文化遺産ネットワーク」が行なっている事業のひとつで、「文化遺産を保護し、さらにその活用を図りたい文化遺産関係者」と、「気軽に歴史散策を楽しみたい方々」を、カードコレクションを軸にした楽しい取り組みによって支援するものです。
文化遺産カード専用ホームページ
http://herica.net/
青塚古墳ガイダンス施設では、受付のおじさんがとても優しくて、遠くから文化遺産カードをもらいに来ましたと話していたら、犬山市のカードをくれました。
青塚古墳、犬山城、犬山祭、東之宮古墳、ナンジャモンジャの木の5枚です。
文化遺産カードは、尾北のほかにも岐阜県の大垣市、関ヶ原町、養老町などにもあるみたいなので、今度また集めに行こうかな?これ主催者の思惑どおりか?
カテゴリー: 歴史散歩
企画展 前田利長生誕450年「富山様」利長
企画展、前田利長生誕450年「富山様」利長を見るために富山城址公園にやって来ました。
金沢は雨でしたが、富山は曇り、その後は陽が差す時間帯もありました。同じ北陸でも違いますね。また冬がやってきました。
今日は展示解説の日でした。今回は珍しく前期と後期で展示内容が変わるようで、後期展では地元新聞報道にあった書状の展示があるようです。
参加者は20名ほどでした。それ以上では狭い展示室には入りきりませんが、金沢で同様の解説会があればもっと人が来るので、いまいち盛り上がりを感じません。金沢はやはり金沢検定の影響が大きいのでしょうね。
それはさて置き、今回の展示とても勉強になりました。藩主在位7年、その座を利常に譲り、隠居領として新川郡をもらって富山城に退いた利長ですが、まだ13歳だった利常を補佐し、実権はまだまだ利長が握っていました。
その5年間、利長は「富山様」と呼ばれました。自らの署名は「はひ」、羽柴肥前守利長の「羽」「肥」の2文字をとったようで、キムタクみたいな名乗りをこんな昔からやっていたなんて驚きです。今回富山城が少なくとも3年がかりで築城したことが判明したそうですが、そうすると完成よりわずか2年で富山城は焼失したことに・・・利長の失意は如何ばかりか?
半年ほど魚津に避難し、その後高岡に。現在有名な「高岡様」になったのです。しかし、高岡は砺波郡、隠居領とは関係のない場所に築城できたのも実権がまだあったということなのでしょうね。この頃、利常も18歳を迎え、利常が病を得たこともあり、政治からは退いたようです。いやー!利長深いですね。
先日来た時は修築中だった天守台まわりの石垣は完成し、
移築された千歳門横の石垣とともに、富山城の趣を深めていますね。
近江商人発祥の地 五個荘
観音寺城を探検して疲れた足を引きずりながら、折角なので集合場所だった五個荘を散策します。
ここ五個荘は「近江商人発祥の地 てんびんの里」と称して街並み保存を進めています。
近江商人屋敷として四軒一般公開していますが、屋敷に入らなくてもその街並みを歩くだけでも楽しめました。
漆喰塗りの土蔵と塀が町並みを象徴しています。
また屋敷横を流れる用水が風情を感じさせてくれます。
観光地の範囲はそれほど広くありません。
町中には県内最古の正安二年(1300)の五輪塔もあります。
少し町外れになりますが、「景清道」という旧道と、
海老塚(村境)の一本松という史跡もあります。
まゆ玉を使った干支づくり 金沢湯涌江戸村
まゆ玉で来年の干支である辰を作って来ました。なかなかの出来だと思いますがいかがでしょう?
大雨の中、金沢湯涌江戸村に朝から行きました。場所は農家の野本家から商家の山川家に変更になりました。(写真左側)
大雨だったので、農家では寒かったのか、すきま風が吹くからだったか、しかし、天井の低い旧家でのひとときは懐かしさがありました。
これが見本です。大きな口を開いた見事な辰ですが、愛らしい。
板の羽子板がいいですね。このように飾ると見栄え良いです。
材料は蚕のまゆ玉3個半とひげ2本、台、目玉など
まだ湯涌地区では蚕を飼っている家があるようですね。まゆ玉は思いのほか固く、内側の薄皮と外側の皮は剥がせるんですよ。蚕の力はスゴイとあらためて思いました。
ゆっくりと丁寧に作業していたので1時間半かかりましたが、満足いく出来です。置き紙は金・銀2色の折り紙でしたが、作業に使用した黒の和紙も正方形に切ってのせてみました。
腹の鱗は黒のマジックで線を入れる見本でしたが、自分のまゆは黒色だったので、目玉用の部材を4枚使用しました。金・銀と交互に重ねて、上の1枚は裏に貼り付けました。竜の逆鱗を表す1枚です。
特別講演 加賀百万石を支えた本多家
10月18日に開館したばかりの鈴木大拙館に行ってきました。
禅を世界に広めた仏教哲学者、鈴木大拙の単独資料館です。建物設計は谷口吉生氏によるもので、非常にシンプルながら思想を感じさせます。
中庭には池、四季折々の、また天候により様々な表情を見せてくれます。ここで思考に耽るもの良いでしょう。
記念館の開館に合わせて、隣接する北陸放送が所有する松風閣庭園も一般公開されました。
本多家中屋敷の庭園だったこともあり、
非常に趣ある庭園です。松風閣とは茶室の名前で、この庭園の眺めは松風閣から見るのが一番良いのでしょうね。
今日は本多の森庁舎でマナビィフェアが開催されていました。マナビィフェアとは生涯学習を推進する目的で開催するものです。自分は特別講演を聞きに行ってきました。
藩老本多蔵品館館長の本多政光氏による「加賀百万石を支えた本多家」という講演でした。本多家は五万石という大名並みの石高で迎えられた前田家の筆頭家臣でしたが、血筋から従来幕府から送られた目付だったという論調もありました。しかし、その働きは実に地味ながらも前田家の窮地を幾度となく救ったという話でした。
ロビーでは展示があり、中でも崎浦公民館が土清水塩硝蔵の復元絵図が見応えありました。
講演後、金沢卯辰山工芸工房で「動物の表現 江戸末期から現代まで」を見ました。
そこに置いてあったチラシを見て金沢大学で展示やっていることを知り、普段は平日しか開いていないが、今日は金大祭で土曜日ながら開いているのはラッキーだ。
金沢大学の始まりは加賀藩彦三種痘所だとされ、今年が一五〇周年になるそうです。
金沢大学の歴史のつまった資料展、金沢検定にも役立ちそう!
第60回たけふ菊人形
秋晴れの文化の日、若狭国吉城歴史資料館にやってきました。
企画展「国吉城ゆかりの戦国武将展1」を見ました。1ということは、2、3と続くのですね。また行かないとね。
そして武生へ移動。第60回の節目を迎えた「たけふ菊人形」を見学。今年のテーマは大河に合わせて「江~姫たちの戦国」でした。初めて見たけどいいですね。
菊人形会場から徒歩で越前市公会堂記念館まで町並みを楽しみ、たけふ菊人形第60回記念特別展として開催されていた「絵図をよむ 描かれた越前市」を見ました。武生に関連する古絵図がズラリと並び、見応えありました。図録掲載の古図が小さくて残念でした。
たけふ菊人形を見た後に、会場内にあったチラシを持って行くと、「武生町鳥瞰図」復元画をもらえました。鳥瞰図で有名な吉田初三郎氏の昭和八年の武生町を描いたもので、紙も上質の和紙を使用しています。
他にも府中城など町を見て回ったのですが、今日の写真を紛失してしまいました・・・・これがとってもショックです。
三国から福井へ 越前松平家当主談話を聞く
時折小雨降るあいにくの天候でしたが、福井県の三國から福井市のほうへ展示を見て回りました。
晴天だったらさぞかし見晴らしがよいでしょうが、雨でも景色が良い場所です。
ここは芦原の吉崎御坊跡です。御坊跡は思った以上に高台にありました。ここで蓮如が布教活動を行い、寺内町も栄えていたことでしょう。
御坊跡は公園となっていて蓮如像も立っていますが、数台の駐車場に至る道は急な一方通行の道でした。
坂井郡は江戸時代、小藩の領地が入り組んでいてとても複雑でした。数キロで他藩領地となり、諍いも多かったことでしょう。丸岡藩領だった三国海岸沿いに砲台場がありました。いわゆる台場というものです。
大砲は当然ないですが、砲台の石積みはよく残っています。
砲台跡から10数分、三国の街中にある特徴的な外観のみくに龍翔館にやってきました。この外観は龍翔小学校を復元したものですが、中は三国の歴史を学べる資料館となっています。
ここで開館30周年記念として、「天下人の時代と坂井」という展示をやっていました。初めて見る資料も多く、関ヶ原の合戦前後で加賀の前田利長はここまで侵攻せず引き返しているのに、発給文書があるんですよ。
福井市に移動し、文化財保護センターで開催中の「福井城跡展」を見てきました。
中では、これまでの福井城に関係する発掘調査の成果や遺物の展示がされていました。これから展示説明が始まるという時間帯でしたが、人もまばら・・・福井の人はこういうの興味ないのかな?
展示説明は時間がなかったのでパスして、福井市立郷土歴史博物館に向かう途中に柴田神社へ。
少し前に江の撮影を終了した上野樹里さんがここを訪れたニュースに気になるものが映っていたので、ちょっとだけ寄りました。
それはこの北ノ庄城の天守模型。強化プラスチック製ですが、離れてみればなかなかのものですよ。
(近づくとハリボテ感は否めない・・・)
2年間の限定展示らしいので、期間中にぜひご覧あれ!
福井市立郷土歴史博物館に来たのは、この「御三卿」展が目的でした。1年前に東京江戸博物館で開催された展覧会のミニ展ですが、特に越前藩と関係が深い御三卿を中心に展示されています。
今日は関連する講演会もあって、江戸博物館から学芸員の方がいらしてました。こちらは満員御礼ですね。
それに、前館長の越前松平家の現ご当主の談話もあって、さかんに普通です!と強調していたけど、やはり生活は少し庶民とは違っているようです。
博物館では「福井藩札と江戸時代の貨幣」も同時に開催していて、福井藩を中心に江戸時代の藩札が多数並べられていたけど、福井藩の藩札は絵が描かれていて美術品としても鑑賞に耐えられますね。加賀藩のものは文字ばかりで味気ないです。藩札はこの越前福井藩が全国で初めて発行したのだとか。やはり親藩は優遇されていますね。
大乗寺仏殿修理見学会 金沢歴史遺産探訪月間2011
金沢歴史遺産探訪月間2011の一イベントとして、大乗寺仏殿修理見学会に行ってきました。
大乗寺には加賀八家の本多家の墓所があります。大乗寺は長坂町に移転剃る前は本多町にあり、本多家の菩提寺となっています。
午前・午後各30人ずつ。自分は午後の部に申し込みました。
石川県内では七堂伽藍が残る唯一の例で、今回修理工事が行われている仏殿は国指定重要文化財、総門、山門、鐘鼓楼、僧堂、方丈、法堂、開山堂が県指定文化財となっています。
いよいよシートに覆われた修理工事現場へ。
ヘルメットを被って一番上の屋根から上ります。
大屋根はすでに吹き替えが終了し、真新しい状態になっていました。
柿葺きは薄い板を重ねて引いていくのですが、その材料は主に杉、サワラ、檜であり、大乗寺はサワラだそうです。
竹釘で打ち付けていきます。
風雨に晒される前はこんな感じ。きれいですね。
下に降り、組物の説明を受けました。
この階はまだ葺き直しの途中で、剥がした断面はこんな感じになります。
ここでは竹釘を口に含んで次々打つ実演を見せて頂きました。慣れるまでは口の中が傷だらけになるということで、職人さんも大変だね。
歴史遺産探訪月間 加賀万歳・越前万歳共演会
今日は金沢能楽美術館で開催された「加賀万歳・越前万歳共演会」を見てきました。能楽美術館が5周年を迎えたことを記念して、昨年までは西町の園邸で行われていた加賀万歳がここ能楽美術館で開催されました。それも加賀万歳の源流である越前万歳との共演です。
古典万歳の中で太鼓を使うのは、越前万歳と加賀万歳の2つのみ。源流というだけあって越前万歳は国重要無形民俗文化財、加賀万歳は金沢市指定民俗無形文化財と文化財的認知は格下の感もあるけど、どちらも親しみやすい民俗芸能です。
とその前に、同じく歴史遺産探訪月間として開催されていた金沢工業大学主催の「金沢の歴史的建築とその資料展」を見てきました。
ここ数年は藩政期の建造物だけではなく、明治や大正、昭和初期など失われつつある近代の建造物にも焦点があたり、保存の動きが進んでいます。
金沢市内には多くの古い建物が残っていると言われてはいても、実際には面的な広がりというより、所々点々という感じですが、指定されていることも知らない建物も多く、またレンガ造りの建造物がかなり失われていることが残念です。残っていれば南町あたりは壮観な景観の観光地になったのですが・・・
さて、会場の金沢能楽美術館です。
共演会の前に、現在開催中の企画展「東京国立博物館所蔵今春座伝来能面・能装束」を鑑賞しました。前田家は最初秀吉が愛した金春流をひいきにしていましたが、五代綱吉が宝生流を藩の能楽と決めたため、幕末まで宝生流が続き、現在の「加賀宝生」の基礎となりました。
本展は大和猿楽四座とひとつ金春流の名品を展示しています。
展示のプロデュースは、東京国立博物館の小山主任研究員で本日記念講演会が開催されました。
「奈良金春座に伝わる能面・能装束の特色」というテーマで、金春流の歴史と、今回の展示品を含む金春流の名品の解説でした。解説を聞くと展示もわかりやすいです。
能楽の研究員ですので、かなりの年配者が来るものだとばかり思っていましたが、若い女性でビックリしました。それでも金春流研究としては第一人者だということで、意外に能の研究者は少ないのかもしれません。
楽しみにしていた万歳が始まりました。加賀万歳を知ってから早三年を過ぎ、今まで公開講演ばかり5、6回見てきましたが、何度見ても飽きないですね。
共演会はまず加賀万歳の「式三番叟」から始まりました。
初めて見る越前万歳は「舞込お家万歳」から始まりました。演目としては「式三番叟」と同内容ですが、ゆったりな加賀万歳に比べると、早口の越前万歳は全く違うものに感じられます。
越前万歳の「寿」。蝶をかたどった烏帽子をかぶり、特徴的な万歳の掛け合いで進みますが、かなり際どい物語だったようです。早口でよくわかりませんでしたが、比喩がかなり効いています。
加賀万歳にも同様の早口万歳の演目があるそうですが、不人気もあって演じ手がいなくなり、最近は人気演目ばかりが演じられているということで、もっといろいろな演目を見てみたいですね。
越前万歳の「鳥刺し」。昔の棒で鳥を取った様子を演じているという見ていて楽しい演目でした。
7演目の予定だったところが9演目にわたり、予定時間の1時間半ギリギリの公演でしたが、とても貴重な時間でした。能ほど堅苦しくなく親しみやすい民俗芸能ですが、やはり見ている人に若い人が少ないのは残念です。正月にはまた公演がありますので興味ある方はぜひ一度見てください。
特別展 街道を歩く 近世富山町と北陸道
富山市郷土博物館で開催中の特別展を見に行きました。秋は特別展として、他の企画展よりも展示スペースが広いのです。
城址公園地下の駐車場から出ると、大通り沿い石垣を修復していました。
地下駐車場の入口も城郭風に改装されています。
今回の展示は富山藩領内の北陸道に関する絵図や古文献などの展示でした。加賀藩となると距離は長いのですが、分藩である富山藩領のみとなると短いのですが、神通川の舟橋は何度見ても奇景ですね。実際にあったら渡ってみたい!?
城址公園として求心力を持たせるための整備が急ピッチで進められています。これも北陸新幹線開業に向けた事業でしょうね。
その後、富山県埋蔵文化財センターに移動し、「特別展 とやまの貝塚」を見ました。貝塚というとゴミ捨て場というイメージしかないのですが、人骨なんかも見つかるんですね。
そして、隣接する富山県公文書館で「企画展 越中の旅人たち 江戸時代の寺社参詣」を見ました。
江戸時代の庶民の伊勢参りは有名な話ですが、他にどこに行っていたのか?
善光寺、見延山、東本願寺など今とそう変わらないなーと思う一方で、伊勢参りにしても意外に寄り道が多いのですよ。一例ですが、熱田神宮→津嶋天王→関地蔵院→松坂愛宕→伊勢神宮→大石不動明王→長谷観音→安部文殊院→多武峰明神(談山神社)→壺坂観音(南法華寺)→天河弁財天→達磨寺→住吉大社→石清水八幡宮→方広寺→日吉大社と37日の行程。これだけ今歩く人はなかなか居ないですよね。