以前より存在は知っていたが、開催日が平日ということで機会がなかった天徳院の「珠姫まつり」に参加してきました。
天徳院は加賀藩三代藩主前田利常の室であった「珠姫」の菩提寺です。
徳川秀忠の娘として(というより今年は江の娘と言ったほうがわかりやすいでしょうか)、初代利常の室まつとの人質交換で三歳で加賀へ下向、一四歳で結婚し、二三歳で旧暦7月3日に亡くなりました。
「珠姫まつり」は今の暦で8月9日に当たる本日を中心に開催されています。今日に限り、拝観料も無料となっています。
13時半から供養法会、居合演武、落語会と続きましたが、夏休みとってまで行って良かったです。曹洞宗の法要というのも見ることができました。平日とあってか人もそこそこでしたが、宣伝不足な面は否定できませんね。まあ、大々的にやって大勢やってきても入りきりませんし、法要が主目的ですから観光とも少し違いますし。
今年は亡くなってから390年ということで、10年後の400年の節目に向けて新しい試みが始まっているようです。機会があればまた行ってみたいですね。
カテゴリー: 歴史散歩
古本で掘り出し物!
室生犀星記念館で「犀星のぞきめがね ブンガクシャのおもしろ博物誌」を朝一から見る。犀星は動物や虫がとても好きだったようですね。
続けて今日の目的、前田土佐守家資料館の新しくなった企画展「城下町金沢の中の前田土佐守家」を見学する。午前中の解説講座に申し込んであったので参加する。
今回の展示、絵図が中心で長い時間見ていても飽きません。城下町絵図と城内地図がありますが、城内絵図を見ていると、金沢城にも多くの井戸があったことがわかりました。現在明確に残っているのは絵図には記されていない水の手門下の井戸だけなのが残念。あの場所公開して欲しいなー
街中に古書店の出張所がなくなって久しいが、香林坊109店の3階に期間限定(6-8月)で加能屋書店が出店している。ようやく行くことができた。格安の城跡や城下町の発掘調査報告書を4冊と、もう1冊掘り出し物を入手できた!
「町尽しと歩く記」 非売品の本なのですが、金沢の伝統芸能である加賀万歳にある「町尽し」という唄の歌詞に出てくる旧町名や名所を歩きながら回って紹介するという本なのです。
最後に近世史料館の夏季展「古文書に見る災害 復興と救済・支援」を見ました。
敦賀・小浜 神社めぐり
三連休の中日、敦賀から小浜へ
越前国の一宮、氣比神宮へ。日本三大大鳥居が出迎えてくれます。
社殿への入口も四足門になります。
金ヶ崎城跡に建つ金崎宮です。
階段を上ると本殿があります。「難関突破と恋の宮」と称し、香恋(かれん)ちゃんというキャラまで作っています。
敦賀の市街に埋もれるように建つ晴明神社。
この星型の晴明紋が特徴的です。
近所の関係者の方に中に入れていただきました。
神殿の下に安倍晴明がかの地を訪れたときに残したという「祈念石」が祀られています。
小浜市に移動して、小浜城の本丸を利用している小濱神社へ。
石垣に囲まれた神社は、社叢に囲まれた神社とはまた違う雰囲気です。
帰りの杉津パーキング。陽が長くなって、19時過ぎにようやく日の入りとなりました。
初の菩提寺 常高寺へ
京極高次に嫁いだ浅井三姉妹の次女、初の菩提寺である小浜市の常高寺です。
位牌所の中央に初の位牌が祀られています。
「常高寺伝松巌栄昌大師」
位牌所の隅に墓所のある後瀬山にある城跡の模型がありました。
本堂には再現された初の着物が展示されています。
国道27号線を挟んである常高寺墓所。危ないので歩道橋ができました。
石塔の正面にも初の戒名が刻まれています。
金沢 夏の博物館めぐり
梅雨明けの金沢、暑い中でしたがしばらくぶりの博物館めぐりをしてきました。
最初は安江金箔工芸館へ。夏季テーマ展「金箔と工芸技法」の前期展を見ました。外国の方も入っていて、少し観光客も戻ってきているようで一安心。
続けて、泉鏡花記念館へ。企画展「泉鏡花を育てた男 尾崎紅葉」展を見学。尾崎紅葉は学校で習ったけど、どういう人物であったのかよく知らない。知らないと言えば、数年前まではここ金沢の三文豪である泉鏡花、徳田秋声、室生犀星もよく知らなかったのだから、他の文学者を知っているほうが珍しいと言えるのかもしれない。
そういえば、最近街中でこういう新型の信号機を見かけるようになった。最初見たときはビックリした。歩行者信号から導入の始まったLED信号機だけど、自動車信号はこんなに薄型になるんだと感心する。
次の目的地に行くのに近くを通ったので、惣構の升形遺構跡を見てきた。昨年の発掘調査の後、舗装し直して駐車場になっているが、現在は使用されていない。遺構を復元する予定になっているのだから、駐車場の線はいらなかったのでは?
次の目的地は玉川の近世史料館。新しい企画展が始まっていると思っていたが、12日からの開催で今日はまだ開催前・・・残念。
そのまませせらぎ通りを歩いて、次へ。最近タウン誌で特集されるようになったせせらぎ通り。金沢市内でも新規出店が多い地域で盛り上がっていると聞く。
尾山神社からまっすぐ西へ下る角の特徴的な建物。今は新規店舗のパン&喫茶、古本、あと?なんだったかな、昼下がりとあって、喫茶店には若い女性の姿が多く見受けられました。
そして、前田土佐守家資料館に。春の企画展は加賀八家としての前田土佐守家を見直す企画展。以前一度見学しているが、もう一度見て、来週に始まる夏の企画展の解説講座を申込む。
金沢ふるさと偉人館では「竹久夢二の詩をイメージにした写真展」を現在展示している。どこの写真クラブの企画なのか?最近の写真は編集だけでなく、合成も許可しているのか。ここまで来ると創作の絵画と変わらないな。
観光客にも人気の金沢21世紀美術館に隣接して建つ金沢能楽美術館。今回の企画展「花をまとう」は、花を題材にした能装束の展示。最近能面には多少の興味が湧いてきたところだ。
しいのき迎賓館での無料イベント「いしかわの伝統と新しい感性」は、県内の新進気鋭のデザイン商品が並ぶ。単なる作品紹介ではなく、そのものが売り物であるというのが石川県デザインセンターの特徴である。
興味ある商品もあったが、何と言っても手作りのため値が張る。こういう商品が気軽に買えるようになりたい。
最後に徳田秋声記念館で企画展「加能作次郎 もうひとりの秋声」を見た。加能は富来の出身だそうだが、郷土史の学習は自分の市町村のみに限定されていた(今はどうかは分からないが)ので、郷土にはまだまだ知らない著名人がいるものだと思った。
夏の散策はとにかく疲労が激しい。日焼けも痛い。でも、時々歩かないと運動不足になるからね。
鳥越一向一揆歴史館研修ツアー 日吉大社・延暦寺
鳥越一向一揆歴史館の友の会研究ツアーに参加してきました。
早くから予定されていたものの、奇しくも今日は高速道路の休日1000円の最終日。バスは通常料金ですが、高速は大渋滞・・・とおもいきや
駐車場も行列なく、思ったほどの混乱ではありませんでした。混雑を予想して敬遠されたかな?
第一目的地は大津市坂本の日吉大社。地元のボランティアガイドさんに案内されて境内をまわります。
朱塗りの立派な鳥居が迎えます。
境内は広いです。
山王総本宮である日吉大社の鳥居の特徴は、上の山形です。初めて見ましたが、本当に特徴的です。全国3800余の分霊社である日吉神社、日枝神社、山王神社の本宮となります。
西本宮の授与所で、
神札とおみくじを買いました。
この金色の神猿(「まさる」と呼び、神様の使いです)は、下の紐を引っ張るとおみくじがでてきます。
境内には摂社として白山姫神社が建てられています。
東本宮への階段の途中には「猿の霊石」という、猿に見えなくもない?霊石がお見送りしてくれます。
昼食は門前の芙蓉園でした。重要伝統的建造物群保存地区にある芙蓉園は、穴太積発祥の地とあって、立派な石垣に囲まれています。
食事も盛り沢山でした!
昼食後、周辺をブラブラ。迷い込んだのは城郭のような滋賀門跡跡
住宅道路も両側に石積みを構えて、美しいですね。
バスは急な坂をしばし登って比叡山の東塔に来ました。ここから坂道をアップダウンです。
根本中堂は大きいですし、日曜日とあって信者が次々と訪れていました。奥の本堂は奥に傾斜しており、ご本尊は地下に祀られているような形式になっています。
根本中堂の奥に蓮如堂という蓮如聖人の修行の地があったのですが、立ち入りできず残念ながら参拝できませんでした。
入口から大行動までの赤道には、延暦寺に関係した僧侶の案内板が立ててあり、中には親鸞聖人もありました。
西塔に移動し、駐車場あたりが「聖光院」という親鸞聖人が住持をした寺があったところになります。坂を降り、常行堂へ向かう途中に「親鸞聖人ご修行の地」と石碑の立つ平地がありました。
この先の青龍寺も関係する場所のようです。
そして、帰りの大津IC、通常時でも混んでいるインターは最終日の夕方は入るまでに時間かかりました。今後は少し空くのかな?
「花咲くいろは」の舞台へ
現在アニメで放映中の「花咲くいろは」
その舞台のひとつとなっている湯涌温泉へ久しぶりに行ってきました。
エンディングの最後に登場する湖のモデル?となったと思われる。湯涌温泉奥の玉泉湖です。向こうの丘の上にホテルが建っている絵でエンディングは終わりますが、以前はここにも丘の上に「白雲楼」という東洋一と言われたホテルが建っていました。アニメの中で蘇ったということでしょうか。
湖面にはすでに藻が出てきていましたが、黄色い水芭蕉がきれいでした。奥には氷室が建っています。今年はこの新しい氷室を使用して雪を詰める予定でしたが、大雪でいつもの場所になりました。
アニメの中にも登場した足湯と湯涌夢二館です。他にもモデルになった場所がありそうだけど、今日はこの辺で。
地元新聞ではアニメ効果で県外から「いろは信仰者」たちが押し寄せているというので、様子を見に来たが確かにそれらしきグループをいくつか確認でした。彼らは聖地巡りを楽しんでしましたよ。それにしては迎える方の準備がまだまだという感じでした。城端を見習ってもっと盛り上げてほしいものです。
玉泉湖で看板を見て、白雲楼ホテル跡と旧江戸村が公園として整備されたことを知った。
早速見に行くと白雲楼ホテル跡は芝生公園になっていました。しかし、敷地ギリギリに建てられて景色も良かったというホテル敷地からは随分内側に柵がめぐらされ、育ち過ぎた木も視界を遮り、???という状態。
続けて、山頂の旧江戸村へ。
こちらは回遊できるように道が整備されていましたが、
解体待ちなのか、復旧待ちなのか、わからない建物がまだ残った不完全な状態。
これで県外客のみならず、地元客をも満足させることができるのか?
帰り際に、旧江戸村の名残を発見!!
壇風園との共通券が大人1100円。今となっては高くはないが、当時は割高感はあったでしょう。幼き時に来たことがあるのかもしれないが、記憶には全くないこの場所。廃墟が残っていないだけ未来に向けて希望があるのだけど、下からわざわざ登ってくる観光客にもっと喜んでもらえるように、せめて景色を見渡せるようにしてほしいものだ。
2館館長対談「加賀八家という家」
今日は2件の講演会をハシゴ
最初は2館館長対談「加賀八家という家」へ。
前田土佐守家資料館と藩老本多蔵品館の2館で開催中の加賀八家関連の展示を記念した、それぞれの館長、つまり現在のご当主の対談となります。
司会兼コーディネーターは長谷川孝徳氏です。長谷川氏は郷土近世史を研究してきた縁で、各家の先代と交流があったそうですが、先代の代では今日のような2人並んだ講演会はあり得なかったというから、こうして聞けるようになったということは良い時代、いや平和な時代になりました。
しかし、つい半世紀前までは藩政時代の身分をある意味引きずった時代であったということで、今を生きる者が今のものさしで考えることもできなくなったということか。「家」という制度が崩壊し、「個」を強調する時代の意義を考えさせられる会でもありました。
続けて石川県埋蔵文化財センターで開かれた、まいぶん考古学講座「江戸時代の鉄砲と火薬」へ。
もっと加賀藩に特化した塩硝の話を聞けることを期待していたのですが、前半は火薬と鉄砲の歴史、後半に入っても鉄砲の構造や火薬の作り方が続き、最後10分ほどでようやく金沢城内の発掘調査や城外の施設の話へ。目新しい話は金沢商業高校建て替えに伴う「弓の町遺跡」の発掘調査の成果ぐらいだった。
津幡の風景今昔
シグナスで開催中の生活文化展を見てきました。
「津幡の風景今昔」というテーマで津幡町の昭和30年、40年代の写真が展示されています。
中には今の写真と並べて展示されているものもあり興味深いものでした。
津幡が宿場町であったときの賑わいの中心、津幡川に架かるおやど橋です。橋の完成が一大イベントだったことがうかがい知れます。
津幡川が昔はよく氾濫していた話を地元の方から聞いたが、実際の写真を見るのは初めてでした。
今の生活が昔の方の犠牲と努力の上にあることをあらためて感じ、未来のため現状を撮り残していくことが重要だと思いました。
「加賀八家」と本多家
台風が日本列島に近づき、ここ北陸も大雨に見舞われています。
今日は石川県立美術館広坂別館で特別展の記念講演会が開催されました。先着70名で急ぎ申込みした講演ですが、周りの顔はよく知る顔ばかりです。
「加賀八家」と本多家というテーマで、本多俊彦氏と長谷川孝徳氏のお二人が講演しました。
まずは高岡法科大学准教授の本多氏は、「知行宛行状と叙爵にみる加賀八家」という知行宛行状という今まであまり聞いたことのない深いテーマでした。実は、本多蔵品館館長である現15代当主のご子息です。
叙爵とは従三位など朝廷より官職をいただくことですが、朝廷の直臣は各大名家であるので、本多家のような大名家前田家の家臣が官職をいただくことを陪臣叙爵といいます。
陪臣叙爵は尾張・紀伊・水戸の御三家と加賀前田家のみに許されたものですが、尾張・紀伊が6人、水戸5人、加賀4人という人数が大名の叙爵の官位によるものだと始めて知りました。加賀前田家は従三位参議なので4人と決められていたようです。
藩主である前田家から家臣に出される知行宛行状が、身分により、宛名書の書き出し位置が変わったり、書止や敬語の決まりごとで文字の崩し方や漢字なのかひらがななのか、ということが決まるという事実が実に官僚的です。
次に、元石川県立歴史博物館学芸員で、現在は北陸大学教授の長谷川氏による「八家の職務内容」というテーマによる講演。軍事組織がそのまま平時には行政組織となる、実に効率的な組織ですが、その伝統はどうやら今は連綿と続いているようです。
ちなみに、加賀前田家の家臣の役職は、最高位が「年寄」、次が「家老」、そして「若年寄」。家老が藩主の次ではないのでご注意を!
講演会終了後、講演会でも紹介された古文書を見るために、藩老本多蔵品館へ行ってきました。