年明け初めての講義です。早いもので10回講義も残り3回となりました。
講義の初めに予告どおり「第1回 金沢城検定」が行われました。予習忘れていました。全30問でしたが、なかなかに手応えのある難問も多数ありました。結果は24点、なかなかの出来です。この結果が来年度の金沢城大学の講義内容に活かされることでしょう。
さて、今日は今年度から金沢城調査研究所に参加されたという細田隆博氏による「鳥取城からみた金沢城」でした。
なぜ、「金沢城」との比較が「鳥取城」なのか?その謎はすぐに解けました、細田氏は鳥取県の出身だからだそうです。しかし、ただそれだけというわけでは当然なく、鳥取県は「鳥取池田藩」(多くの場合「岡山池田藩」との差別化としてそう称するようです)32万石の大藩であり、江戸幕府における家格も第一級でした。
そうしたことから前田家とのつながりもあり、3代池田吉泰の正室は、5代綱吉の娘「敬姫」、13代池田慶栄は13代前田斉成泰の息子であるが、池田家に養氏として入っている。東京には大藩ならではの残りものがあり、前田家は加賀藩上屋敷の御守殿門、東大の赤門として知られる。池田家は江戸屋敷の表門、上野の黒門と呼ばれ、私は始めて知ったが立派な門が残っている。
鳥取市は県庁所在地でありながら、金沢市同様、空襲による被害がなかったので、城下町の町割りが非常によく残っているそうだ。以前一度鳥取城に訪れたことがあるが、こじんまりした風情ある町でした。時間をあまり取っていなかったため、城へは登ったが城下町はほとんど見れず、また、鳥取城攻めのとき豊臣秀吉が陣取った「太閤ヶ平」(鳥取城と一体で国指定史跡)は当時知る由もありませんでした。
鳥取城でも現在整備計画が進行中であり、平成30年頃までには大手登城路が幕末の姿に復元されるようだ。楽しみである。