今日は講演会の日でした。朝からどんよりとした雲が垂れ込める天候ではありましたが、1日降らずに持ちこたえてくれたので、行動しやすい日でした。
朝、当初昨日の予定に組み込んで行けなかった坂城へ行きました。到着するとまだ施設の開館時間には間があったので、春にも訪れた場所へ行きました。村上義清公墓所と村上氏居館跡ですが、坂城には村上氏の面影が色濃く残っています。
前回は時間の都合で訪れなかった「坂城宿ふるさと歴史館」に行きました。3階建の立派な和建築ですが、地元の方のふるさと歴史学習の場として活用されています。今年はNHK大河の影響で観光客が非常に多かったとか。まあ私も大河終わったので、企画展示終らないうちに見に来た口ですが・・・
展示物は村上氏の歴史に関連して、出自や武田氏との攻防、上杉氏家臣時代など、いい意味で裏切られるほど充実していました。1階が村上氏関連、2階が坂城宿関連でした。大河にあわせた企画のように見えましたが、実は常設展らしいです。坂城を訪れる方はこの場所は訪れたほうがいいですよ。
講演会の会場である長野県立歴史館へ向かう途中で、村上氏が武田氏に敗れて逃走した「笄の渡し」碑を見てきました。
(※現在の笄橋の近くで国道18号線沿いにあります。坂城から長野方面へ向かう車線から駐車場に入れます。)
県立歴史館は山頂に森将軍塚古墳のある山の麓にあります。現在は企画展「武田・上杉・信濃武士」が開催中で、信濃の土着武士たちの武田氏、上杉氏との関係をテーマに展示されています。
講演会の先に企画展と常設展を見てまわり、講演会「築城と破却 川中島をめぐる城の争奪」を聞きました。会場は多くの地元の方でほぼ満席状態でした。武田氏と上杉氏の攻防の中で信濃の城が破却されている状況を考古学の発掘調査結果を踏まえて、非常に内容の濃い講演でした。
講演会が終わり、帰路に着いたのですが、折角なので道程のスポットを訪れながら長野インターへ向いました。
川中島の戦いは全5回を数えますが、中でも第4回が最も有名です。武田軍は千曲川沿いに海津城(現在の松代城)に布陣、上杉軍は妻女山に布陣、謙信は霧にまぎれて妻女山を降りて千曲川を渡ります。謙信が渡った場所が「雨宮の渡し」ですが、現在その場所から千曲川は結構離れてしまっています。
上杉方が陣取った妻女山は車でも登れるようですが、麓の清野小学校付近から徒歩でも登ることができます。入口には鳥居がありますが、これは近代になって頂上に招魂社が建てられたための参道入口となったからだと思われます。頂上までは約7分。意外にも高くない山です。
頂上の展望台付近はどこまで当時のものかわかりませんが、平坦地や土塁跡も見ることができます。
展望台に登り、松代城(もと海津城)を探します。誰もが思うことでしょうが、武田軍・上杉軍両軍は相手方をどれだけ監視できたのか、という疑問です。
曇った天候のもとでは肉眼ではまったく位置を確認できませんでした。先日新調した望遠デジタルカメラを最大望遠にして松代城を捜すこと10分、ようやく見つけました。
上の写真の中央を拡大すると下の写真となります。手前の住宅で見えにくいですが、天守台と北不明門を横のアングルでみることができます。確かに、田畑の広がる当時の景色の中にあっては、お互いに相手の動向が見えたことでしょう。