石川県では加賀と能登に関する古文書を「加能史料」として編年体でまとめて発刊しています。今日はその編纂の中でわかった成果を踏まえての講座でした。
「戦国社会における加賀・能登 -細川政元政権と本願寺-」というテーマで、東京都立大学名誉教授の峰岸純夫氏の講演でした。場所は、石川県立生涯学習センターです。
県民の興味あるテーマであったためか会場は200名以上の人が来ていました。講演では、室町幕府管領の細川政元と本願寺蓮如が非常に強い友好関係にあった理由を、当時の世相を解説しながら紐解くものでした。細川政元としては大きな勢力であった本願寺一向宗を反細川勢力の抑えをすべく、本願寺としては布教のための寺内町の建設許可をスムーズに進めるべく、お互いに頼るべき存在だったようです。
従来の定説に対しては、兵農分離前の一向一揆の描き方が江戸時代の土一揆を参考にしていて少し違うのではないか、という点と、政教未分離の当時の状況のなかで宗教勢力の構成をもっと考え直したほうがよい、という点をあげていました。
話は、冗談を交えながら始まり、徐々に史料を読み解く少し難しい話へ進むという構成で聞きやすかったです。惜しむらくは、折角行ったのに峰岸先生の著書を持っていくのを忘れました。サインしてもらえばよかった。
ちなみに隣の金沢城で進む河北門復元現場は今こんな状況です。石垣の復元に向けて発掘調査がさらに進められていました。今は梅雨で一時中断のよう。
締めは峰岸先生のジョークで・・・
政教未分離の中世では政権は神や仏を背に政治をおこなったのです。上杉謙信も毘沙門天の名のもとに戦ったでしょう。何を隠そう、私もカミサマを背に仕事を頑張っています。カミサマとは、神ではなく、かみさん(妻)ですけど。
私も見習います!現在74歳という峰岸先生。亡くなる前に加能史料が完結することを望んでいるとのこと。理由は・・・・亡くなるとおそらく自分の書籍コレクションを奥さんが処分するだろうから、資料が散逸する可能性があるとのことです。どこの家庭も事情は同じか!?