発行:喜多家保存会
発行日:1992年
ページ数:70P
企画編集:ユアーズプロモーション
定価:不明
オススメ度:★★★☆☆
書評:
宝達志水町(旧押水町)にある加賀藩十村役の喜多家の図版資料です。喜多家は修繕保存のために保存会から町へ寄贈されました。喜多家に関する図録としては今後これ以上のものは出てこないでしょう。すばらしい収蔵品の数々をご覧下さい。
カテゴリー: 郷土史
木舟北遺跡 民間分譲住宅地造成事業に係る埋蔵文化財発掘調査概要
石名田木舟遺跡発掘調査報告書
富樫氏の歴史と伝承
発行:金沢市都市行政局圏域交流課
発行日:2007年3月初版
ページ数:108P
編者:富樫氏と高尾城の歴史研究会
定価:非売品
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「今回、新たな研究テーマとして『富樫氏と高尾城』を選びましたのは、鎌倉から戦国時代において、金沢市の南域を拠点に武士団として成長し、やがて加賀国の守護としての道を歩んだ富樫氏の歴史と、その居城で一向一揆との戦いの舞台ともなった高尾城跡を多くの方々に知っていただくことで、これを文化遺産として後世に伝え、金沢市域と隣接地域の歴史的関係を踏まえた、深い結びつきを理解するための一助となればとの考えからです。」
平成16年に行われたシンポジウムの記録とともに、富樫氏に関する論文を収録する。一般販売されていないようなので図書館で借りました。
佐渡歴史文化シリーズⅨ 佐渡古城史 上
出版社:中村書店
発行日:1980年12月初版
ページ数:317P
編者:田中圭一
定価:2,000円(当時) 絶版
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「越後や佐渡にはたくさんの城がある。高田の城はお堀で有名だし、新発田の城には江戸時代の建造物がのこっている。また、越後春日山の城は上杉氏の城としてあまねく知られている。そして、かなりの数の城が保存の対象として史跡に指定されもしている。ところで、私たちがここでえがこうとする古城の歴史は、実は、その城の縄張りをあきらかにしたり、城主の系譜をただしたり、また、その滅亡のようすを述べようとしているのではない。私たちは、この城に佐渡の中世の村人の歴史を語らせたいと考えているのである。越後もそうだが、佐渡でも、中世についての文献は、庄園の史料や特定の寺社の所領にかかわる史料、地頭・土豪たちのゆずり状、そんなものが断片的にのこっているだけである。」
佐渡における中世の歴史を紐解きながら城を紹介するというもの。単なる城の紹介本とは異なるので、興味深く読み進めることができます。残念ながら絶版になっているので非常に入手が難しくなっていますが、おすすめです。
佐渡歴史文化シリーズⅨ 佐渡古城史 下
出版社:中村書店
発行日:1981年4月初版
ページ数:317P
編者:田中圭一
定価:2,000円(当時) 絶版
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「近年、土地開発事業が急激に盛んになってきた。ブルドーザーが動きまわり、わずかの期間に何千年、何百年と変らずつづいてきた土地の姿が一変してしまう。そのなかには私たちの先祖の作りあげてきた文化的遺産も多数ふくまれている。遺跡とか遺構とかいわれるもの、また、そのなかに埋蔵されている遺物というようなものがどんどんなくなっていく。中世の城址もその例外ではありえない。」
佐渡における中世の歴史を紐解きながら城を紹介するというもの。単なる城の紹介本とは異なるので、興味深く読み進めることができます。残念ながら絶版になっているので非常に入手が難しくなっていますが、おすすめです。
日本中世武士の時代 越後相川城の歴史
新府城の歴史学
出版社:新人物往来社
発行日:2008年3月初版
ページ数:355P
編集:韮崎市教育委員会
定価:2,400円+税
オススメ度:★★★☆☆
書評:
「武田氏の築城技術の粋を集めた史跡・新府城。その歴史と現状を考える。シンポジウム『風林火山の世界 新府城と武田の里』の記録に加え、城郭研究、史跡整備に関する最新の成果を収録。」
2007年1月のシンポジウム「新府城と武田の里」と新府城研究の最前線の成果をまとめたもの。専門的な内容ではあるが、武田氏や新府城に興味ある方はぜひ。前回1999年11月のシンポジウムは「新府城と武田勝頼」として発刊されているが、前書は内容も良かったので古書の出回りが非常に少ない。
京都・近江 戦国時代をゆく
江戸屋敷三〇〇藩いまむかし 江戸と東京を散歩する
出版社:実業之日本社
発行日:2008年4月初版
ページ数:191P
著者:青山誠
定価:1,500円+税
オススメ度:★★☆☆☆
書評:
「かつての江戸には300藩といわれる諸侯の大名屋敷があった。東京を歩けば屋敷跡に出会う。著名な庭園のほか六本木、汐留など先端エリアに江戸の面影を探すユニークな歴史探訪。」
東京を江戸時代の大名屋敷跡という視点から散策する本。しかし、実際の場所にはその面影も残っていないところも多く、わずかに残る大名屋敷跡を訪ねる企画かと期待していたところではあったのだが、歴史的な部分には触れていても、その屋敷跡範囲が意外にアバウトなのはいかがなものか?中途半端な感が非常に残り、歴史は本書でよいとしても、実際の屋敷範囲や遺構の残りなどは他書に譲ることになろう。