平成18年度から「平成の大修理」に入った国重要文化財、金沢城石川門で、左右に延びる太鼓塀を補強する控柱が、平成20年度から江戸中期の形状そのままに復元される。石川県教育委員会の金沢城調査研究所は、これまでの解体・発掘調査で藩政期に控柱を立てた跡、横の柱の貫を通す上下二カ所の貫穴を確認した。現状の控柱はつっかえ棒のように斜めに渡した”無粋”な鉄筋コンクリート製だが、県教育委員会は柱跡などから本来の木造構造の確証を得たとして、来月、文化庁に形状変更を申請する。
控柱は、旧陸軍が管理していた明治後期から昭和初期に改造された。今回の調査で、木の板で囲んだコンクリート製の控柱の両端は上部の貫穴、江戸期の控柱の跡の位置とほぼ重なっていたことも判明した。塀内部の軸組には、古い部材と新しい部材が混在しており、1959年の改修で部材の一部が取り替えられていたことも裏付けられた。県教育委員会によると、能登半島地震の際、今回明らかになった藩政期の控柱の構造と同じ造りの塀や門では、倒壊を免れた例が多かった。接続部分の多い組み方が揺れの衝撃を分散させるとの見方ができ、太鼓塀は文化財の耐震研究でも貴重な史料に位置づけられそうだ。(北國新聞 2007年8月5日付記事)