石川考古学研究会幹事の宮元哲郎さんは3日までに、医王山主峰である奥医王の山頂付近で、山城跡とみられる防御施設の遺構を確認した。金沢市埋蔵文化財センターによると、医王山一帯では15世紀、当時加賀守護だった冨樫政親との戦いに敗れて井波に逃れた一向宗と、政親から一向宗討伐の要請を受けた天台宗惣海寺勢との戦いがあったとされ、山城跡は当時の戦いで使われた可能性があるという。
遺構は石川、富山両県にまたがるように位置する。同センターによると、奥医王の石川県側で山城跡とみられる遺構が確認されたのは初めてで、医王山を舞台に繰り広げられた戦闘の様相を知る貴重な手がかりになるとしている。
宮本さんが確認したのは、敵の侵入を防ぐ「堀切」と呼ばれる溝で、奥医王山頂の北東側に計四カ所あることが分かった。このうち一カ所は1990年からの旧福光町による調査で確認されていた。宮本さんが荒田に三カ所を確認したことで、四つの堀切が山頂近くの平坦面を囲むように存在し、山城を構成していた可能性があることが分かった。(北國新聞2008年1月4日付記事)