佐賀城を出発し、30分で吉野ヶ里遺跡に到着します。迎えてくれるのは弥生人風のマスコット人形です。
入ってみると、想像以上に復元建物がはるか向こうに見えます。終了1時間前に駐車場に入ったのですが、「今からでいいですか?」って聞かれたのですが、どうも1時間では回りきれないようで、「うそだろ?」と思ったのも束の間、どうやら本当のようです。
それにしても広大な遺跡公園です。中にバスも走っているんですよ。
展示室では出土した土器や甕棺が展示されていて、吉野ヶ里の発掘の経緯や成果がよくわかります。
展示室の向かいに広がる南内郭は政治を執り行っていた場所と考えられ、物見櫓や竪穴住居が復元されています。すべての竪穴住居の中は当時の生活を復元して、わかりやすく立体展示されています。
吉野ヶ里遺跡の見どころは、やはり北内郭の主祭殿ですね。2階では会合の様子が、最上段の3階では巫女の祭祀の様子が復元展示されています。
北内郭のさらに奥には甕棺暮列が広がり、さらに奥の盛り上がった小山は北墳丘墓(王の墓)です。
中は遺構をそのまま立体展示しています。
さて、奥の奥までやってきましたが、公園はさらに奥に現在の発掘現場があるようです。時間になりましたので、入口に急ぎますが・・・そこまで15分もかかるんですよ。なんて広いんだ!管理も大変そうです。
月: 2008年10月
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in佐賀
佐賀市は初めてです。あまり時間がないので足早に復元された本丸御殿のまわりを散策します。
まずは鯱の門が出迎えてくれます。この門は唯一の遺構建造物ですから威厳があります。
屋根の鯱もなかなかですね。
天守台に上ると、本丸御殿や土塁を上から俯瞰できますが、写真としては正面でないのでイマイチですね。
城内には土塁の復元とともに、発掘により見つかった水路の立体展示を見ることができますが、ここは鯱の門とは別の西門から入ってこないと見られないので、あまり見る人はいないでしょうね。
今日は月曜日なのでお客さんは年配の団体客が中心です。復元された建物内は新しいのできれいです。最近の復元建物は鉄筋コンクリートが少ないので、建物自体にも魅力あります。中の展示物は幕末中心だったので、自分にはあまり興味ありませんでした。
内堀は東側以外は残っています。かなりの堀幅があり、すばらしいですね。否うらやましいです。金沢城で同じ規模を誇った百間掘は埋め立てられて道路ですからね。
次の目的地に行く途中で城下で唯一の武家屋敷門の遺構の前を通りました。石碑が立っている観光地?だと思うのですが、管理が・・・・写真で見てもそう思いますよね。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in大野城
福岡城を出発し、福岡都市高速の終点水城にやってきました。ここは古代大宰府政庁の防衛施設であった水城の跡です。詳細な地図がなく、うろうろして、ここで写真撮って良しとしようか、と撮った写真が1枚目のコスモスの写真です。奥の木がある盛り上がりが水城の土塁です。この時はその近くに本来の目的地があることを知りませんでした。
コスモスとのベストアングルを探しながら写真を撮っていると、道の向うに石碑があります。「水城大堤之碑」と書かれた史跡公園はまさに目的地でした。
碑の横には「史跡水城址」と書かれた東門礎石があります。この道路は水城を分断して作られたものではなく、古代より道として存在し、門があった場所のようです。
史跡公園はコンパクトながら水城は何であるかを知る良い遺構が残っています。案内図にはありませんが、道のななめ向かい、コスモスの咲いていたほうにも駐車場と水城の説明看板があります。
土塁上の展望所に上ると、はるか遠くに続く水城を眺めることができます。
今回は時間的制約もあって、水城とともに大宰府防衛ラインであった大野城には登ることができませんでしたが、次回はぜひ大宰府とともに見に行きたいです。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in福岡
昨日に比べると少し曇っていますがいい天気です。
福岡城跡は舞鶴公園となっていますが、古代は海外との外交施設こうろ館のあった場所です。福岡ドームができたあと、ここにあった平和台球場跡地の発掘が進む中で様々な成果がありました。現在も発掘作業が続けられていました。
まずは「名島門」を通ります。この門は黒田長政の福岡城に移る前に在城していた名島城の脇門です。
下の橋大手門は現在復元工事中で中には入れませんでした。
正面にまわると、現在も残る堀の向こうに石垣があり、ちょうど石垣に巻きついた草を刈っている最中でした。珍しい光景なのでしばし見学。
福岡城跡の石碑は二の丸近くの駐車場のそばにありましたが、石碑はもうひとつあります。
福岡の観光ガイドにもほとんど紹介されない福岡城ですが、意外に多くの石垣が残っています。大天守台に上ると天守礎石が残っています。
見学台に上ると、中天守台と小天守台が見えます。小天守台には上れますが、中天守台はここから見ることができるのみです。
建物はこの多聞櫓と祈念櫓が2つ残っていますが、手前に見えるのは井戸で、城内にはたくさんの井戸跡が残っていました。残念ながら城内に植えられた木が邪魔で、石垣から見上げて建物を撮る良いアングルがありません。
こちらは大型バス駐車場から近い石碑です。歩道沿いに立つので、頻繁に通る自転車に気をつけながら撮影しましたが、石碑の背景に堀が入るのでなかなか良い写真になりますね。
日本100名城スタンプラリー 岩国城
山口県岩国市の岩国城です。といってもメインは手前の錦帯橋ですが・・・。19個目になります。
図柄は錦帯橋の向こうの前に見える頂上の岩国城です。
橋と城の比率がスタンプと実物では随分違います。下の2枚の写真を合わせたような配置でしょうか?小さな写真ではどこに城があるのかも分からないほどです。城山の左のほうにわずかに突き出ているように見えるのが岩国城です。
私の高望遠で撮影した頂上の岩国城ですが、それでも手前に描かれた土塀は確認できません。一昔に比べると土塀手前の木々が生長してきているのでしょうね。
錦帯橋越しの岩国城は、岩国城の紹介写真としては頻繁にみる構図なのですが、私の実際見てみたい城風景のトップ3とも言えるものでした。実際に見ることができて感動しました。
日本100名城スタンプラリー 広島城
広島城、18個目のスタンプになります。
図柄の方向は下の写真の方角でほぼ間違いなさそうです。下の写真は内堀西側から撮影したものですが、天守のみというのは、立派な二ノ丸建物群(門や櫓)が復元されているだけに少し残念ではありますね。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国
錦帯橋の向こうの頂上に見える岩国城、来たかった城のある風景のひとつでした。念願かなって駐車場となっている河原からまずは1枚。左の頂上に岩国城があるのですが、小さな写真にすると・・・
望遠で撮影した天守です。これが頂上にあるんですが、わかりますか?
そのまま河原を歩いて、近くから錦帯橋を何枚も撮りました。橋脚の石組みと橋桁の裏はこんな感じです。
頂上までは徒歩でも行けるようですが(行く人いるのかな?)、普通はロープウェーで近くまで登ります。
同じく頂上に天守のある岐阜城は実際に攻められた城ですから、攻めている気分で実際に登る人もいるでしょうが、ここは実戦なかったのでは。
天守のある本丸には旧天守の石垣が残っています。
博物館になっている天守に入り、最上階の展望台から見える風景はやはり絶景です。眼下の錦帯橋も小さいですね。
望遠で撮るとこんな感じです。
山麓には元々普段生活の営まれた館や武家屋敷があったものと思われますが、現在その一角にここを納めた吉川氏一族の墓地があります。一族の墓地というと、歴代藩主、正室、ここまではよくありますが、ここでは、側室、夭折した子供たちなど予想を超える墓が所狭しと立ち並んでいます。
一番高いところに初代吉川広家公の墓があります。歩き回ったあとに訪れるには少々体力的に厳しい場所にあります。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in大竹
広島市から岩国市へ向かう途中に、地図を見ると福島正則の築城した亀居城が書かれていて、麓から20分ぐらいということでちょっと寄りました。しかし、ちょっと寄ったつもりが、見どころ盛りだくさんな城跡でした。
麓の大型ショッピングセンター駐車場から見える正面の山が亀居城跡のある亀居公園です。右前方の交差点が入口です。
交差点には亀居城跡入口の石碑とともに、由来を書いた石碑と公園までの案内板です。由来によると、亀居城は福島正則が慶長八年(1603)から五年をかけて築城し、慶長十六年(1611)に幕府の命により破却されたようです。実質3年ほどしか機能しなかった城ということになりますか。
とてもとても急な上り坂を上って行くと、立派な石垣が迎えてくれます。城内には石垣が豊富に残り、予想以上の満足感を味わえました。
天守台には上れませんが、そこからの眺めはとても良かったです。瀬戸内海と向こうに大竹市の工場群が見えますが、すっきりとは見えず残念でした。
天守台を下から見ると、かなりの高さであることがわかります。ここまでの石垣が残っているのにあまり注目されていないのは残念です。
帰りも石垣を見ていると、刻印を見つけました。公園内にも豊富に残る刻印を案内する看板がありましたが、刻印のサイズはあまり大きなものではありませんでした。
迫力ある石垣が迎えてくれる亀居城はおすすめです。ぜひ天気のよいときにいきましょう。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in広島
今日は快晴です。市内に泊っていたので広島城まではあっという間に着きました(ちょっと行き過ぎたぐらい)が、広島城博物館(天守)のオープンまで一時間あるので、まずは内堀の外周を廻りながら、写真を撮ります。
駐車場から出て、まず迎えてくれたのは二の丸に復元された太鼓櫓です。広島城は学生時代に一度来たことがありますが、10年以上も前になるので、そういえばその頃は工事中だった・・・。
広島城の石碑は駐車場のある二ノ丸口とは違い、広島護国神社のある本丸口にあります。が、石碑と一緒には石垣しか写らず、建物が写らないのが残念です。今日は護国神社の何か行事だったようで、大勢の人が押しかけ、城内に車を無造作に停めるので、石垣のショットを撮るのに非常に邪魔でした。せめて、車は近くの駐車場に停めてほしいものです。
内堀に移る石垣や天守はきれいです。
広島城は金沢城と同じように、戦前は陸軍の駐屯地のひとつであったので周辺には陸軍時代の遺構が残っています。
内堀を少し外れて、太田川を歩きました。ここは基町堤防といい、広島城の惣構の一部を構成していた太田川の氾濫を防ぐために、広島藩主福島正則が築いた堤防が始まりだそうです。
博物館となっている天守前には、再建の際に発掘で出土した天守礎石を見ることができます。
広島城の日本100名城の認定証です。
駆け足でしたが、二ノ丸が再建されて魅力の増した広島城を堪能しました。次は岩国に向かいます。
日本100名城スタンプラリー 郡山城
広島県の吉田高田市、毛利元就で有名な郡山城です。先の津山城16個目に続き、17個目です。
図柄は背景に郡山城跡の遠景を配して、手前に「百万一心」碑を描いています。
毛利元就の墓の近くにあります。百万一心碑です。毛利元就は郡山城拡張の際に、それまでの風習であった人柱に替えて「百万一心」と彫らせた巨石を埋めたと伝えられており、一つ描く碑としては「三矢の訓」碑ではなく、「百万一心」碑が相応しかったのでしょうか。