一月例会 金谷出丸と鼠多門について

一月例会

今日は金沢城・兼六園研究会の一月例会でした。

毎年恒例になった金沢城調査研究所の講演会。
今年は木越所長による「金谷出丸と鼠多門について」というテーマでした。

しかし、鼠多門はまだまだわからないことが多いということで、地元新聞で年頭の知事会見にあった絵図の話が大半でした。この絵図というのが明治初めに陸軍省の要請で金沢県が提出したと想定される数枚組の絵図です。昨年、市内の古書店から購入し研究していたということで、明治初めの玉泉院丸を初めとした金沢城内の様子や、最後の二の丸御殿の姿も詳細にわかったそうです。

・古写真の鼠多門の後ろに写っているのがスロイス邸で、その邸宅の規模が判明
・尾山神社の東神門が二の丸御殿の東入口にあった唐門であったこと
・二の丸御殿の能舞台が招魂社として卯辰山に移築されて絵図から消されていること(能舞台は現在、中村神社拝殿)
など

新聞報道は少しずつ出てくるようですが

また「鼠多門」という名称について、古くから鼠が多くいた場所だからという説もありますが、鼠多門のあった玉泉院丸はもとは二代藩主夫人の玉泉院が住んだ場所でもあるので、それよりは「鼠多聞」というねずみ色の長屋櫓だったのが、金谷出丸が増設された後に通路として門と橋を作ったのではないか、と考えているそうです。私もその方が説得力があるように感じます。

1月例会

金沢城・兼六園研究会 1月例会
1月例会としては恒例となってきた金沢城調査研究所の木越副所長による講演会でした。お題は「城下町金沢異聞 高山右近、金沢に来たる!」
高山右近はマニラで1615年2月(和暦では1月)に亡くなっているので、来年度は没後400年ということで、高槻市など関係する市町ではイベントが企画されているとか。金沢にとって今年は右近を国外追放してから400年という不名誉な年になるのですが、海外からも注目される年になるかもしれませんね。
本会で長年編集してきた子供向け兼六園読本は少し趣旨を変更して頒布する運びとなりました。
「大名庭園・兼六園 読本 ~愛する人の輪をひろげよう~」
カラー写真で見所を紹介しながら、大名庭園の魅力や現在の課題が記されています。

7月例会 「利常の頃」について

7月例会 「利常の頃」について
今日は例会の日で、石川県郷土史学会幹事の横山方子さんの講演でした。
テーマは「利常の頃」ということで、利常の生存期に行った作事や作庭について勉強しました。横山さんは北國総研のふるさと講座の講師もしていて、その経緯で庭園に関係した人たちについても調べたようです。知らないことばかりでとても勉強になりました。

金沢城・兼六園研究会2月例会 研究発表会

金沢城・兼六園研究会の2月例会が開催されました。
金沢城・兼六園研究会2月例会
金沢は大雪です。美術館庭園も連日の雪で未踏の地となってしまいました。
金沢城・兼六園研究会2月例会
今日の発表は、
1.小堀遠州一族の墓について
2.兼六園・霞ヶ池の保存整備
3.福井大野城と能登小丸山城探訪
特に地元新聞で報道された小堀遠州家の墓地や住居地についての話はとても興味深いものでした。会員の中山さん、遠州流茶道金沢支部長などの整備にかけたご苦労は並々ならぬものですね。
今後本家のあったあたりに居住地跡の観光案内板が立つようです。現在ニューグランドホテル本館の建つあたりは遠州の姉の嫁ぎ先で、孫が本家に嫁いだ伊藤家のあった場所で、本家は今写真を撮っている後ろの別館の場所です。
ニューグランドホテル
尾張神社に近く観光の回遊性が見込めること、また保存会が設立され今後法要など宴会需要が見込めることなど双方の利害が一致したようです。
逆に分家の居住地は現在の金沢中央郵便局、こちらは部署をたらい回しにされたあげく、一民間人の申し出は受けられないからしかるところから・・・とか、また立て札立てるなら賃借料取るとか、役所対応も甚だしいとかで。地域貢献する気持ちが全くないようです。

金沢城・兼六園研究会 一月例会 「玉泉院丸庭園の魅力」

一月例会 「玉泉院丸庭園の魅力」
今日は金沢城・兼六園研究会の一月例会で、金沢城調査研究所の木越副所長による「玉泉院丸庭園の魅力」という講演でした。
講演の後、新年会が開かれるとあってか、いつもより参加者が多く会場となった広坂別館はいっぱいになりました。
発掘調査が始まって4年経ちましたが、遺構が次々と見つかって本格的な復元に向けて進められていますが、研究所ではその玉泉院丸に住んでいた人達も調査対象となっているそうです。

9月例会 「日記にみる加賀藩の武士の暮らし」

広坂別館で9月例会が行われました。
9月例会 「日記にみる加賀藩の武士の暮らし」
本日は、前田土佐守家資料館の学芸員である竹松さんによる「日記にみる加賀藩の武士の暮らし」というテーマで、加賀藩の下級武士であった中村豫卿の日記「起止録」について紹介されました。
今日紹介されたのは安政2年の11月。江戸で安政の大地震が起こった翌月の日記です。金沢でも東別院の火事騒ぎなどあったにしては、何か悠長な感じの日記でした。昔の方はおおらかに生きていたんですね。
翻刻は「金沢大学学術情報リポジトリ」から論文を見ることができます。探してみましたので、参考にしてください。
『起止録』 安政2年 [翻刻・校註]
「起止録」解説(嘉永二年)

7月例会 お江の生涯

今日は金沢城・兼六園研究会の総会でした。
7月例会 お江の生涯
郷土史家で作家の野村昭子さんが「お江の生涯」というテーマで講演されました。
7月例会 お江の生涯
いろいろと展示や本を見ていたので初見なことはなかったのですが、秀吉の側室だった京極龍子の祈願で建立された京都の誓願寺。建立の時には、まつが主柱を、ほかに加賀殿(麻阿姫)、大津殿(初9なども寄進をしているそうです。その誓願寺の梵鐘が金沢の東別院に藩政期に加賀の商人により寄進されたそうで、つい数年前まで使われていたということです。今は新しい梵鐘に変わっているとのことですが、旧誓願寺の梵鐘は近くに展示されているそうなのでいつか見に行こうと思います。

金沢城・兼六園研究会 5月総会

今日は、金沢城・兼六園研究会の5月総会の日でした。
金沢城・兼六園研究会 5月総会
今まで総会を行っていた石川県庁別館 生涯学習センターが取り壊されるので、今日は石川県立美術館ホールでの開催となりました。
金沢城・兼六園研究会 5月総会
今日は別の行事も重なっていたからか、総会は議決ギリギリの人数でしたが、21期加入者を含めて昨年より微減となった会員数は気になるところです。
金沢城・兼六園研究会 5月総会
研究会発足20周年記念と、兼六園開園記念を兼ねて金沢城・兼六園管理事務所と共催となった記念講演会は公開講座となり、一般の方が大勢入ってきて盛況です。
金沢城・兼六園研究会 5月総会
東京農業大学名誉教授の進士五十八氏による「日本庭園の魅力」は、進士氏の話し好きもあってか時間オーバーしましたが、庭園の成り立ちや特徴がよくわかりました。
金沢城・兼六園研究会 5月総会
20周年を迎えて、11年目から20年目のあゆみをまとめた記念誌もできました。
金沢城・兼六園研究会 5月総会
研究会誌「きくざくら」も20号の節目を迎えました。
そして、ここに記念すべき私の処女論文が掲載されました。
金沢城・兼六園研究会 5月総会
「加賀前田家の城に残る五芒星の刻印」
とても嬉しいですね。これからも頑張ろう!

金沢城兼六園研究会 1月例会 「加賀藩から見た金沢城」

今日は大雪でした。今年は雪も雷も多いですね。
金沢城兼六園研究会
そんな中開かれた1月例会ですが、例会後に新年昼食会があるからなのか参加者がいつもより大目ですね。会場となった広坂別館はいっぱいになりました。
金沢城兼六園研究会
例会は金沢城調査研究所副所長の木越隆三氏による「加賀藩から見た金沢城」というテーマの講演会でした。
「近世」という時代の位置付けから始まり、「藩」という用語が持つ学術的な意義と歴史、利常が行った「御改作」とそれ以後の「改作法」の違い、金沢城が果たした意義について持論が展開されました。時間が余ったら最近新聞にも載った与力町の広がりについて話がある予定でしたが、また機会があるときになったのが残念でした。
昨年はNHK大河が幕末を扱ったこともあり、藩が果たした意義に関する講演会もいくつかありましたが、藩というイメージが少し変わってきました。これは知識が少し深まってきたということでしょうか?