南雲御殿遺跡(棚下砦跡) 赤城山西麓における戦国時代の山城 赤城村埋蔵文化財発掘調査報告書第12集

南雲御殿遺跡(棚下砦跡) 赤城山西麓における戦国時代の山城 赤城村埋蔵文化財発掘調査報告書第12集
編集・発行:赤城村教育委員会
発行日:1998年10月30日
ページ数:36P+図版28P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「南雲御殿遺跡は、通称・棚下砦跡と呼ばれており、従来より長井坂城跡に伴う城砦跡と考えられております。戦国時代における重要な軍事拠点である本遺跡の調査により、情報伝達や兵勢移動などに城と城を繋ぐ城砦跡の構造や正確を把握する遺構や遺物が出土しました。」
続きを読む 南雲御殿遺跡(棚下砦跡) 赤城山西麓における戦国時代の山城 赤城村埋蔵文化財発掘調査報告書第12集

三盧城跡 -当町・下泉地区発掘調査報告書- 石川町文化財調査報告書第22集

三盧城跡 -当町・下泉地区発掘調査報告書- 石川町文化財調査報告書第22集
編集・発行:福島県石川町教育委員会
発行日:2004年3月
ページ数:カラー図版2P+68P+図版31P
定価:3,000円(税込)
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「この度の発掘調査は、急傾斜地対策工事に伴うもので、福島県県中建設事務所との協議の結果、平成9年度から平成14年度までの工事の進捗状況に合わせて、記録保存を目的とした発掘調査を行うことが決定したものであります。石川県のシンボルとも言える三盧城跡は、石川地方を支配した石川氏の居城とされていますが、その詳細は未だに不明な点が多いのが実情です。この度の調査は、約25000m2とされる城館のほんの一部に過ぎませんが、三盧城に関する初の発掘調査書となりますことは、石川町にとっても大変意義深いものとなりました。」

城跡については平場と切岸に関する調査となったようだ。

[amazonjs asin=”B000JA50VK” locale=”JP” tmpl=”Small” title=”石川町史 (1967年)”]

続きを読む 三盧城跡 -当町・下泉地区発掘調査報告書- 石川町文化財調査報告書第22集

館林史談 城と城下町の起原

館林史談 城と城下町の起原
編集・発行:館林文化史談会
発行日:1989年9月
ページ数:75P
著者:布川了
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「布川氏はこの研究で、最も解明の困難と思われていたこの地域の中世に、数多くの文献・史料は勿論、現存の遺物・遺跡、民間の伝承等をとりあげられ、広い視野からの考証考察のもとに『館林城の築城の経緯と城下町成立』への道筋を明らかにされたことは、今までのこの地域中世の暗い映像に大きな光明を与えてくれたように思う。」

郷土史研究家による館林城と城下町に関する史料研究の成果がまとめられ、非常に貴重な文献である。
続きを読む 館林史談 城と城下町の起原

三木市 加佐山城跡・慈眼寺山城跡 -山陽自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書XVⅢ- 兵庫県文化財調査報告第144冊

三木市 加佐山城跡・慈眼寺山城跡 -山陽自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書XVⅢ- 兵庫県文化財調査報告第144冊
編集・発行:兵庫県教育委員会
発行日:1995年3月31日
ページ数:72P+図版42P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
書評:
山陽自動車道を建設するために行われた発掘調査で、新出となる加佐山城跡は遺跡全体、慈眼寺山城跡は遺跡南側が調査対象となっている。ということで、道路建設により消失したとのことであろうから現状復帰のない貴重な報告と言える。加佐山城は従前より古墳群と捉えられていたが、発掘により曲輪や堀が発見され、地名から「加佐山城」と名づけられた。街道沿いに築造された慈眼寺山城は以前より知られていたが、今回は道路建設範囲にかかる南側のみ調査され、北側は保全?された。2城はともにその構造より、織田軍の三木城攻めのときの付城(陣城)と推定されている。本書では、付城として他に、君ヶ峰城跡、小林八幡神社遺跡が紹介されている。
続きを読む 三木市 加佐山城跡・慈眼寺山城跡 -山陽自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書XVⅢ- 兵庫県文化財調査報告第144冊

野田代遺跡・森西城遺跡・野田道遺跡 -蒲生郡日野町上野田・木津・寺尻所在- ほ場整備関係遺跡発掘調査報告書XXⅡ-10

野田代遺跡・森西城遺跡・野田道遺跡 -蒲生郡日野町上野田・木津・寺尻所在- ほ場整備関係遺跡発掘調査報告書XXⅡ-10
編集・発行:滋賀県教育委員会、滋賀県文化財保護協会
発行日:1995年3月
ページ数:31P+図版19P
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「本書は、県営ほ場整備事業に伴う野田代遺跡・森西城遺跡・野田道遺跡の発掘調査報告書です。発掘調査では、鎌倉時代の集落跡等の存在が明らかになりました。」

書評:
本書ではトレンチ8本の調査報告がされているが、森西城については1本のみで、溝とピットが見つかっている。発掘範囲が狭いこともあり、森西城については1993年発行の報告書のほうが詳しいようです。
続きを読む 野田代遺跡・森西城遺跡・野田道遺跡 -蒲生郡日野町上野田・木津・寺尻所在- ほ場整備関係遺跡発掘調査報告書XXⅡ-10

向羽黒岩崎城 現状遺構確認調査・測量調査報告書

向羽黒岩崎城 現状遺構確認調査・測量調査報告書
著者:西ヶ谷恭弘
発行:本郷町教育委員会
発行日:1987年3月15日
ページ数:62P(図版含む)+付図1枚
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
「本郷町では、昭和五十七年度に、向羽黒山城跡附近に施工した、白鳳山生活環境保全林整備事業との関連から、向羽黒山城跡二の丸、三の丸開発事業関連発掘予備調査を実施いたしましたが、向羽黒山城跡全体の測量図や解説書も作るべきだという県教育庁文化課の御指導もあって、昭和五十八年度に航空測量による測量図を作成、同年春、立正大学文学部講師であり、日本城郭史学会幹事長として活躍されており、日本有数の城郭研究家でもある西ヶ谷恭弘先生、県教育庁文化課専門文化財主査渡部正俊先生のお二人に現地踏査を実施していただき、昭和六十年度に西ヶ谷先生に向羽黒山城跡の解説の執筆をおねがいして、ようやく発刊の運びとなった次第であります。」

書評:
会津の南防御の要であり、天地人放映で再び脚光を浴びている向羽黒岩崎城の遺構現況調査報告です。詳細な縄張図つき。
続きを読む 向羽黒岩崎城 現状遺構確認調査・測量調査報告書

長井戸城 第1次・第2次発掘調査報告 日本城郭史学会調査報告第4集

長井戸城 第1次・第2次発掘調査報告 日本城郭史学会調査報告第4集
発行:日本城郭史学会
発行日:1986年3月30日
ページ数:90P+図版32P+付図4枚
定価:2,000円(5%税込)
オススメ度:★★★☆☆
「境町は、古く利根川と江戸川の分岐点として、千葉県関宿町を経て江戸への水運の道が開かれ交易、運輸の機能を備えた川の港として繁栄した町であります。長井戸城は、築城年代は不明でありますが戦国期の天文二十三年に城主菅谷左京の頃落城されたと語り継がれて参りました。」
続きを読む 長井戸城 第1次・第2次発掘調査報告 日本城郭史学会調査報告第4集

守山城跡範囲確認調査概報Ⅱ

守山城跡範囲確認調査概報Ⅱ
発行・編集:高岡市教育委員会
発行日:2009年3月31日
ページ数:27P
定価:1,000円(5%税込)
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「本書は、越中三大山城の一つと評価される守山城の遺構の広がりや文献史料を調査することで、文化財として歴史的な価値を掘り起こすことを目的としたものです。」
守山城跡に関する本格的な範囲確認調査報告書の2冊目です。本書では、守山城本体というより、周辺の資料から守山城の状況を探ろうとしている。
2009年8月29日に高岡市立博物館で開催された特別講演会会場で購入した。後日、高岡市福岡歴史民俗資料館で販売されているのを見つけた。

続きを読む 守山城跡範囲確認調査概報Ⅱ

守山城跡範囲確認調査概報Ⅰ

守山城跡範囲確認調査概報Ⅰ
発行・編集:高岡市教育委員会
発行日:2007年3月31日
ページ数:26P
定価:1,000円(5%税込)
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「これまでに高岡市域で確認されている城跡は三〇箇所を数え、高岡城や木舟城、そして守山城という県内有数の城館遺跡が市内に所在しています。とりわけ、南北朝期に文献史料に登場する守山城は、越中西部の拠点的な城郭として長く機能しました。さて、高岡市教育委員会では、平成十八年度から前田利長墓所の詳細調査を開始したほか、将来的には高岡城の詳細調査にも撮りかかる準備を進めています。そして、守山城についても前田家関連史跡としてその内容を明らかにし、文化財として保護することを目的とする範囲確認調査を開始したところです。」
松倉城、増山城と並び「越中三大山城」の一つとされながら指定文化財となっていない守山城跡に関する本格的な範囲確認調査報告書です。本書では、現在判明している守山城の史料をまとめている。現在2冊まで発行されているので、一緒にどうぞ。
2009年8月29日に高岡市立博物館で開催された特別講演会会場で購入した。後日、高岡市福岡歴史民俗資料館で販売されているのを見つけた。

続きを読む 守山城跡範囲確認調査概報Ⅰ

木舟城跡発掘調査報告 -範囲確認調査報告-

木舟城跡発掘調査報告 -範囲確認調査報告-
発行・編集:福岡町教育委員会
発行日:2002年3月29日
ページ数:108P+図版14P
定価:2,000円(5%税込)
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「木舟城跡は、天正13年(1585)11月に発生したとされる天正大地震によって壊滅的な被害を受け、城主前だ秀継夫妻の命を奪った悲劇の城としてその名が知られています。福岡町はこの城の範囲確認を目指し、平成8年度『木舟城跡調査検討委員会』を設け、発掘調査はもちろんのこと文献調査・電気・レーダー探査など総合的な調査を継続して行ってきました。調査の結果、これまで『幻の城』と形容されることもあった木舟城の範囲を確認することができました。発掘調査により発見された遺構や多彩な出土遺物は、戦国時代の木舟城の姿を現在に伝える貴重な資料となるものです。」
天正13年の天正大地震によって倒壊した木舟城は、長い間その範囲が不明であった。本書はその範囲調査を多角的に行った成果が収録されている。2009年8月29日の高岡市立博物館の特別講演会の会場で購入しました。
後日、高岡市福岡歴史民俗資料館でも販売しているのを見つけました。

続きを読む 木舟城跡発掘調査報告 -範囲確認調査報告-