歴史・文化コース第4回 兼六園史の新しい見方

兼六園史の新しい見方
金沢城研究 第4号」に「兼六園とはどこのことか」という論文を投稿された長山直治氏の講演です。
現在、岡山「後楽園」、水戸「偕楽園」とともに日本3名園に数えられる兼六園ですが、明治までは今とまったく違った姿だったことを知りました。現在の後楽園には田んぼがありますが、兼六園にも一時期は田んぼや畑があったことがあり、地元の人間でもこの事実をどれだけの人が知っているでしょうか。
明治四年(1870)年に一般公開されたときは「与楽園」と名付けられ、一月ほどで「兼六園」と改称されているそうです。ちなみに与楽園とは、「ともに園(苑)を楽しむ」という意味で偕楽園と同義だそうです。トリビアですよコレ!!