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ネットで入手した。
登録有形文化財データ
所在地:三重県松阪市魚町1643他
種別:住宅
年代:江戸末期
構造:木造平屋建
建築面積:130m2
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ネットで入手した。
登録有形文化財データ
所在地:三重県松阪市魚町1643他
種別:住宅
年代:江戸末期
構造:木造平屋建
建築面積:130m2
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配布日:2024年4月26日~
配布場所:敦賀鉄道資料館
ネットで入手した。
配布時は表面にシールが貼ってある。
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配布場所:高遠さくらホテル、菅平ダム
配布日:2018年7月21日~2018年9月30日
取得日:2024年12月16日
取得の追加事項:ダムスタンプラリーを完走制覇する
ネットで入手した。
「長野県電気事業60周年記念 ダムスタンプラリー2018」で長野県内ダム11ヶ所(高遠・菅平・湯の瀬・美和・小渋・味噌川・裾花・奥裾花・横川・箕輪・片桐)を完走制覇した人が入手できたスペシャルダムカード2枚のうち1枚、もう1枚はアルクマ(ダムバリエーション)。
発電所データ
所在地:長野県伊那市高遠町
最大出力:199kW
最大使用水量:1.10m3/s
最大有効落差:23.0m
型式:ダム式(D)
水車型式:横軸フランシス(HF)
管理者:長野県企業局
運転開始:2017年4月1日
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配布場所:玉来ダム建設事務所(9:30~12:00 13:00~16:00、土・日・祝日及び年末年始を除く)
配布日:2016年1月~
取得日:2024年12月16日
取得の追加事項:
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ダムデータ
所在地:大分県竹田市
河川名:大野川水系玉来川
型式:重力式コンクリートダム
ゲート:オリフィスによる自然調節X2門
堤高:52.0m
堤頂長:145.0m
流域面積:87.0km2
総貯水容量:409万m3
管理者:大分県
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配布場所:玉来ダム建設事務所(9:30~12:00 13:00~16:00、土・日・祝日及び年末年始を除く)
配布日:2015年3月~
取得日:2024年12月16日
取得の追加事項:
ネットで入手した。
ダムデータ
所在地:大分県竹田市
河川名:大野川水系玉来川
型式:重力式コンクリートダム
ゲート:オリフィスによる自然調節X2門
堤高:52.0m
堤頂長:143.0m
流域面積:87.0km2
総貯水容量:409万m3
管理者:大分県
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配布場所:紀伊山系砂防事務所 五條監督官詰所(8:00~19:00)
配布日:2024年6月~
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砂防施設データ
所在地:奈良県五條市大塔町
河川名:新宮川水系川原樋川赤谷川
形式:砂防堰堤、床固工群、渓流保全工
規模:崩壊土砂量約1138万m3(幅460m、長さ850m)
施工者:国土交通省
着工:2011年
完成:2024年
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配布場所:紀伊山系砂防事務所 五條監督官詰所(8:00~19:00)
配布日:2022年10月~
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砂防施設データ
所在地:奈良県五條市大塔町清水
河川名:新宮川水系熊野川(十津川)
形式:擁壁、法面保護、排土、斜面抑止
規模:高さ350m、長さ220m
施工者:国土交通省
着工:2011年
完成:2021年
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配布日:2024年4月26日~
配布場所:鯖街道ミュージアム
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配布時は表面にシールが貼ってある。
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配布日:2024年4月26日~
配布場所:若狭鯖街道熊川宿資料館宿場館
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配布時は表面にシールが貼ってある。
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配布日:2024年10月3日~
取得日:2024年12月13日
取得額:各350円
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城データ
所在地:佐賀県佐賀市城内2-18-1
築城年代:天正年間(1573~92)、慶長13年(1608)
築城者:鍋島直茂・勝茂
主要城主:鍋島氏
指定文化財:鯱の門及び続櫓(国重要文化財)、佐賀城跡(佐賀県史跡)、御座間(佐賀県重要文化財)
現存建造物:鯱の門及び続櫓、御座間
再建建造物:本丸御殿の一部
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インフラデータ
寸法:2.16mX4.56mX2.25m
総重量:2600kg(水投入前)、5000kg(水投入後)
装備内容:洋式水洗トイレ(2室)、擬音装置、非常用ボタン、手すり、化粧鏡、換気扇、サニタリーボックス、炎・人感センサー、衣類用フック、室内照明、非常用照明、音声再生機、室内コンセントAC100V
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配布日:2024年9月3日~
配布場所:高岡市伏木北前船資料館
先日カード配布情報を見つけたのでまだ残っているか伏木北前船資料館に行って来た。
後ろの建物の屋根から飛び出た部分が気になる。
建物は高岡市歴史的風致形成建造物に指定されている。
敷地はかつて越中国府のあった台地の北東角にあり、北側と東側が急坂となっている。北側は土盛りをして石垣を築いている。
その土盛りの敷地は母屋の北庭となっていて、居住区としていないのはいにしえの知恵なのだろう。
秋元家は安芸(広島県)の出身で、当初廻船問屋の許可が加賀藩から下りなかったため、船員の宿屋から始めたという。そのため客室が広くとられている。他に主人の部屋、仏間と接待用に茶室を備えている。
奉公人はこの急階段を上って2階に部屋(非公開)があった。
母屋の外廊下を通って、奥の土蔵に行くことができる。
高岡は藩政期から鋳物が特産品であったため、蝦夷(北海道)にニシン鍋を売り、そのニシンを肥料として買い付けていた。
奥がニシン鍋で手前は鍋を作る型という。
土蔵は現在北前船関係の引札や関係品の展示室となっている。土蔵の上に部屋を作って屋根を架けるという変わった建物の屋根の上に飛び出した望楼がある。2階の部屋に上がり、さらに望楼へと続く狭い急な階段を上ることもできる。
(ひざが悪い人にはお勧めしない)
階段の正面には光を取り入れる小さな窓。入口の天井を見ると半円形になっていて壁も巧みに曲線を描いていて美しい。
望楼の部屋に入る。
昔はここから地平線を監視して持ち船が見えたら合図する部屋だったそうだが、今は海岸まで建物が建ち並んでいて地平線もよく見えなくなってしまった。
日本遺産の指定パネル。思っていたより見どころが多く興味深かった。
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