今日は金沢城・兼六園研究会の「きくざくら学習会」でした。会員の的場氏による「金沢城の石垣」というテーマで本丸南面石垣から薪の丸石垣、玉泉院石垣、鼠多門橋跡石垣というコースで見学しました。
石川県では現在、本丸南側の宮守(いもり)堀の復元を計画していますが、軍隊が被服庫を建設するために大きく姿をかえてしまいました。明治40年(1907)、ちょうど100年前ですが、本丸南面石垣が崩れて今の三段方式になりました。現在見ると辰巳櫓下石垣は4段あります。先の話と食い違いますが、4段目は軍隊が宮守堀を埋めるために土を崩したためにできた崖を土留めするために作ったものです。
宮守堀という名前も石垣秘伝書で有名な後藤彦三郎が勝手に命名したもののようです。
今日は、石垣の部分名称に関する勉強もしました。その中で「縁が切れる」というのがあるそうです。今でも日常会話で使用されるそれと同じです。
どういう部分を指すのかというと、石垣を2つの違う積み方を徐々にではなく、くっきり並べてしまう部分のことです。この状態は石垣の積み方としては邪道だということのようです。下の写真は薪の丸の石垣ですが、隅石が「切り込みハギ」で、すぐ横に「打ち込みハギ」がきています。「縁が切れる」例です。
次の写真も同じ薪の丸の石垣ですが、こちらは「切り込みハギ」から「打ち込みハギ」へ徐々に変化していくように積まれているのがわかるでしょう。
最後に、もう1つ縁が切れる例です。金沢城に来ると誰もが通る石川門の内側の石垣です。右手に「切り込みハギ」、左手に「打ち込みハギ」と違う積み方を見れる石垣名所の1つですが、ここも角でいきなり積み方が変わるので「縁が切れる」と言えるでしょう。