昨日ネットではいち早く合格発表があったが、今日結果が届きました。
ほぼ予想通りの67点。解答とともに届きました。
今年は現役世代初の40代の上級合格者も出ました。といっても3回でまだ7人です。上級合格者は、タクシー運転手と観光ボランティアまいどさん、そして検察事務官の方が49歳で合格し、早速今朝の新聞にインタビューが出ていました。
大きく合格率の下がった初級では15歳の最年少での合格者が出ました。中級は昨年並みの30.7%の合格率だったので、来年こそはしっかり勉強して臨めるように頑張りましょうか。
月: 2008年11月
江戸城本丸の模写絵ギリシャに
江戸時代の狩野派を代表する絵師、狩野探幽(1602-74年)が描き、同時代初期に江戸城本丸を飾ったびょうぶ絵「野馬図」を後世の狩野派の絵師が書き写した絵が、ギリシャ北西部コルフ島のアジア美術館に保管されていることが22日までに明らかになった。今年7月、同美術館を訪れた河合正朝慶応大学名誉教授ら国際学術調査団が発見した。
探幽の絵については、江戸城にあったことは知られていたが、後に焼失したとみられ、どのような図柄であるかなどは分かっていなかった。研究者らは江戸時代の狩野派の活動を知る上で一級の資料と評価している。(北國新聞2008年11月23日付記事より)
前田家墓所国史跡に
文化審議会は21日、金沢市の前田家墓所と、高岡市の前田利長墓所をまとめて「加賀藩主前田家墓所」として国史跡に指定するように塩谷立文部科学相に答申した。早ければ来年一月にも答申通りに指定される。文化庁によると、県境を越えた複数の地域・施設が一括して国史跡に指定されるのは石川、富山県内で初めてで、全国でも十六例目(特別史跡含む)という。
加賀藩主前田家墓所は、金沢市の野田山墓地にある加賀藩の歴代藩主や正室、側室らの墓八十基と、高岡市関にある二代藩主利長の墓で後世される。全国の近世大名の墓所でも有数の規模で、良好な状態で保存されており、江戸時代最大の大名にふさわしい風格を備えている。(北國新聞2008年11月22日付記事より)
金沢城河北門復元 記名会参加証がようやく届く!
当初12月初旬に開催予定であった金沢城河北門の壁板と瓦の寄進記名会でしたが、真柄問題も影響したのか、1か月程遅れてようやく参加証が届きました。
記名会日時は来年の1月10日土曜日と決定しました。当然雪も予想されるため、会場は五十間長屋となっています。実際には壁板や瓦が使用される河北門とは離れており、こんな機会だからこそぜひ工事現場に入れて欲しかったですが・・・寄進のし甲斐がないですね。イベントも意外に目立たずひっそりと行われるのかも。
まだ何を書くか考えていませんが、とにもかくにも楽しみです。
辰巳用水三段石垣、構築時期推定へ
金沢市は18日から、上辰巳町の犀川に面した斜面にあり、最上段に辰巳用水が流れる三段石垣の発掘調査を開始する。二週間程度をかけ、最上段の平坦部と、下段の基礎部の計2カ所を掘り起こして地層や遺物の有無を調べ、石垣の構築時期を推定し、辰巳用水の史跡指定に弾みを付ける。
三段石垣は辰巳用水の景観を収めた最古の資料「文化六年辰巳用水絵図」に描かれているが、築造に関する資料は見つかっていない。今回の調査では、石垣周辺の堆積土砂の状況や、石垣築造の土木技術を確かめるほか、道具などの遺物からも構築時期を推定する。(北國新聞2008年11月18日付記事より)
金沢城の石垣回廊 「鼠多門コース」完成
金沢城公園で17日、いもり坂口から旧県体育館下の石垣前を経由し、県営丸の内駐車場に至る「鼠多門コース」が完成した。石垣回廊のコースが市道に沿って整備されるのは初めてで、加賀藩の石工技術がより身近なものとなる。
新コースは延長約450メートルで、板を渡した木橋も設けた。昨年度に積み直しが完了した県体育館下の玉泉丸南西石垣、鼠多門続櫓台石垣、鼠多門周辺で、玉泉院丸と金谷出丸(現在の尾山神社境内)を結ぶ木橋が架けられていた石垣が見どころとなる。
石垣回廊は2001年度に城内ルートが完成。城内外の連絡ルートや外周ルートであるいもり堀、玉泉院丸、薪の丸、三十間長屋コースが順に供用している。県は来年度、丸の内駐車場から大手門、石川門下、百閒掘の各石垣で案内板を設け、回廊全体を完成させる方針だ。(北國新聞2008年11月18日付記事より)
以下は、11月8日現在の鼠多門コースの工事現場の様子です。
近江の旅 坂本城・大溝城
朝から生憎の雨模様ですが、出発の前にホテル近くの草津宿を見てきました。藩政期の宿場であった草津宿は本陣と脇本陣が残っていますが、草津市役所近いという立地上、開発が進み通りは当時の面影はありません。
ホテルをあとにして大津市歴史博物館へとやってきました。開催中の企画展「かわら-瓦からみた大津史-」を見るためですが、ちらしなどは寺院に使用された瓦が中心ですが、展示では大津市にあった坂本城・大津城・膳所城の瓦も展示されていました。
博物館を出発して、琵琶湖西岸を北上する途中、坂本城址の石碑を見つけました。今まで何度か通っているはずなのですが、見つけられなかった場所であったので、今回予定にはなかったのですが早速探索です。
湖岸の発掘調査地区を史跡公園として整備されています。公園からは琵琶湖を臨み、天候が良ければ見晴らしが良いところです。公園内には明智光秀の石像が立っています。
帰ろうかと思っていましたが、道路の向かい側に寺が見えたので少し周辺を散策しました。
国道から一本入った道路は旧坂本城下町の道であり、まっすぐでないところが当時のままである印象を受けました。
少し歩いていると交差点で、別の坂本城址の石碑を見つけました。こちらが昔からある石碑でよく坂本城の紹介写真で見るものです。あたりはきれいに整備され、先の史跡公園までの道が舗装されています。周辺には寺が三軒ありました。この辺りが坂本城下町の寺町であったのでしょう。通りの奥に見えるのは東南寺です。
さらに湖岸を北上すると、道路沿いに聖衆来迎寺があります。ここの表門は旧坂本城から移築されたといわれています。
境内は予想以上に広大なもので、そこに森蘭丸の父、森可成の墓がありました。坂本は織田信長による比叡山焼き討ちの被害にあった場所のひとつですが、聖衆来迎寺は有力家臣の森氏の墓所であったために難を逃れたため、多くの寺宝が残っているそうです。
坂本からさらに北上です。琵琶湖大橋より北側を車で走るのは初めてです。目的地は高島町の大溝城です。
JR高島駅近くにあるのが大溝城です。乙女ヶ池はかつての大溝城の惣構の一部です。
現在残る遺構は天守石垣台のみです。平成8年に町指定文化財になったという石垣は当時整備されたものと思われますが、現在は少し荒れた感じを受けました。道路から奥にあり、建物などに囲まれている環境も観光地としてはあまりいい環境とは言えませんね。
道路沿いの老人福祉施設の敷地がかつての三の丸跡で、案内の石碑が立っています。
城下町は近世の分部氏時代のものですが、それでも残された遺構はほとんどなく、城関連建造物としては総門(惣門)が唯一の遺構です。その総門もかなり改築をうけて、外観以外にその面影は薄くなっています。
町割りはかなり残されている様子ではありますが、武家屋敷もこの笠井家のみのようで、敷地に残る生垣や囲いにわずかに面影を残すだけで、建物は屋根もふき替えられ、増改築も数回行われたようで、観光用の看板は立っているものの、指定文化財にするには難しい状況です。
市内には古い建物が数件残っており、この造り酒屋の建物もかなり古いもののように見受けられました。かつてはかなりの賑わいを見せた城下町であったのでしょうが、現在は・・・、城下町として宣伝するには目玉がないですね。
高島を後にして、さらに北上してぐるっと回って長浜にやってきました。現在開催中の特別展「戦国大名浅井氏と北近江」を見るためです。平成の合併前の展示は長浜城下や秀吉が中心でしたが、浅井町を合併して、最近は浅井氏に関する展示が増えました。今回も浅井三代に関する展示でした。
長浜市は現在、浅井長政とお市の間に生まれた三姉妹に関する大河ドラマ誘致を盛んにやっています。近年では「功名が辻」で多くの観光客が訪れました。もしドラマ化が決定すれば、また多くの人が訪れることになるのでしょうね。
史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」に参加しました
風邪気味な体調をおして、楽しみにしていたイベントに参加するために安土町にやってきました。紅葉真っ只中冬もすぐだというのに安土城考古博物館の前にはひまわり!?が咲き誇っていました。
今回のイベントは同博物館で開催中の特別展「天下人を祀る」の鑑賞と、裏にそびえる観音寺山の散策です。
特別展鑑賞の前に、観音寺城の調査概要の説明がありました。今回は120名の参加ということで、非常に関心が高いです。滋賀県教育委員会では昨年度まで安土城跡の発掘調査を(18年間)実施し、来年度までに報告書をまとめる予定ですが、今年度から4年計画で観音寺城の石垣遺構の現況調査と一部発掘調査を行う予定とのことです。
展示のほうは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、3人の天下人が「神」として祀られる経緯に関する内容で、秀吉の豊国神社、家康の東照宮はよく知られた存在ですが、信長は・・・私も知りませんでしたが、建勲神社に祀られているそうです。
信長の神格化は直系の後継者がいなかったこともあり、かなり遅れて明治になってからだそうですが、それは明治政府が反徳川の象徴として、子孫の居た天童藩と天皇の膝元京都で神社を建立したことに始まるようです。
昼食後12時過ぎに博物館前に集まっていよいよ出発です。
今回のコースは、「桑実寺」→「伝本丸」→「伝平井丸」→「今年度発掘現場」→「観音正寺」→「伝布施淡路丸」→「大土塁」→「繖山三角点」→博物館となります。
桑実寺の山門で説明を受けているときに雨がパラパラと降りましたが、後は天候が持ちました。
桑実寺を出ていよいよ本丸を目指します。風邪気味の体が重いです・・・
伝本丸で説明を受けました。
観音正寺の境内は紅葉の真っ只中で、とてもきれいでした。
伝布施淡路丸へは初めて行きましたが、立派な石垣が郭を巡るように残っており、見ごたえがあります。
少し戻り、繖山で最も高い場所である三角点を目指します。途中佐々木城址の石碑の場所を教えていただきました。(道から少し入るのでわかりにくい場所です)
ここからの道は1人がやっと通れる山道を進みます。
三角点にようやく到着しましたが、ここからの眺めは最高ですね。雨が降ったために霧がかっていたのが残念でした。
三角点から博物館までの道は永延と下りでした。これがまたきつかった。
しかし、途中眼下に安土山を鳥瞰することができ、すっきりと晴れた日にもう一度ぜひ見たいと思わせる景色でした。
帰ってきた頃には風邪は少し治ったような感じでしたが、気のせいだったようで・・・。来年もまた予定を空けて参加したいです。
映画レッドクリフ パート1
今日は仕事を終えて映画館へレイトショーを見に行きました。久しく映画は見ていなかったのですが、最近よく「レッドクリフ」のCMを見るので、どんな洋画かと思っていましたが三国志だというので、「レッドクリフ=赤壁」か、ということでやっと繋がりました。
今までいくつもの映像化された三国志を見ましたが、どれもピンと来ませんでしたが、さすがに総制作費100億円のハリウッド映画だけあって、迫力ある映像は文句のつけようがないですね。
欲を言えば、関羽と超雲のイメージがちょっと違う。こちらは地元中国制作ドラマのほうがぴったりでした。一回で終わらないということはまた三部作か?と思ったら、前後編二部作ということで、赤壁周辺の事件しかやらないようです。後編は4月ということで、前売券を買って楽しみに待ちましょうか。
虚空蔵山に散策路 交流人口拡大、活性化狙う
能美市の市民グループ「能美の里ファン倶楽部」は16日、同市和気町の虚空蔵山にある中世の山城跡と城主の菩提寺跡などを結ぶ散策路の整備に乗り出す。同山周辺では市が中山間地と都市部の住民が触れ合う里山公園の整備を計画しており、歴史ロマン漂う道を新たに設けることで交流人口を拡大し、周辺地域の活性化につなげる。
散策路を整備するのは虚空蔵山城址から城主の菩提寺である徳山寺の跡地に至る約1.3キロ区間。年内の完成を目指す。市立博物館などによると、同城は戦国期、一向一揆の拠点となっており、金剛寺行松らが城主を務めたが、織田信長勢に滅ぼされたとされる。周辺には落城の際に戦死した武士を埋葬した「群集墳墓」があり、散策路は墳墓を見学できるように設ける。城址から徳山町のいしかわ動物園を結ぶルートの整備も予定している。(北國新聞2008年11月12日付記事より)