夏休み最終日の日曜日、シンポジウムに参加するために新潟県妙高市にやってきました。太平洋側や東方地方は悪天候だったみたいけど、北陸地方は青空の広がる最高の最終日でした。
シンポジウムは午後なので、その前に舞台となった鮫ヶ尾城へ登りました。斐太史跡公園として整備されている麓から徒歩20分ほどで本丸跡に到着しましたが、前日の雨のため滑りやすくなっていました。この経路は最も利用されるものですが、尾根沿いを行かないため見どころは本丸付近に絞られ、二の郭と米蔵跡と間の堀切、切岸が見どころでしょうか。晴天に恵まれ、本丸からの頚城平野の眺望は最高でした。
シンポジウム当日ということもあり、帰り道では数組の方とすれ違いました。山城では珍しいことです。
予定通り1時間ほどで戻ってこれたので、次に鳥坂(とっさか)城跡へ向かいました。新潟県には下越地方にも同名の城跡があり、新潟県の城跡紹介ではほとんどそちらが紹介されています。この鳥坂城は春日山城の支城のひとつです。
こちらは高床山森林公園のキャンプ場から登ることができ、本丸まで20分ほどです。こちらは鮫ヶ尾城以上にビューポイントがたくさんあり、特に本丸からの眺望は鮫ヶ尾城以上です。本来は頚城平野側を護衛するものではなく、反対側の南側を監視する城なのですが、そちら側への眺望はほとんどありませんでした。
眺望もさることながら、それ以上にワクワクしたのは本丸に連なる郭を遮断する堀切のすばらしさです。梯子をかけないと登れない深い堀切は、これぞ山城というすばらしさで、この城のほうが鮫ヶ尾城よりも国史跡にふさわしい?とさえ思ってしまいました。写真ではうまく伝わらないのが残念ですが、ぜひ自分の目で確かめてください。
まあ構造はすごくても歴史的価値は当然鮫ヶ尾城に及びませんよ。
さて、本日の目的はシンポジウムだったわけですが、講演内容は鮫ヶ尾城が歴史舞台に登場する「御館の乱」に関係する武田氏の動向、北条氏の動向、そして新潟県の城館における鮫ヶ尾城の評価という点に関するものでした。中でも、笹本氏による「ふるさと学習がふるさと愛を育てる」という主張はとても共鳴を感じました。(本題とはずれてますが・・・)
伊藤氏によると新潟県は、大分県や徳島県と同様に城郭があまり発達しなかった地域にあたるようですが、それは新潟では上杉謙信が、大分では大友宗麟が、徳島では三好長慶が、自国では戦争を行わず、他国で戦争と略奪をおこなったことに起因するそうです。城館の分布からその地方の中世の生活を推測するという視点は斬新でとても興味深いものでした。