福谷城跡第4次発掘調査概要報告書

福谷城跡第4次発掘調査概要報告書
発行:三好町教育委員会
発行日:1990年3月31日
ページ数:18P+図版11P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「福谷(うきがい)城跡の調査は、昭和59年度 地形測量等調査、昭和61年度 第1次発掘調査、昭和62年度 第2次発掘調査、昭和63年度 第三次発掘調査と実施されている。これら一連の調査は、福谷城跡の範囲の確認、遺構の性格の把握を目的として実施し、学術的究明と、将来の文化財の保護、活用に向けての基礎資料を得ることにあった。今次調査もまたその例外ではない。第1次から第4次に至る調査の全体計画は、福谷城跡の中心部分と考えられるⅠ郭部分から、順次周囲の郭や諸施設を明らかにしていくものであった。特に第4次調査は、福谷城跡の北東部に北方向に延びている堀の遺構検出と性格の解明、およびⅢ郭の建物遺構の検出と構築状況の解明を期し実施した。」
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国指定史跡 石垣山一夜城跡現況調査報告(増補版)

国指定史跡 石垣山一夜城跡現況調査報告(増補版)
発行:小田原城郭研究会
発行日:1989年5月31日
ページ数:61P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「本報告は1988年度の小田原郷土文化館研究報告の紙面の提供をうけて、小田原城郭研究会が作成したものである。小田原城郭研究会は、かつて本館研究報告九『石垣山一夜城址調査報告』(1973年)を概報として発表した。その後も調査は継続され前回報告書の担当者の多くは交代し、また調査の進展に伴い、遺構全域にわたる理解についても少なからず改訂を要するため、本報告は前回報告の内容に拘束されず、全く新たな体裁でまとめられた。」

書評:
豊臣秀吉の小田原攻めの際の本陣跡である石垣山一夜城に関する平成元年当時の状態調査の報告書です。各遺構について現在の状態と古図との比較のなかで検討されている貴重な書籍である。
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増山城跡調査報告書 -よみがえる戦国の山城と城下町-

増山城跡調査報告書 -よみがえる戦国の山城と城下町-
発行:砺波市教育委員会、砺波郷土資料館
発行日:1991年3月
ページ数:138P+付図3枚
編集:高田徹
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「増山城は砺波平野の東部山中、射水郡との境に位置する。南北朝期の貞治2年(1363)から史上に現れ、特に、戦国期には守護代神保氏の主要拠点として重要な位置を占め、越後から来攻する長尾(上杉)勢、砺波の一向一揆勢との間に各逐を争った。二上城の守山城、新川郡の松倉城とともに、越中の三大古城として知られる。文献も比較的多く、この分野からの研究は以前からかなり進んでいる。しかし、山城の常として、城の遺構そのものの実態は、ほとんど手つかずのまま残されていた。このたび、増山城跡調査グループの皆さんが砺波郷土資料館を中心としてこの解明に取り組まれ、遺構の実態と城の機能を明らかにされ、さらに城を取り巻くさまざまな事柄について博捜された。その結果、増山城の遺構が予想以上に壮大で、しかも破壊されずに遺存していることが判明した。」
4年間におよぶ調査の報告書です。現在は品切れのため販売されていませんが、ようやく古書で入手しました。本来3枚の付図が付いていますが、残念ながら入手したものには付いていませんでした。増山城跡は今年度発掘調査報告書が発行予定ですが、城下町を含めた報告書は本書を参考にするのがよいでしょう。

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富山県大山町中世城館調査報告書

富山県大山町中世城館調査報告書
発行:大山町教育委員会
発行日:1990年3月31日
ページ数:63P+付図1枚
編集:高岡徹
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「本書は、富山県上新川郡大山町に所在する中世城館跡の調査報告である。ただし、大山町の歴史的・地理的特性上、隣接する大沢野町域の城館についても、あわせて触れることとした。」
「日本城郭大系」でも同地区を担当した高岡徹氏による縄張図作成を含めた城館調査の報告書です。大山町のほかに、隣接する大沢野町も含めた12城を対象としている。山間部の山城の調査なので今後同等の調査や報告書が出てくる可能性は低く、貴重な書籍と言えるでしょう。

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但馬八木城 兵庫県八鹿町ふるさとシリーズ第1集

但馬八木城 兵庫県八鹿町ふるさとシリーズ第1集
編集・発行:八鹿町教育委員会
発行日:1989年3月31日
ページ数:139P+図版8P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「城郭調査の方法も良く判らないままに、『とにかく八木城・八木土城を図化する、八木城に関係する文章を何でも集める』ことからスタートして3年間が経過した。この間の調査成果を『但馬・八木城』としてまとめることができた。八木城の調査方法は城郭研究者の北垣總一郎先生・角田誠先生、但馬史研究会の小谷茂夫先生、宿南保先生に接する中で学ばせて頂いたものである。縄張り図などの現地調査は、西尾孝昌先生と谷本進がクリノメーターと巻尺を使用して実施したものである。この本は前半の基調報告と後半の調査報告の2本だてとなっている。基調報告では北垣先生の講演会記録や、松田時一氏が長年にわたって調査された伝承がメインである。また調査報告では八木城・八木土城の縄張り図や写真がメインである。山に登って雑木の伐採をしながら記録するという大変えらい調査であった。」

書評:
とにかくいろいろな記事を集めています。中でも地元広報「広報ようか」の抜粋記事はよく特徴を伝えていて良いと思います。
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城山城 新宮町文化財調査報告10

城山城 新宮町文化財調査報告10
発行:兵庫県揖保郡新宮町教育委員会
発行日:1988年3月31日
ページ数:72P+図版7P
編集:城山城調査団
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「城山城址、それは新宮町と龍野市の山境に聳える要害堅固の山頂部にあります。揖保川流域から西を仰ぐと、鶏籠山を頭に、北へ『寝釈迦』の姿に見える屋根続きの腹に部分に当る頂上の平坦地が城山城址になります。今を遡ること約550年、嘉吉の乱で知られる赤松満祐が、室町幕府六代将軍足利義教を暗殺して立籠った山城で、追討の山名氏の軍勢に攻略された悲劇の歴史があります。昭和57年以来、斯界の権威者による考古学的調査が進められ、遺構の確認、採集された遺物の検証等によって古代山城の可能性が強まってきました。」

「発掘調査」ではなく「文化財調査」ということで、伝説や周辺の字(地名)、歴史など総合的な調査書となっています。遺構や遺物の図版は、この時代には珍しくカラーです。
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中国横断自動車道広島浜田線建設予定地内 埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅲ 本文編

中国横断自動車道広島浜田線建設予定地内 埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅲ 本文編
編集・発行:島根県教育委員会
発行日:1991年3月30日
ページ数:370P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「島根県教育委員会は、日本道路公団広島建設局の委託を受け、昭和57年度以来、中国横断自動車道広島浜田建設地内遺跡の調査を行ってまいりました。本書は昭和62年度から平成2年度に実施した遺跡発掘調査のうち郷路橋遺跡をはじめとする6遺跡の調査結果をまとめたものです。」

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特別史跡 大坂城跡Ⅱ -第二寝屋川改修工事(新鴨野橋下部工)に伴う大坂城跡発掘調査報告-

特別史跡 大坂城跡Ⅱ -第二寝屋川改修工事(新鴨野橋下部工)に伴う大坂城跡発掘調査報告-
編集・発行:大阪市文化財協会
発行日:1987年8月
ページ数:24P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「調査地は、特別史跡大坂城跡の城内と、城外を結ぶ新鴨野橋の南詰にあたる。この地点は、江戸時代の大坂城三の丸にあたり、江戸時代の大坂城再築以来、橋の架かる場所であった。今回の調査は、160平方メートルという小面積の調査ではあったが、豊臣大坂城から徳川大坂城にかけての変遷を跡づけることができた貴重な調査であったといえよう。」
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特別史跡 大坂城跡 -大阪城内配水池改良工事に伴う発掘調査概報-

特別史跡 大坂城跡 -大阪城内配水池改良工事に伴う発掘調査概報-
編集・発行:大阪市文化財協会
発行日:1985年8月
ページ数:32P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「本調査は面積的には北・南区あわせてわずか100平方メートル余りの調査でしたが、非常に大きな成果を挙げることができました。第1に、『中井家蔵豊臣時代大坂城本丸図』などの古絵図を検出し、かつ北区で詰ノ丸、南区での位置づけ、性格づけが可能な、確実な豊臣時代石垣を検出し、かつ北区で詰ノ丸、南区で中ノ段の地表面を確認したことがあげられます。」

書評:
豊臣時代の石垣を発見した唯一の発掘調査の報告書です。石垣や金箔瓦の写真がとても感動します。
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中世伊南と南郷の城館調査報告書 南郷村の文化財(9)

中世伊南と南郷の城館調査報告書 南郷村の文化財(9)
編集・発行:南郷村城館跡調査団
発行日:1987年3月31日
ページ数:82P+図版16P
定価:非売品
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「南郷村は中世において、伊南郷の河原田氏、伊北郷の山内氏の支配下におかれ、それぞれの領土が接する重要な位置にありました。戦国時代には幾多の戦闘も行なわれ、河原田氏と田島の長沼氏が合戦したと伝えられる『答崎の古戦場跡』や、その戦いで、討死した長沼方の兵士を埋葬した『光明院塚』が、今も南郷の地に残されています。村では、昭和五十五年度から村史編さん事業に着手し、祖先の歴史の解明にあたっております。霧の彼方の中世の時代を語ってくれる村内の古城址につき、村史の関連から、これまで三次にわたり中世城館址の遺構確認測量調査及び踏査略測調査を実施してまいりました。天正十七年の伊達政宗軍侵攻の際、城中の者が皆殺しにされた悲劇の城『和泉田城』の調査をはじめ、今まで全くその存在を知られていなかった『片貝城』が発見されるなど、時間的にも予算的にも制約のあるなかで、望外の大きな成果をあげることができました。」
福島県の伊南地方の城館調査報告書で、各城館について縄張り図と構造・歴史について解説がついています。

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