今日は、大阪城天守閣館長の松尾伸裕氏による講義でした。
大阪の街は、大きく難波宮、大坂本願寺、豊臣大坂城、徳川大坂城と変遷するのですが、土層の判別は1583年の大坂本願寺炎上時と1615年大坂夏の陣で豊臣大坂城炎上時の2度の焼土層のおかげでわかりやすいそうです。そうした特長のなか織豊期における陶磁器の流通状況が鮮明にわかり、他の知識の時代特定にも役に立つそうです。
現在、大阪城公園は国史跡のため、水道管埋設工事でもないかぎりは埋蔵物発掘調査は行えず、豊臣大坂城をすっぽり覆って徳川大坂城が作られた現状においては、豊臣時代の遺物の発見もままならないようです。それでも過去9mもの石垣が地下に眠っているのを発見したこともあるそうですが、いまだに大坂本願寺の遺構がまったく見つかっていないのが残念です。現在の本丸を10m以上掘れば出てくるのではないかと言われていました。
そういう状況もあってか、大阪人の秀吉びいきや家康嫌いはいまだに根強く、真田幸村も人気あるそうです(これは展示会の客入りに断然差がつくのだそうです)。