秀吉の佐々攻めでは、白鳥城の出城として「大峪(がけ)城」が築かれました。
現在城跡は五福小学校となっています。が、城跡の名残りは全くありません。案内看板によると、小学校校舎が建っている高台が本丸跡と推定される場所だそうです。
確かに、校舎が立つ土地は5mほど周辺より高いようです。
校舎裏にまわると落差がよくわかります。
月: 2009年6月
秀吉の越中攻めの拠点 白鳥城
案内看板を横目で見ながら通り過ぎていた「白鳥城跡」にようやく来ることができました。
城山をかなり近くまで車で登ってくることができます。城山南駐車場には「白鳥城址」の石碑が立っています。ここから本丸跡までは徒歩20分ほどです。
本丸まで登ってくるまでも多くの郭や空堀があり、見所満載ですが、城跡の紹介をする案内看板がないのが残念です。宣伝すればいい観光資源になりますよ。
本丸からの眺望はすばらしいです。曇っていなければ立山連峰も望めて最高だったのですが、次は天気の良いときに来ますよ。富山城も場所がよくわかりませんでした。ぜひ、佐々成政を攻めた豊臣秀吉の気分に浸りたかったのですが。
本丸にようやく着いたとき、上から「ポトリ」・・・と音がしたので、何かな?と思ってみたら、クワガタでしたよ!珍しいのでしばらく見ていましたよ。
他にも、井戸跡や土塁など遺構がかなり残っています。
富山城址と城下町散策
午前中は天気よかったですが、午後から少し曇って来ました。今日は富山城址とその周辺を散策しました。
城址公園は現在急ピッチで整備が進められていました。今日は日本庭園の整備をやっていましたよ。
郷土博物館では「明治の富山城址」という企画展をやっていましたので、見てきました。富山城址と石垣が残った市民有志の方々に感謝です。おかげで本丸だけではありますが、現在も富山城の面影を見ることができます。
藩政期大きく蛇行していた神通川ですが、当時の面影は富山城のすぐそばを流れる松川に見る事ができます。
そこに架かる橋のひとつ「舟橋」です。橋桁の真ん中が船先を模して川へ突き出しています。
橋のたもとに常夜灯が残っています。傘の部分は劣化で欠けていますが、富山城下町を感じる数少ない遺物です。
当時の船橋(舟をつなげて橋の代わりとする)が復元されれば、またとない観光資源になるのですが、松川は川幅が狭いので無理でしょうね。
無念・・・
今日は試験を受けるために富山市まで来ました。金沢で土曜日に試験をやっていないので仕方がないです。
今日は約2年半ぶりにMCP試験を受けました。今月まで8割引で受験できたからですが(といっても3千円ほどかかります)、すでに所有しているSQL Server 2005(070-431)の後継試験としての、SQL Server 2008(070-432)を受験しました。
結果は点数から予想すると、1問足りなかったのか、3問以上足りなかったのか、わずかに及びませんでした。コンピュータ試験なので、終了とともに合否がわかります。「不合格」と画面に出た後、帰りの足取りは当然のごとく重くなりますね。
どのくらい足りなかったかが正確にわからないのは、正確な数字がわかるのは問題数だけで、満点すらわからなず、また加重配点のため1問当たりの点数が予想もできないからです。
基本的に2005のアップグレードバージョンだと思っていましたが、試験勉強で実際にインストールしてみると、そこからすでに違いがあることがわかっていました。が結局、実機運用まではできず仕舞で、予想問題集もない中、先日発売されたばかりの「アドバンスド SQL Server 2008 構築・管理」を読んでいましたが、試験には聞いたこともない機能もちらほら。まるで知らない単語ばかりが並ぶ英語の大学入試のようでした。
それでも点数からすれば健闘したと自分では思いますが、合格していなければ・・・やはり無意味です。
来月ようやく予想問題集が発売されることになりましたが、次回受験はいつになることか。正規の価格ではどうしても躊躇してしまいます。
ガンダム 大地に立つ
森の中から姿を現したのは・・・
ガンダム放映30周年を記念して、東京お台場に建設中?(製造中)のガンダムです。
いやー、ワクワクする勇姿ですね。先週知人が撮ってきたものをいただきました。自分は夏休みに見に行く計画を進めています。生きている間に18メートルの勇姿を目に出来る機会、ガンダム好きは見逃せないこの夏一のイベントですね!!
吉野家のどんぶり2個目ゲット
吉野家のどんぶりが届きました。春に豚丼を食べまくって1個はすぐに交換しましたが、期間ギリギリで交換した2個目は郵送希望でした。
(牛丼ではないです。豚のほうがあっさりしていて好き)
これで2人で牛丼・・・相手はいないけど
名古屋城検定 中級合格!!
今日ついに届きました。
めでたく名古屋城検定の中級に合格しました。50点中41点でしたので、前回初級並みの8割正答でした。ちなみに7割で合格となります。
前回の初級の合格認定証と並べてみると、初級より中級はひと回り大きくなりました。(ということは上級はさらにひと回り大きくなる?)
初級は焼印でしたが、中級の氏名は手書きに見えますが、人数分手書きしたのでしょうか?葵の家紋がいい感じですね。赤、青、と来たら、上級は黄色?って信号じゃあるまいし・・・
とは冗談ですが、上級は認定証の形を名古屋城の天守風に切ってもらえないですか?それを宣伝すれば少しは受験率上がるでしょうか。皆さんそれなら欲しくて上級めざしますよね。
さて、第一回の検定結果(公式)ですが、
受験者数:306名
合格者数:162名
合格率:52.9%
最高点:48点
平均点:34.6点
最年長合格:84歳男性
最年少合格:13歳女性
合格率は予想の範囲ですね。初級と違ってテキストの持込なしですから半分くらいです。それで来年の上級はそのまた半分がちょうどいいかな。
それにしても最年少が13歳とは驚きです。いくら歴史が好きだと言っても中学生ですよ。彼女も次回は上級受験するのでしょうね。これは負けられないですね。
弓庄城 越中戦国の地へ
念願の弓庄城跡へ来ることができました。弓の里歴史文化館は上市町の発掘調査遺物の展示がしてあります。
弓庄城発掘で出土した遺物もたくさん展示していますが、無料で入れるので、弓庄城見学の前にぜひ観覧ください。と宣伝はここまでにして、歴史文化館のすぐ前が城跡ですので、駐車場もここを利用します。
文化館の前に石碑が見えますが、それがこの弓庄城本丸跡の石碑です。本丸跡は現在何も耕作していません。
本丸跡を田のあぜ伝いに歩いていくと、田の段丘差が結構あり、弓庄城が丘陵の途中に作られたことがよく分かります。
ふと下のほうをみると、木陰に石碑が見えます。田の真ん中に墓か?忠魂碑か?と思ったのですが・・・
それは個人が立てた「館城址」の石碑でした。隠れた名所?
歴史文化館の脇にはきれいな花が咲いているなあと、また後ろを振り向くと、そこには「弓庄城跡」の説明板が・・・
あれ、横には駐車場。どうりで文化館の横は駐車するには狭かったね。
日中砦 弓庄城が眼前に
攻められた土肥氏の弓庄城を見たのだから、攻めた佐々氏の日中砦も見ておこうと探すこと30分・・・
ようやく見つけました。弓の里歴史文化館で市発行の中世城館報告書で場所は見ていましたが、実際には土地勘がないとすぐには見つかりません。
それでも、川沿いで墓がある場所というキーワードだけでも分っていたのでなんとか見つけられました。
立派な石碑が立つ墓地への入口は土橋の跡です。
土橋の両側には堀跡と土塁跡が見て取れます。
墓地の奥まで行って、弓庄城方角を眺めますが、竹やぶが邪魔です。なんとか切れ間から弓の里歴史文化館が見えました。ここならまさに弓庄城の様子が手に取るようにわかりますね。
下に降りて、川沿いに来ると、
砦跡は高所であることがよくわかります。しかし、墓地はそれほど広くはありませんでした。臨時の砦跡とは言え、少し謎が残りました。
川沿いからも弓の里歴史文化館を見つけることができます。この距離は互いに気を抜けない距離ですよ。戦国時代の緊迫感が伝わってきます。
富山市大山を行く
今日は石川は曇りでしたが、目的地の富山は雨でした。富山県埋文友の会のイベントで大山地区をめぐる予定で、午前中は大山歴史民俗資料館で解説を聞きました。
午後は小見城、中地山城の散策予定でしたが、雨も降っておりどちらかのみという話もあがり、そのまま帰ってきました。
しかし折角立山近くまで来たのに、そのまま帰るのももったいないので前々から行きたかった上市町へ向かうことにしました。
と、その前に、資料館の前後で旧大山町と立山町でいくつかの神社をめぐりましたので紹介します。
まずは蔵王社です。階段下より見ているとわかりませんが、本堂の軒下の壁には彩色豊かな飾り物が付けられていました。
立山博物館の隣りにある雄山神社中宮です。「おやまじんじゃ」といえば、石川では「尾山神社」なので、地元の方が「おやまじんじゃ」と話されていると勘違いしてしまいます。
こちら宮路神明宮です。あまり見るべきところは・・・
雄山神社前立社壇は社殿は大きかったですが、広さは中宮のほうが広いですね。「湯立の釜」は加賀藩13代前田斉泰が寄進したものです。
さて、雄山神社は越中一の宮なのですが、前立社壇、中宮があるということは奥の院もあるのでしょうか?