ここはどこでしょうか?
答えは石川県立歴史博物館の収蔵庫の中です。びっしりと箱詰めされた棚が並びます。
歴史博物館は今年度を終了すると同時にリニューアル工事に入るため、その前に収蔵庫を案内するツアーを開催してくれたようです。
石川県埋蔵文化財センターでは数年前から収蔵庫ツアーが開かれていた記憶はありますが、どんなものなのか非常に気になって参加しました。
文化財は運搬するときも綿を詰めた梱包材を使用するそうです。
いわゆるプチプチなど石油製品は文化財(特に塗り物)に微妙な化学変化を加えてしまうということで、ひとつ運ぶにも一苦労ですね。
普段公開していない場所ですが、すでに収蔵庫はいっぱいで、市内や押水、白峰など分散して収蔵しているそうですが、リニューアルにあたっては、これらすべての収蔵物を一度搬出してから作業することになるので2年という工期も長いとは言えないようです。
現在同館では特別展「れきはく特選資料展」が開催中です。収蔵する重要文化財のお宝が一同に展示されています。2つの辰巳用水を描いた絵巻は圧巻でした。
資料展に置いてあった資料で敷地隅にひっそり立っている門柱が何かわかりました。
以前からとても気になっていたんですよ。
歴博の建物は旧陸軍の兵器庫を改修したものです。この門柱は兵器庫に入る正門の門柱だそうです。説明版もない隠れた遺産です。
そして駐車場の片隅に残るもうひとつの遺産。現在の石川橋(兼六園と金沢城石川門を結ぶ橋)の前身であった明治期の石川門の高欄の石柱です。
リニューアル前にぜひ一度訪ねてみてください。
カテゴリー: 歴史散歩
開館10周年記念特別展「芳春院まつの書状」
歴博の特別展を見た後、収蔵庫ツアーまで時間があったので市内文化施設の春の特別展を見てきました。
最初に金沢能楽美術館で特別展「平家物語と能」を見学しました。能はもともと平家物語に謡と舞をつけて発展したものと言われているそうで、平家物語を題材にした曲がたくさんあります。
次に前田土佐守家資料館の開館10周年記念特別展「芳春院まつの書状」を見てきました。昨年新湊博物館に寄贈されたまつの消息44点と同館が所蔵する消息5点を加えた国内最大規模の芳春院まつの書状展です。娘や親類に宛てた手紙ですので、まつの人となりがよくわかる史料ですよ。
めずらしく展覧会の図録も販売されています。来月20日に開催される特別講演会はまだ余裕ありそうですよ。興味ある方は今すぐにお申し込みを!
次に金沢ふるさと偉人館で特別展「高峰譲吉邸と松楓殿」を見ました。高峰博士がワシントンの桜に関係しているという話は地元では有名な話ではありますが、その経緯はよく知りませんでした。今回の展示ではその経緯がわかりました。
昨年秋に開館した鈴木大拙館の企画展「無心ということ」を見てきました。
りんごをテーマにしたコーナーがあり、最後にりんごに切り抜く小物が置いてあったので、パンフレットにりんごを空けてきました。どのようにりんごを捉えるのか?それは自分の目で確かめてください。
最後に早足で中村記念美術館の特別展「明治の元勲が見た金沢元来の茶道具」を見ました。井上馨、高橋是清が見た金沢の名家の茶道具が紹介されています。さて、実物はいまどこに・・・?
倶利伽羅不動尊 八重桜まつり・念仏赤餅つき
山頂はまだ六分咲きくらい。倶利伽羅不動尊の八重桜まつりに行ってきました。
今年のGWは県外への遠出の予定がありません。
九時半過ぎに着いたのに、駐車場はすでに満車寸前。おかげで境内に一番近い駐車場に停められました。
前田利常により再興された手向神社。
今日はまつりということで中の石堂神殿が見学できました。越前笏谷石製で普段は非公開だとか。
国見山最高峰に祀られている4社の権現石殿
今日は雲一つない晴天で、むしろ暑いくらいですよ。
大河ドラマ「義仲と巴」誘致にむけて、津幡町のミスつばた白鳥姫がかーくん(ぬいぐるみ)とともに参拝者を出迎えてくれました。
この晴天にぬいぐるみは相当きついようで、休み休み出番をこなしていました。ご苦労様です。
11時から念仏赤餅つきが始まりました。白装束に身を包んだ檀家?の皆様が厄払いの餅をつきます。
2臼目から一般参加で子供たちやお年寄りに混ざって、ミスつばたのお嬢さんも無理矢理?餅つきを体験していましたよ。
3臼で餅つきは終了し、住職による祈願の後、境内に集まった参拝者に配られました。
おみやげに赤餅を買ってきました。缶バッチは大河誘致でミスしらとりが配っていたもの。今日明日で3千個が配布されるとのこと。今日は餅つきが終わることには配布終了していたので、欲しい方は早めのお出かけを!
●厄除念仏赤餅(やくよけねんぶつあかもち)の由来
古来より越中国と能州・加賀国との越境交通の要所でったここ倶利伽羅峠の「猿ヶ馬場」にまつわる言い伝えによると、その昔、峠を往来する旅人の前に猿の群れが立ちはだかり、悪さばかりしていたそうです。そんな猿であっても殺生はできず、ほとほと困り果てていた旅人たちの姿に、時の和尚がご本尊のお不動さまに日夜ご祈祷されたそうです。すると、ある夜の夢枕に「お念仏を唱えながら餅をつき、赤く染めて猿に与えよ。」とのお告げがありました。和尚は得心し、お告げどおりに餅をつき、猿の群れに与え食べさせたところ、ぱったりと猿の襲撃がなくなったのです。以来、倶利伽羅峠を行き交う旅人の間で「霊験あらたかなお餅」として、語り継がれたということです。このときのお不動さまのお告げにあった赤餅の「赤」は、赤ん坊のように邪念のない純真な心を表す色とされます。私利私欲にとらわれず正しい道を歩むことは、諸事災厄を退けることにもなります。
嵐の前の能美古墳へ
朝、約束の時間にはまだ少し余裕があったので、近くの秋常山古墳群へ向かいました。
こんな朝っぱらから誰もいないと思っていたら、見学者がいました。意外・・・
遠く山々が思いのほかくっきりと確認とできましたが、ご覧のように黒く垂れ込める雲。
今年は雪が深かったので草もしっかりと枯れて、今は古墳の形がくっきりと見えますよ。
ちょうど雨が降る悪天候前ということで、風もだんだん強くなってきました。
整備されてきれいなうちに見ておくのがいいですよ。
古墳から眼下に黄色い絨毯が見えました。
気になったので下りて見てきました。菜の花畑です。低い地点で撮ると一面の畑に見えますね。
近くの新保八幡神社が気になったので寄りました。
境内の桜が満開できれい!
菊桜の一種ということでいいのかな?強風にハラハラと花びらが散る・・・
本殿横に石造の社殿が4基。「新保の小神様」と呼ばれ、ここは霊峰白山の遙拝所だった地だったようです。
講座「観音寺城の石垣を探る」
講演会に参加するために滋賀県へ出かけました。
講演会は午後からなので、その前に安土城考古博物館の展示を見に行きました。
現在「湖を見つめた王 継体大王と琵琶湖」が開催中。
目的はどちらかというと、テーマ展「信長の水城」と城郭写真パネル展示「近江の名城Part.8」だったのですが、近畿の古墳のスケールに圧倒されました。大阪の今城塚古墳の実物大埴輪が展示されていましたが、あんなのが何十と出てきたらさぞかし興奮するでしょうね。
それから目的地の大津の滋賀県立図書館へ向かいましたが、途中竜王の道の駅に寄ったら気になるものがあったので、少し時間も余裕があったので見て回りました。
ここは旧中山道の鏡宿で、宿の中央を国道8号線が横切っています。
これが気になる正体
「源義経元服の地」
周囲にたくさん立っていました。
道の駅から国道の向かい側にある「義経元服池」
鏡神社。
入口に「義経烏帽子掛けの松」があります。すでに明治6年の台風で折れ、根元のみとなっています。
道路沿いに旧鏡宿の建物があった案内板が立てられています。
本陣跡には「源義経宿泊の館跡」の石碑が建てられています。
道の駅の後方には城跡もあるようなので、次回ゆっくりと訪れたいと思います。
道の駅にはたくさんの地元のおみあげがずらりと!ここは桃が名物のようなのでもものどら焼きとまんじゅうを買ってきました。
道の駅のキャラクタ「近江うし丸」くん。牛若丸と呼ばれた義経から作られたと思われますが、牛になった義経は何と思うか?
さて、到着すると会場にはすでにたくさんの人が・・・・
安土城考古博物館を会場に行われるときは当日先着順なのですが、今回は会場を別とするため、あらかじめ予約が必要でした。会場に高低差がないので前の席に座りました。
レジュメと観音寺城の小冊子(実は3冊目)をもらいました。
今回は平成20年度から行われている観音寺城跡石垣基礎調査の総まとめとなる講演会でした。
史跡範囲の石垣分布調査で950カ所近い石垣が踏査されました。
そこから浮かび上がる観音寺城の構造についての考察も発表されました。
中でも3メートルを超える石垣をピックアップして、本郭を中心に南北に延びる郭群を結ぶと観音寺城は馬蹄型となり、小谷城と同型の中世城郭の姿が浮かび上がってきました。そこから外れる淡路丸は出城と考えるのが良さそうだということでした。
最後に滋賀県教育委員会の3名による座談会が行われましたが、同じ所内でも意見はまとまっておらず、これからさらに調査が進められるということで、楽しみです。
名古屋城 春まつり
ちょうど名古屋に来る用事があったタイミングで、名古屋城で春まつりをやっていました。
夜桜を期待してきたのですが、今年は冬が寒かったので桜も遅いようです。東門入ったところの1本と正門入ったところに1本満開の桜がありましたが、梅も終わっていて花がありませんでした。
今日も夜になると寒かったですね。防寒着持って行って正解でした。
この1本満開の桜の前で皆さん写真撮影していました。
正門からの通りはこの通り、まだ一週間はかかりますね。近づいて見るとまだ固いつぼみでした。
深井丸にはつばきがきれいに咲いていました。
1本に赤と白の花を咲かせているものも・・・
なかなか来る機会もないので、夜まで待ってライトアップを撮ることにしました。まつりの間は20時まで一部を歩き回ることができる貴重な機会です。
天守の周りをぐるりと歩いてまわれますが、西南隅櫓が修復中なので、記念写真のアングルは今は撮れません。残念。
右手前に1本満開の桜があるのですが、ここはライトアップコースから外れていて残念です。
昼に満開だった桜の場所で天守と一緒に撮影。しかし、19時半帰る頃には城内に人もまばら。まあ桜も咲いていないし、寒いし、こんな時に地元の方は来ないですよね。たぶん来週末が見頃でしょう。
第12回市民ふるさと歴史研究会 「加賀八家墓所からみる近世の社会」
今日は広坂別館で金沢市埋蔵文化財センター主催で、第12回市民ふるさと歴史研究会「加賀八家墓所からみる近世の社会」が開催されました。先着70名でいつも通りお年寄りばかりでしたが、開始20分前にはすでに会場はいっぱいでした。
ということで、今日は最前列へ。加賀八家のご当主方(本多家、横山家、前田土佐守家)のお隣となりました。緊張ー-!
最初に、近世史料館の宇佐美孝氏の「加賀八家と野田山墓地」というテーマの講演会。
加賀八家の前田家への仕官時期や、加賀八家の成立についておさらい。
知らない方のために、菩提寺と墓所をまとめておきます。
家名 菩提寺 墓所
本多家 大乗寺(曹洞宗) 大乗寺
長家 東嶺寺(曹洞宗) 野田山のほか3カ寺
横山家 松山寺(曹洞宗) 野田山
前田長種家 玉龍寺(曹洞宗) 玉龍寺
奥村宗家 永福寺(曹洞宗) 野田山
村井家 桃雲寺(曹洞宗) 野田山
奥村支家 永福寺(曹洞宗) 野田山
前田直之家 桃雲寺(曹洞宗) 野田山
大乗寺を野田山域と考えると、前田長種家以外は藩主家と同じ野田山に墓地を定めていることになる。長種家については、まだ尾張に居たときに開基された菩提寺だけに、赴任地の変更とともに、越中、小松、金沢と移動した経緯に理由があるようです。
平成20年度から4カ年計画で進められた加賀八家墓地詳細調査の成果発表という側面もあるので、その報告も行われました。
各家ごとに墓石の形状や歴代の並び方に特徴があることがわかりました。
発掘調査は方墳を避けるようにして横山家墓所で行われました。方墳の基台のまわりに空堀がめぐるのが藩主家と同じ特徴です。
横山家では文献調査も同時に行われ、絵図から隣接して家臣の墓所が建てられていること、他の八家の当主どおしが墓参することがあったことがわかりました。
とても有意義な報告だったが、4年の成果を2時間半に集約するのは至難なことで、説明不足なところが残りました。あとは報告書ができたら確かめましょう。
講演会「播磨の山城を考える」 姫路市埋蔵文化財センター
講演会に参加するために姫路市埋蔵文化財センターに来ました。
今日は城郭談話会の山下晃誉氏による「播磨の山城を考える」というテーマでの講演会です。
センターでは「赤松氏の城を調べて」というテーマの企画展を開催中。こちらの展示は無料。
戦国時代、小国領主が乱立した播磨国ですから城館も多いですし、研究者も多いのですでにこういう講演会は多々開かれていると思っていましたけど、センターでは初めてのテーマだったみたいで、定員100名のところ開館以来の大盛況となりました。
会場いっぱい中で姫路市域の城を中心に、各城の特徴が説明されました。自分にはちょうど良かったけど、地元の方には少し物足りなかった?かも。
帰路へ着く前にJR姫路駅へ。姫路市観光案内所となっている「なびポート」
中では姫路市の観光パンフレットなどが並び、観光マスコットキャラの「しろまるひめ」も一際大きい!
頭の上の姫路城がちょっと膨らみすぎだよ。
カウンターではしろまるひめの特別住民票がもらえる!(実はこれが目的)
しろひめまるスタンプと日付スタンプも押し放題。何枚でも・・・って言われたけど1枚だけもらってきました。
裏は「まんまるもちもち しろまるひめ」
なんと!歌もあるんですね。CDは売ってませんでしたが、どこで歌われるのでしょうか?
なぴポートは9時から19時まで
「発掘報告会 いしかわを掘る」
今日は朝からいろいろと市内めぐりをしました。
続けて自然史資料館の「大桑層にねむっていたせきつい動物たち」を見学しました。浅野川以北の大桑層(地名としては「おおくわ」と呼ぶが、地層としては「おんま」と呼ぶそうです。)で発見された化石が並べられていましたが、鯨やアシカの化石も見つかっているんですね。子供の頃、夕日寺公園で二枚貝や巻き貝の化石をたくさん掘って持ち帰りましたが、その思い出が懐かしく思い出されました。
そして、昨日から始まった室生犀星記念館の「終の輝き われはうたへども」を見ました。絶筆となった「好色」(犀星自身は題を付ける前に亡くなったので遺族が生前の会話から命名)の原稿も展示されています。
ちょうど時期的に「室生家の雛人形」という特別展示をやっていました。珍しく1階の常設展の一部が展示替えしていましたよ。
企画展の最後は「蓮田修吾郎のアトリエ」を見に、金沢ふるさと偉人館に行きました。スケッチや道具が40点ほど並べられていました。
午後は県立美術館で「発掘報告会 いしかわを掘る」を聞きました。今年度の発掘調査の中から6カ所の報告がありました。
報告1 真脇遺跡(能登町)
報告2 福井ナカミチ遺跡(志賀町)
報告3 大友F遺跡(金沢市)
報告4 金沢城下町遺跡(金沢市)
報告5 大川遺跡(小松市)
報告6 金沢城跡(金沢市)
報告4では期待した藩政期の公事場の遺構は見つからず、その前の武家屋敷の庭園遺構やさらに前の大工町や鍛冶町の道路跡などが見つかったようです。もうひとつ金沢御坊時代の寺内町跡か?という遺構もあったようですが、検証はこれからのようです。
報告5は小松城下町の遺構らしいです。自分としては城内が発掘されるのを楽しみに待っているんですけどね。
金沢城は橋爪門二の門と玉泉院丸の報告。橋爪門の現地説明会には参加できなかったのでとても興味深い内容でした。
前半の報告も面白く、昨年は新幹線関係が多かったですが、今年は近世が多きかったですね。
鳥越一向一揆歴史館セミナー 「蓮如上人から前田利家へ 加賀一向一揆の歴史と社会」
今日は鳥越一向一揆歴史館セミナーの日でした。今年は大雪でしたが、この辺りは去年よりも積雪は少ないようです。二曲城の本丸付近も地山が見えてきています。今年度は一の郭、来年度は二の郭が整備される予定になっています。
今日のセミナーは、石川県立歴史博物館資料課長の濱岡氏による「蓮如上人から前田利家へ 加賀一向一揆の歴史と社会」というテーマでした。濱岡氏は門前の出身だそうです。
近世が専門の濱岡氏ですが、江戸時代の理解に一向一揆の研究は役に立つとか。
金沢城下町の人口の7割が武士だというのは何度か聞いた話ですが、同様の都市は江戸のみだとか。いつも江戸が引き合いに出るので知らなかったが、他の都市は逆で武士は3割程度のところが多いという。
何故か?
他藩では家臣が年度取立や地方統治のため、村や郷に住んでいたからだという。加賀藩ではその役目は十村など地域の有力者が担っていた。そこに一向一揆の結びつきを強めた浄土真宗の講の組織とがあったかもしれないと。加賀八家をはじめとした家臣は村に行きたくても行けなかったので、十村制度が作られた可能性も・・・。とても興味ある話でした。
セミナーの後、友の会総会があり、今年度は入館者が増えたとか。秋に道の駅切符を作ったら、県外から人が来て10枚、50枚と買っていった人もいたとか。入館料1回につき1枚で販売したのでそのカウントが効いているようです。もうすでにありませんでしたけど。