編集:相模原市教育委員会
発行:相模原市教育委員会
発行日:1987年1月31日
ページ数:50P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「本調査は、博物館の展示計画の基礎資料を得ることを目的として、市域の中世城郭の所在と規模を明らかにするために総合調査を実施したものであります。」
書評:
写真は少なめですが、地籍図からみる城館の範囲の推測や歴史調査など貴重な資料です。
歴史群像 No.109 関東管領上杉謙信 ダンケルクの奇跡
出版社:学研
発行日:2011年9月6日
ページ数:192P
定価:980円(5%税込)
オススメ度:★★★☆☆
書評:
現在も発売されている「歴史群像」の第109号。日本史の注目は「関東管領上杉謙信」「武蔵幸垣城」です。今号は日本史中世は少ないですね。特集以外の内容が不明な場合が多いので目次を参考にして下さい。
歴史群像ホームページ
江戸三〇〇藩 城下町をゆく 双葉新書030
茅ケ崎城
編集・発行:横浜市埋蔵文化財センター
発行日:1981年3月31日
ページ数:70P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「今回の調査によって、掘・土塁などの遺構が極めて良好な形で残っていることが判り、小田原北条氏の重臣笠原氏の居城である小机城の支城として北の守りを固めたとされる往時の姿を彷彿とさせました。」
書評:
市街地近くにありながら、ここまで良好に遺構が残存しているのは奇跡ですね。
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白鳥城跡試掘調査概要(Ⅱ)
編集:富山市教育委員会
発行:富山市教育委員会
発行日:1983年3月31日
ページ数:32P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「富山市教育委員会では、市内唯一の中世山城「白鳥城跡」の概要を把握し、活用方法を検討するため昭和55年度に第1次の試掘調査を実施し、礎石や敷石状遺構などが良好に遺存しているのを確認した。今回調査は、それを継続しD郭(俗称、西一の丸)の遺構の状態を確認しようとするもので、グリッド法により行った。調査では、礎石や石組溝などの遺構を現地表面下に検出し、かつての公園化事業に伴う表層土削平にもかかわらず、その大部が良好に遺存するのを認めた。また、D郭北東の空堀では弥生系高地性集落の環濠の検出があり、当該遺構の県域初の例として注目される。」
書評:
白鳥城跡の発掘調査ではあるが、注目は弥生系の環濠にいっている感のある。ここでも礎石が残っていたようで何よりですね。
白鳥城跡試掘調査概要 昭和55年度富山市埋蔵文化財調査報告2
編集:富山市教育委員会
発行:富山市教育委員会
発行日:1981年3月31日
ページ数:22P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「富山市教育委員会では、市内唯一の中世山城「白鳥城跡」の概要を把握し、活用方法を検討するため、今回試掘調査を実施した。今回の調査は、A郭(俗称、本丸跡)、B郭(本丸下郭跡)、C郭(北二の丸跡)東端の堀切、を対象とし、グリッド法により行った。A郭及びC郭東端堀切では遺構の遺存状態が、公園化事業に伴う削平にもかかわらず、極めて良好であった。B郭では遺物も少く、遺構の検出はできなかった。」
書評:
礎石と敷石状遺構が発見されています。先に公園として整備されていますが、公園化による破壊の程度も場所によっては非常に軽いようです。秀吉の越中攻めの拠点となった重要な城跡ですが、現在この発掘の成果が現地にあまり活かされていないのは残念です。
西方館 中世城館跡発掘調査報告書 三春町文化財調査報告書第13集
編集:建設省三春ダム工事事務所、三春町教育委員会
発行:三春町教育委員会
発行日:1992年3月30日
ページ数:58P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「戦国時代の三春は、三春城を居城とする田村氏によって治められていました。西方館は、「西方水かけまつり」で有名な西方集落の東の山頂にある山城で、地元では霧館と呼んでいます。この城は、三春南部の2つの重要な道筋が合流する地点にあるために、本城三春城の南方を支える重要な城だったようです。今回西方館のほぼ全域を発掘調査いたしましたが、土塁や建物跡が発見され、当時の城の様子がかなり明らかとなりました。建物の一部については、復元してみましたので、当時の城のおおよその姿は偲んでいただけると思います。」
書評:
西方館は山頂にある館跡でありますが、実際に住んだ場所ではなく、戦闘時の砦跡のようです。城がまるごと残っていることから、この地方の臨時用砦跡の貴重なサンプルです。
根城 本丸の発掘調査 八戸市埋蔵文化財調査報告書第54集
編集:八戸市教育委員会
発行:八戸市教育委員会
発行日:1993年3月31日初版、2001年6月1日第二版
ページ数:211P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「史跡根城跡は、北奥の中世を代表する南部氏の城館跡であり、その長い歴史は、現在、国の重要文化財となっている「南部家文書」などをひもとくことによってあらましを知ることができます。昭和47年から史跡の公有化とともに、史跡公園として積極的活用を図るという計画が立案され、史跡整備の基礎資料を得るため、昭和53年から本丸の発掘調査に着手しました。発掘が進むにつれ、私どもの中世城館に対する認識の甘さと、幾度となく建て替えられた建物のもつ歴史の重さを痛感するようになりました。試行錯誤で続けた発掘調査は補足調査まで加えると12年という年月を要していました。しかし、この調査によって本丸の当時の姿が現在に蘇り、中世史研究の上で大きな成果をあげることができました。」
書評:
何度も建て替えられた建物跡は全17期、老朽化のためか、騒乱による火災のためか、いずれにしても興味深い調査結果です。大判の付図がとても参考になります。
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