連休最後の今日は良い天候でしたね。午前中は青空が広がっていましたが、午後から曇ってきてちょっと残念でした。雪の影響がなかったので予定していた富山県へ出かけました。
最初は、射水市新湊博物館(旧、新湊市博物館)です。現在、「射水の町・村」というテーマで企画展が開催されており、江戸時代後期に射水市で生まれた加賀藩の偉大な測量家であり和算家であった石黒信由の描いた測量絵図の数々を見てきました。ここを訪れたのは初めてで、企画展だけではなく、常設展もゆっくりと見てきました。
金沢城二の丸御殿炎上による藩内絵図の消失が契機で、その技術を藩に認められ、地元射水郡だけではなく、越中婦負郡、越中新川郡、越中砺波郡の越中4郡と能登4郡、河北郡、石川郡、能美郡、江沼郡と加賀藩と富山藩・大聖寺藩の加越能全域を測量調査しています。その絵図は縮小されて、復刻絵図として販売されていました。古図や地図が好きな方にはお勧めの場所、企画展(今月24日まで)です。
続けて富山市内へ移動して、富山市郷土博物館で開催中の企画展「物語の中の佐々成政」を見てきました。江戸時代、物語絵本の中で佐々成政が描かれた箇所を10点ほど展示していました。こちらは期待して程ではありませんでした。
もうすぐ公開の千歳御門は囲いが外されて、最終調整が行われていました。
最後に氷見市の海岸へ行き、先日も地元新聞で特集された雨晴海岸の義経岩を見てきました。
そこには海岸越しに見える絶景が・・・というのを期待していたのですが、生憎の曇り空で立山連峰の絶景は拝めませんでした。上の写真は観光駐車場の看板です。今日の様子は下の写真。
ここjに来た目的は、義経岩が高岡城の石切り場の一つであり、矢穴(石の切出しの際につくノミの跡)のある石がある、という情報からその石を見たいということでした。
線路脇の岩の上には社があり。海岸部の岩にはいくつもの穴が空いています。穴は倒壊を防ぐようにセメントで固められていました。
まずは、岩の周りを1周。さらにもう1周。洞窟内をぐるぐるぐるぐる。周りの人から見れば、何をしているのか分からなかったでしょうね。岩は波の浸食を受けて、デコボコが多く、これが矢穴である、と特定できるものはなかなか見つかりませんでした。
その中でもこれはそうかな?というものを2つ見つけました。
ますは、海岸部の岩の支柱外側の石に見つけた4つの穴。矢穴をつけたものの割らずに終わった形跡にも見えます。
そしてもう一つ。こちらは社のある岩の裏側で見つけた石に1つの穴。穴に沿って細く割れたような線がついていました。1つの穴というのは矢穴としては断定しにくいのですが、矢穴を入れた際に思う方向と違う割れ目となったので中止したようにも見えます。
私は多くの石切の形跡を期待していたので、そういう意味では少し残念な結果でした。