石川県立美術館のある本多の森は、元は加賀藩の家老であった本多家の上屋敷あった場所です。本多家は5万石という録を持ち、初代本多政重は徳川家康の側近であった本多正信の子であり、今話題の直江兼続の養子となったこともある武将でした。直江兼続には養子縁組の後に実子が生まれたために、縁組を解消し、奉公先を探していたところに加賀藩から声がかかったとのことのようです。
その本多家上屋敷を横切るように辰巳用水の分水が流れ、小立野台地を下った本多家下屋敷跡に流れていきます。
昨年改修を終えてリニューアルオープンした県立美術館の裏もきれいに整備されましたが、整備されてから初めてそのあたりを歩きました。
というのも、先日地元新聞に来年度、金沢市が本多家上屋敷の調査を行うことがかかれていたので、以前本多家の石積み発見の報道があったことを思い出して、現状どうなっているのか気になっていました。
木橋を渡るか否かという段階で、その下にすでに石積みが見えます。
そのあとも崖にそって明らかに土盛りが見られ、ところどころ石積みが見えます。一部はとても大規模な石積みも存在します。
角にあたるような石積みは苔むしている石もありました。
正直ここまで多くの土塀の痕跡が残っているとは思ってもみず、今まで来なかったことを後悔するとともに、市民にもあまり知られていないことがもったいないと感じます。