野上塩之入遺跡 塩之入城遺跡 山間部における奈良・平安時代の集落と中世山城の調査

野上塩之入遺跡 塩之入城遺跡
編集・発行:財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
発行日:1991年3月25日
ページ数:カラー図版1P+134P+図版28P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書第121集
関越自動車道(上越道)地域埋蔵文化財発掘調査報告書第7集
「野上塩之入遺跡は、群馬県富岡市野上の鏑川右岸に広がる丘陵地上に所在する。間に谷地を挟んで東側のA区、西側のB区に分かれる。調査により、中近世の溝、土坑、奈良・平安時代の竪穴住居跡、炭焼窯跡、縄文時代の竪穴住居跡、土坑、先土器時代の石器等が検出された。塩之入城遺跡は、群馬県富岡市野上に所在し、野上塩之入遺跡B区から谷地を隔てて西に位置している。調査により、中世城郭跡、古墳が検出された。
塩之入城は、北西隅の平坦面を主郭部とし、南東の斜面を利用して曲輪を築いており、7カ所曲輪を確認した。主郭部からは、虎口、土塁状の高まりが検出されているが、建物跡は他の曲輪を含めて、1棟も検出されていない。頭部には浅間A軽石を含んだ土坑があり、炭化材が出土しているため、烽火台としての機能も考えられる。古墳は横穴式石室を持つ後期古墳であるが、城郭築造時に大きく削平されている。」

塩之入城は藤田氏が鏑川周辺に複数展開した城・砦のひとつ
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道後公園整備工事報告書(湯築城跡)

道後公園整備工事報告書 湯築城跡
編集・発行:愛媛県土木部道路都市局都市整備課、愛媛県松山地方局
発行日:2003年2月
ページ数:カラー図版15P+263P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「道後公園は、松山市の中心部松山城から直線で東に約2km、JR松山駅から東へ3.5km、市内交通の起点である伊予鉄松山市駅から北東へ約2.5kmの距離にあり、石手川が道後平野に流れ出て形成した扇状地の右岸に位置する小さな独立丘陵である。道後公園内には、市内観光の拠点松山市立子規記念博物館があるほか、大正及び昭和期には温泉浴場があり、また昭和25年には、古くから明治中期まで道後温泉で使用されていた「石造湯釜」(県指定有形文化財)を公園内に移設し湯釜薬師としてまつられたり、道後温泉の源泉があるなど、温泉にも縁が深い。公園は、中世湯築城跡のほぼ全域を包含する範囲で、その形状は外堀を含め南北350m東西295m、中央部は海抜約70m(比高約30m)の丘陵地となっている。昭和62年に道後動物園を閉園し、旧動物園区域は日本庭園として整備することとして、昭和63年度から埋蔵文化財調査を行った。」

湯築城である道後公園の整備完了に関わる報告書であり、道後公園の整備の計画・設計図・経緯などを掲載する。整備に先立ち徴された湯築城の歴史や城主、発掘調査成果なども簡潔に掲載する。
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千葉市生実城跡 昭和63年度・平成3~6年度調査

千葉市生実城跡
編集・発行:千葉市教育委員会、財団法人千葉市文化財調査協会
発行日:2002年3月31日
ページ数:210P+44P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「生実城跡は、村田川の北方約2.5km、西側に海岸低地を望む標高約17~21mを測る台地上に立地している。この台地の南と北側には赤井谷津の支谷、西側は海岸低地を望む急峻な崖地を呈し、東側には生実台地を北東から廻る谷津で囲まれており、自然地形を利用した城跡を形成している。城域は推定でおよそ32万m2におよぶ大規模なものだが、生実城の中心域は昭和44・45年の団地造成に伴い破壊され、現在はその旧状を伺い知ることはできない。また、周囲の大部分も宅地化が進行するなどにより地形が大きく改変されており、生実神社西側の空堀と大手口付近の土塁が僅かにその名残をとどめているにすぎない。」

生実城の部分的発掘調査報告書であるが、城主であった原氏系譜、編年表や城跡や後の陣屋の復元図などが掲載され、総合的な内容となっている。
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史跡若松城跡 干飯櫓・南走長屋復元事業報告書

若松城跡干飯櫓・南走長屋復元事業報告書
編集・発行:会津若松市
発行日:2002年3月
ページ数:カラー図版4P+109P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「本報告書は、史跡若松城跡総合整備計画の一環として、平成9年度~平成12年度に行った干飯櫓・南走長屋復元事業の報告書で、若松城の概要、復元に至るまでの調査研究、資料、実施概要、記録写真、図面などを収録したものである。」
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盛岡城跡 昭和59年度発掘調査概報

盛岡城跡
発行:盛岡市教育委員会
発行日:1986年3月31日
ページ数:43P+図版12P+附図1枚
定価:不明
オススメ度:★★★★☆
「築城から400年近い歳月、石垣は盛岡の発展を見まもってきましたが、記念石垣のいたみがめだちはじめ、これの解体修理を実施することになりました。まさに昭和の大修理ともいうべき大規模な工事です。工事に先立ち発掘調査も実施することになり、これまで文献や絵図でしかうかがうことのできなかった盛岡城に初めて発掘というメスがいれられることになったわけです。その調査成果は各方面から注目をあびているものと思いますが、この報告書は昭和59年度分のものです。」

書評:
調査により石垣遺構は4期にわかれ、3期に石垣が積まれているようです。石垣修理の初年度分報告であり、城郭平面図が掲載されています。
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第6回北日本近世城郭検討会 東日本大震災による城郭の被災

第6回北日本近世城郭検討会 東日本大震災による城郭の被災
編集:北日本近世城郭検討会 仙台大会事務局
発行:北日本近世城郭検討会
共催:仙台市教育委員会、仙台市博物館
発行日:2011年8月21日
ページ数:68P
定価:非売品
オススメ度:★★★☆☆
「この度稀有の3.11大震災では、東日本の領域で前例のない損害を被りました。この機に本会設立の趣旨に沿い、各城郭の被災の実態とそこからわかった問題点、修復石垣の有効性などを報告し、会員はじめ石垣修復技能者・土木技術者・広く市民共ども情報を共有し、復旧の一助となるよう期待致します。」

書評:
東日本大震災によって多くの文化財も崩壊しましたが、人命第一なのでこうした情報がなかなか入ってこないところが少しもどかしかったです。本書では東北の主な城跡について地震による被害情報を報告しています。石垣の崩壊がやはり多いですね。モノクロですが多くの写真も掲載され、状況が把握できます。
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小戸A遺跡・小戸館跡発掘調査報告書 新発田市埋蔵文化財調査報告第5

小戸A遺跡・小戸館跡発掘調査報告書 新発田市埋蔵文化財調査報告第5
編集・発行:新発田市教育委員会
発行日:1983年3月31日
ページ数:20P+図版8P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「このたび、市道小戸線の拡幅改良工事に伴い、小戸A遺跡・小戸館跡の発掘調査が実施された。市内では、近年発掘調査が相次いでいるが、その多くは菅谷地区に集中しており、本遺跡が加治川流域における初めての発掘調査である。」

書評:
発掘面積が少なかったため、城跡の建物跡などは発見されていないが、現況から判断できる土塁や掘、虎口など館跡の全体の調査が行われたようです。
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蔵王堂城址発掘調査報告書

蔵王堂城址発掘調査報告書
編集:長岡市教育委員会
発行:長岡市教育委員会
発行日:1981年4月30日
ページ数:19P+図版18P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「この調査報告書は昭和53年10月と昭和54年9月から10月にかけて発掘調査を実施した、本市指定文化財蔵王堂城址の発掘調査の記録です。蔵王堂城は南北朝時代にはこの地方の中心として、宮方と足利方の争奪の拠点であった。くだって慶長年間には掘親良や直竒の居城となり、元和4年に長岡城が築城されたため廃城となりました。」

蔵王神社の境内となっている蔵王堂城の発掘調査記録です。堀に数カ所トレンチを掘って調査しています。
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中山砦 発掘調査報告書 甲斐丘陵考古学研究会調査報告第4集

中山砦 発掘調査報告書 甲斐丘陵考古学研究会調査報告第4集
編集:中山砦発掘調査団
発行:武川村誌編纂室
発行日:1981年4月30日
ページ数:17P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「村指定史跡「中山塁」は、下三吹地区にある中世の烽火台を兼ねた山城で、武川衆武士団がその拠点とした所であります。当村は、昭和54年以来、村史編纂を進めています。その資料整備の目的もあって、史跡中山塁の学術的調査を計画しました。」

書評:
武川衆の拠点であった信濃国境近くの甲斐中山砦の現況調査とトレンチ調査。砦という名ながら、歴史書にも幾度と無く登場する有名な砦のようですね。

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