朝から生憎の雨模様ですが、出発の前にホテル近くの草津宿を見てきました。藩政期の宿場であった草津宿は本陣と脇本陣が残っていますが、草津市役所近いという立地上、開発が進み通りは当時の面影はありません。
ホテルをあとにして大津市歴史博物館へとやってきました。開催中の企画展「かわら-瓦からみた大津史-」を見るためですが、ちらしなどは寺院に使用された瓦が中心ですが、展示では大津市にあった坂本城・大津城・膳所城の瓦も展示されていました。
博物館を出発して、琵琶湖西岸を北上する途中、坂本城址の石碑を見つけました。今まで何度か通っているはずなのですが、見つけられなかった場所であったので、今回予定にはなかったのですが早速探索です。
湖岸の発掘調査地区を史跡公園として整備されています。公園からは琵琶湖を臨み、天候が良ければ見晴らしが良いところです。公園内には明智光秀の石像が立っています。
帰ろうかと思っていましたが、道路の向かい側に寺が見えたので少し周辺を散策しました。
国道から一本入った道路は旧坂本城下町の道であり、まっすぐでないところが当時のままである印象を受けました。
少し歩いていると交差点で、別の坂本城址の石碑を見つけました。こちらが昔からある石碑でよく坂本城の紹介写真で見るものです。あたりはきれいに整備され、先の史跡公園までの道が舗装されています。周辺には寺が三軒ありました。この辺りが坂本城下町の寺町であったのでしょう。通りの奥に見えるのは東南寺です。
さらに湖岸を北上すると、道路沿いに聖衆来迎寺があります。ここの表門は旧坂本城から移築されたといわれています。
境内は予想以上に広大なもので、そこに森蘭丸の父、森可成の墓がありました。坂本は織田信長による比叡山焼き討ちの被害にあった場所のひとつですが、聖衆来迎寺は有力家臣の森氏の墓所であったために難を逃れたため、多くの寺宝が残っているそうです。
坂本からさらに北上です。琵琶湖大橋より北側を車で走るのは初めてです。目的地は高島町の大溝城です。
JR高島駅近くにあるのが大溝城です。乙女ヶ池はかつての大溝城の惣構の一部です。
現在残る遺構は天守石垣台のみです。平成8年に町指定文化財になったという石垣は当時整備されたものと思われますが、現在は少し荒れた感じを受けました。道路から奥にあり、建物などに囲まれている環境も観光地としてはあまりいい環境とは言えませんね。
道路沿いの老人福祉施設の敷地がかつての三の丸跡で、案内の石碑が立っています。
城下町は近世の分部氏時代のものですが、それでも残された遺構はほとんどなく、城関連建造物としては総門(惣門)が唯一の遺構です。その総門もかなり改築をうけて、外観以外にその面影は薄くなっています。
町割りはかなり残されている様子ではありますが、武家屋敷もこの笠井家のみのようで、敷地に残る生垣や囲いにわずかに面影を残すだけで、建物は屋根もふき替えられ、増改築も数回行われたようで、観光用の看板は立っているものの、指定文化財にするには難しい状況です。
市内には古い建物が数件残っており、この造り酒屋の建物もかなり古いもののように見受けられました。かつてはかなりの賑わいを見せた城下町であったのでしょうが、現在は・・・、城下町として宣伝するには目玉がないですね。
高島を後にして、さらに北上してぐるっと回って長浜にやってきました。現在開催中の特別展「戦国大名浅井氏と北近江」を見るためです。平成の合併前の展示は長浜城下や秀吉が中心でしたが、浅井町を合併して、最近は浅井氏に関する展示が増えました。今回も浅井三代に関する展示でした。
長浜市は現在、浅井長政とお市の間に生まれた三姉妹に関する大河ドラマ誘致を盛んにやっています。近年では「功名が辻」で多くの観光客が訪れました。もしドラマ化が決定すれば、また多くの人が訪れることになるのでしょうね。