金沢城公園の玉泉院丸南西石垣が明治期に補修された際、藩政期の石積み技法が用いられていたことが20日までの石川県の調査で確認された。県関係者は明治時代の石工が藩政期の石積み技術を継承していたことを示す貴重な史料になるとしている。県は修復のために7月から解体工事を進めており、今回は石垣内部から出土した石の加工跡などから、石垣が江戸後期から明治期にかけて4回、部分修理されていることが分かった。
石垣の背後から江戸前期の盛り土で埋め立てられ、絵図に描かれていなかった金沢城初期の石垣も見つかった。(北國新聞 2006年10月21日付記事)