犀川に面した斜面にあり、最上部に辰巳用水が流れる三段石垣の金沢市の発掘調査で4日までに、藩政期の三段石垣は現在の見た目よりも1メートル以上高く、地表から7-9メートルの高さを誇っていたことが分かった。さらに周囲の地層から犀川の砂礫土が見つかり、同市埋蔵文化財センターは石垣が犀川の水流から浸食を防ぐ目的で構築された可能性が大きいとみている。
全長約260メートルの石垣のうち、中央付近の上段と下段を調べた。このうち下段の石垣周辺を掘り下げた結果、石垣部分が地表面から石4列分埋もれた場所まで続くことが判明。石垣を覆っていた土砂は明治以降に堆積したとみられ、埋まっていた石垣の延長部分はかつて地表に出ていたという。
上段の調査では、石垣の後ろからこぶし大から人頭大の裏込め石が見つかり、岩盤質の傾斜面を整えていた。道具などの遺物は発見されなかったが、市は後日、今回の発掘成果を石垣の専門家に依頼し、三段石垣の構築時期の推定を目指す考えである。(20008年12月5日付記事より)