平出遺跡群発掘調査報告書 県道長野・荒瀬原線バイパス工事に伴う発掘調査

平出遺跡群発掘調査報告書 県道長野・荒瀬原線バイパス工事に伴う発掘調査
発行:牟礼村教育委員会
発行日:1992年3月30日
ページ数:92P+図版40P
編集:平出遺跡群発掘調査団
定価:1,000円(5%税込)
オススメ度:★★★☆☆
「平成の時代を迎え、村びとの悲願でありました北国街道改良計画が実現の運びとなり、平出地籍は県道の西側にバイパスが建設されることになりました。平出遺跡群が、この計画線上に点在していることから、県教委のご指導のもと、平成元年に遺跡確認の試堀調査を行い、その所在を確かめながら調査地点を4カ所にしぼって、平成2~3年にわたり本発掘を行いました。」

書評:
牟礼村(現在の飯綱町)平出地区の遺跡群の発掘調査報告書である。長野市と境を接する平出地区には川中島合戦で上杉軍が砦を築いた髻城山(髻城、もとどりじょう)がある。本丸は長野市側であるが、城山の北半分、当時の領主は平出側だったということで、歴史的経緯の解説の中で髻城の解説と縄張図が載っている。
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矢筒城館跡(第2次発掘) 長野県牟礼村矢筒城(空堀)遺跡発掘調査報告書

矢筒城館跡(第2次発掘) 長野県牟礼村矢筒城(空堀)遺跡発掘調査報告書
発行:牟礼村教育委員会
発行日:1988年10月31日
ページ数:18P+図版6P
編集:矢筒城館跡発掘調査団
定価:1,000円(5%税込)
オススメ度:★★★☆☆
「飯綱病院建設着手にあたり、『矢筒城館跡』の発掘が、昭和54年に行われ、一定の成果が収められてまいりましたが、このたび、この病院の東隣りに、飯綱健康管理センターの建設が計画され、宅地造成のため、矢筒城空堀の一部に損傷をうけることになったため、空堀の構造調査を主目的とした発掘調査が、矢筒城第2次発掘として行われました。山城の空堀の構造は、発掘例が少く、調査前から注目されるところでありましたが、予想通りの成果が得られ、室町、戦国時代の空堀に、一つの解明が得られましたことは、大きな喜びであります。」

書評:
矢筒城の空堀発掘調査報告です。城館全体の発掘調査は昭和54年に行われ、第1次発掘調査報告書が発行されているが、現在は入手できない。
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徳川大坂城東六甲採石場Ⅰ -芦屋墓園拡張工事に伴う奥山刻印群K地区内の事前発掘調査- 芦屋市文化財調査報告第31集

徳川大坂城東六甲採石場Ⅰ -芦屋墓園拡張工事に伴う奥山刻印群K地区内の事前発掘調査- 芦屋市文化財調査報告第31集
編集・発行:芦屋市教育委員会
発行日:1998年3月31日
ページ数:62P+図版16P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「芦屋市街地の北緑、表六甲の山裾の標高130メートルの高台に芦屋市墓園があります。この墓園の拡張工事の計画が市担当部局より提出され、この区域内は貴重な文化財として天下の大坂城の石切場の一角に該当することから、教育委員会社会教育部文化財課では、工事前に関係石材の保護や記録保存を目的とした発掘調査を行うことになりました。本書はその成果物であり、調査は平成5年初秋に行われておりましたが、遺憾ながら、報告書として刊行するまでの出土品の整理や原稿執筆の時期に、不幸にも阪神・淡路大震災が起こり、諸作業が完全に頓挫してしまいました。このたび、ようやく成果の一端が整い、実施された調査の概要がまとめられましたので、ここに公にいたします。」

書評:
徳川家が外様大名に行わせた大坂城石垣の天下普請の採石場の一つの発掘調査報告書です。本書の対象となった地区は刻印から長州毛利家の採石場と考えられる。本書は配布のないものだと考えられるが、運良く古書として入手することができた。
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金沢城跡石川門前土橋(通称石川橋)発掘調査報告書Ⅱ

金沢城跡石川門前土橋(通称石川橋)発掘調査報告書Ⅱ
編集・発行:石川県埋蔵文化財センター
発行日:1998年3月30日
ページ数:247P+図版106P
定価:非売品
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「本報告書で第1分冊の報告を再録するのは、金沢御堂時期の遺構の時期と重ならないものの、土橋が金沢御堂の時期に構築されて江戸時代に継承される。そして、さらに発展的に使われており、金沢城そして金沢御堂で重要な施設であったことが推測される。したがって、本報告でもその歴史的展開をふまえる必要がある。また、先の第1分冊では遺物写真を載せることができなかったので、年代の指標となるような、そして問題となるような遺物は、本書でできる限り実測図面も再録した。第1分冊の報告であつかったのは、沈床園調査区と、石川門調査区、兼六園調査区の3箇所で、白鳥堀調査区の金沢御堂期の包含層直上、すなわち土橋の盛土までであった。なお、第1分冊は、近世近代編として編集したものの、沈床園調査区の6層以下、石川門調査区の盛土6が16世紀後半の金沢御堂期に属するものであるが、記述の便宜上そこで報告した。したがって、詳しい調査成果は第1分冊を参照していただきたい。」
金沢城石川門前の発掘調査報告書の2分冊目である。本書では主に白鳥堀側の調査結果と遺物を掲載している。調査では、金沢御坊時代の土橋、藩政期の土橋、辰巳用水の木管などが発掘された。
本書は残念ながら一般販売はされておらず入手できなかったので、図書館で借りて一部コピーを所持している。
<2011/1/22追記>
昨年古書を入手しました。最近ようやくポツポツと古書に出てくるようになりました。

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金沢城跡石川門前土橋(通称石川橋)発掘調査報告書Ⅰ

金沢城跡石川門前土橋(通称石川橋)発掘調査報告書Ⅰ
編集・発行:石川県埋蔵文化財センター
発行日:1997年3月30日
ページ数:260P+図版41P
定価:非売品
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「金沢城石川門と兼六園をつなぐコンクリート製橋梁を『石川橋』という。明治43年に起工され、明治44年に完成している。当該箇所は、それまでは百間堀と白鳥堀を区分けする土手であった。つまり、百間堀と白鳥堀の水を抜いて、土手に石川橋というトンネルを作って道をつけたのである。この道は現在県道寺町今町線といい、通称『百間堀通り』と呼ばれ、兼六園下交差点から広坂交差点へ抜ける主要な幹線道路として激しい交通量がある。さらに、人間もまた、観光客をはじめとして徒歩で広坂に通勤する人々、あるいはそこに通って通学する生徒の主要な交通路でもあるが、歩道がないという構造的欠陥がある。」
金沢城石川門前の発掘調査報告書の1分冊目である。本書では主に土橋そのものと百間堀側の調査結果を掲載している。調査では、金沢御坊時代の土橋、藩政期の土橋、辰巳用水の木管などが発掘された。
本書は残念ながら一般販売はされておらず入手できなかったので、図書館で借りて一部コピーを所持している。
<2011/1/22追記>
昨年古書として入手できた。本書は写真が多いので特に重宝する。

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金沢城跡車橋門発掘調査報告書

金沢城跡車橋門発掘調査報告書
編集・発行:石川県埋蔵文化財センター
発行日:1996年3月29日
ページ数:56P+図版18P
定価:非売品
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「金沢城の周りには、百間堀・白鳥堀・大手堀・いもり堀などが掘られ、それには主として土橋が架けられ、石川門・尾坂門・西丁口門・甚右衛門坂門・鼠多門・車橋がある。この度発掘調査を行った車橋門跡は、最も広い水面をなした百間堀といもり堀の間に設けられたもので、城域の南端部に位置する。金沢城の南は、小立野台地や笠舞段丘に続き、山沿いから攻めてくる敵勢に対しては、非常に重要な防備地点に当たる。また、車橋は本丸・東の丸の最も近い地点に位置することも、この橋のもつ特徴の一つといえよう。ただ、車橋門を通り抜けても、その前面には高い石垣が立ちはだかっており、直ちに主郭部には通じず、左手の御花畑と長屋群を通り薪の丸に入るか、右手の水之手門に回り鶴の丸に入るのが城内へのコースとなろう。だから金沢城の正門は、あくまでも石川門や尾坂門だったのであり、平時の車橋は通用門としての役割を果たしたものと思う。また、本来的には水位の異なる百間堀といもり堀を水堀として維持するための仕切り土手として必要だったのであり、橋と門は二次的に付加されたものかも知れない。」
調査区は当時テニスコートで現在はいもり堀として復元予定の場所の東端である。車橋はいもり堀と石垣の間にある歩道の入口付近にあった。本発掘調査の南側は後日いもり堀発掘調査のときも再度調査され、現在は鯉喉櫓台跡として復元を待つばかりになっている。車橋は現在百間堀が道路となっている現況からも復元の可能性は極めて低いので、本調査から往時の姿を想像してみるのも悪くない。
本書は残念ながら一般販売はされておらず入手できなかったので、図書館で借りて一部コピーを所持している。

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石川県羽咋郡宝達志水町 末森城等城館跡群発掘調査等報告書

石川県羽咋郡宝達志水町 末森城等城館跡群発掘調査等報告書
編集・発行:石川県教育委員会、石川県埋蔵文化財センター
発行日:2007年3月26日
ページ数:78P+図版18P+付図2枚
定価:非売品
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「本町では、昭和60年度以降、末森城跡と御舘館跡の遺跡調査を進めてまいりました。その結果、末森城跡は各種文献が示すように、羽咋郡南部の統治に係わる戦国時代屈指の山城であり、御舘館跡は北陸地方を代表する巨大な平地館城であることが確認されました。この地域には、両城館跡に関する伝承も多く、今日まで数々の開発事業から遺跡が守られてきたのは、地元の方々の熱い思いと努力によるものであると思っております。
 平成14年度から新たな調査委員会を結成し、旧押水町に所在する末森城跡、御舘館跡、坪山砦跡の保存活用を目的とした学術調査を続けて来ましたが、平成17年3月に志雄町、押水町が合併し、宝達志水町が誕生するに至り、旧志雄町に所在する三日城跡、萩市城跡、菅原館跡、国田館跡を含めて、七箇所の城館跡を対象とした幅広い調査を行う必要があると考えております。調査事業は始まったばかりで、解明すべき事柄も数多く残存しております。本報告書は、今後の解明に対する問題提起であるとともに、さらに発展した調査や整備へ移行する際の基礎資料になれば幸甚に存じます。」
石川県羽咋郡宝達志水町の末森城跡と御舘館跡などのこれまでの調査をまとめた総集編ともいうべき報告書である。末森城は前田利家と佐々成政の「末森の合戦」の舞台となったところで、末森城が前田軍の支城、佐々軍の陣は坪山に砦を築いて対陣した。
本書は残念ながら一般販売はされておらず入手できなかったので、図書館で借りて一部コピーを所持している。

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小松市小松城跡 石川県立小松高等学校改築工事に係る埋蔵文化財発掘調査報告書

小松市小松城跡 石川県立小松高等学校改築工事に係る埋蔵文化財発掘調査報告書
編集・発行:石川県教育委員会、石川県埋蔵文化財センター
発行日:2007年3月31日
ページ数:78P+図版20P
定価:非売品
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「本書は小松城跡の第1次~第4次発掘調査報告書である。本遺跡の調査は、石川県立小松高等学校の校舎改修工事を原因として行われたものである。新校舎への改築は、旧校舎を使用しつつ段階的に解体を進める計画であった。工事は、平成12・13年度にかけて講堂と特別教室棟、平成14・15年度に管理教室棟、平成16・17年度に生活学習センター棟の順に行われた。調査はその工程に併行して実施することになったが、調査可能範囲は新校舎建設予定地で、且つ現在使用中の既存校舎及び付随施設が存在せず、さらに既存の校舎に影響を及ぼさない区域に限定された。やや入り組んだ形状を呈する調査区があるのはこのためである。」
小松城跡における8年分の発掘調査の報告書です。第一次調査では本丸や二の丸の石垣や井戸跡が出てきたようです。調査区域が限られていたのが残念です。
本書は入手できなかったので、図書館で借りて一部コピーを所持している。

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志賀町館開遺跡群 県営ほ場整備事業(土田地区)に係る埋蔵文化財発掘調査報告書

志賀町館開遺跡群 県営ほ場整備事業(土田地区)に係る埋蔵文化財発掘調査報告書
編集・発行:石川県教育委員会、石川県埋蔵文化財センター
発行日:2006年3月31日
ページ数:68P+図版24P
定価:非売品
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「本書は館開テラアト遺跡、館開城跡、仏木新林遺跡、得田氏館跡の発掘調査報告書である。」
石川県羽咋郡志賀町館開・徳田地区にまたがるほ場整備に伴う発掘調査である。またがると言っても、細長くトレンチを何箇所か開けたに過ぎず、全容解明というほど大掛かりなものではない。陶磁器など多数の遺物がでたようであるが、館開城や得田氏館について建物跡は出なかったようである。
本書は入手できなかったので、図書館で借りて一部コピーを所持している。

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岡山城二の丸跡 中国電力内山下変電所建設に伴う調査報告

岡山城二の丸跡 中国電力内山下変電所建設に伴う調査報告
編集・発行:中国電力内山下変電所、建設事業埋蔵文化財調査委員会
発行日:1998年3月初版
ページ数:カラー図版8P+237P(図版55P含む)
定価:非売品
オススメ度:★★★☆☆
「中国電力内山下変電所は岡山城本丸の南西に位置する大手門の東に所在しますが、この場所は緒山城二の丸にあたり、かつては家老や番頭の一部など上級藩士の屋敷が建ち並ぶところであり、『岡山城下町絵図』等によれば、当地は岡山藩第3家老の池田伊賀守の上屋敷を構えた土地で、内でも当発掘区はその北西隅にあたるところであります。このたび、中国電力内山下変電所を新築することになったため、岡山市教育委員会では工事に先立って平成5年11月と平成6年2月の2回確認調査をを実施し、その結果、中国電力株式会社、岡山県教育委員会、岡山市教育委員会の三者による調査委員会を組織して、平成6年8月から発掘調査を実施しました。
 調査の結果、近世と中世の遺構を検出しました。近世は承応3年(1654)の洪水砂を基準にして4時期に大別され、古くは宇喜多氏による初期城下町整備に伴う遺構、家老池田伊賀守の屋敷遺構、新しくは幕末から昭和期の遺構まで、安土桃山時代から太平洋戦争直前にまでおよぶ各時期の遺構を検出しました。」

書評:
ところどころにカラーの写真や図版が挿入されページ数以上に(紙質のため)分厚い報告書となっている。大半は遺物の写真であるが、なかなか興味深い出土物もあるので、岡山城を研究するときは一読されるとよいでしょう。
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