九州最後の地は中津です。前に来たのは10年以上前の学生時代なので、堀と石垣が新しく整備されるなどして様変わりしていました。この城は個人所有なのですが、ニュースでは財政難でいつまで持つかという話もありましたので、閉じる前にもう一度見ておきたかったのです。
模擬天守に入ろうとしたとき、珍しいものを見つけました。岩蟹でしょうか?川が近いとはいえ、こんなところになぜ迷い込んだのでしょう。
天守北側の石垣は右側が黒田時代、東側が細川時代の石垣だそうです。しかし、場所は入口から正反対の場所にあるため、訪れる人も少なく勿体無いことです。
中津は城下も見どころがあります。徒歩でまわりました。
川沿いにしばらく歩いていくと、西門の石垣が残っています。民家の間に残る石垣は開発を免れ、周辺の住民の理解と努力の跡がしのばれます。
南部小学校の正門となっている門は中津藩家老の生田家の門です。
また、裏門の脇には大手門の石垣が残っています。
また近くには黒御門の礎石がアスファルトの道路に埋まるように1箇所残っています。
城下には数ヶ寺の寺が密集する寺町通りがあるのですが、中でも注目は合元寺です。赤壁に象徴されるこの寺は実際にも目を引きますね。
月: 2008年10月
日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 大分
昨日の雨模様から一転、晴れましたが曇っているので散策には良いですが、写真は白壁が空に馴染んでしまってダメですね。
府内城は大友宗麟の居城でしたが、県都である大分市のど真ん中にあることもあって、かなり開発の犠牲になっていました。それでも、なんとか内堀と櫓や門を復元して城であったことの面影は感じることができました。
写真のアングルによっては、まわりの高層ビルが写る残念な状況ではありますが、堀と石垣だけになっている多くの街中の城郭に比べれば、櫓があるだけで絵になりますね。
広い内堀のほかにも、ひっそりと用水として残った堀跡が残っていました。
山里丸であった地にある松栄神社の境内には、慶長時代の石垣が露天展示されていました。
福井城でも復元された廊下橋です。珍しい形の橋ですね。
城内に入ると、天守台前に大友宗麟像が立っています。天守台にも上ることができます。が、建物がない分見晴らしは遠くまでは無理ですね。
府内城は残る遺構も少ないですので、まわりを一周しても1時間強で見て回ることができます。
日本100名城スタンプラリー 岡城
飫肥を昼に出て、夕方ギリギリに岡城に到着しました。宮崎から大分へは高速がないので移動がつらいです。宮崎県知事の言うことも分かる。
さて、城に入る麓でメロディーロードを通りました。以前テレビで見たことありますが、自分で荒城の月を奏でるとは思っていませんでした。その岡城で28個目となりました。
ギリギリの時間に入ったので、すでに薄暗くすべてをまわってみることはできませんでしたが、駆け足で三の丸、本丸、二の丸と見てきました。本丸に登ると、麓のほうから例の荒城の月が響いてくるのですが、面白い趣向ですね。
スタンプの図柄は三の丸から二の丸の北側石垣をみた光景となります。当日は1日中雨でしたので、まわりの山々には霧がかかり、二の丸に立つ滝廉太郎像の向こう側にも雲海が広がっていました。もう少し早く到着していれば、いい写真撮れたんですけどね。
日本100名城スタンプラリー 飫肥城
今日は朝から雨です。今日は高速がない土地を行くので移動に時間がかかりました。朝鹿児島市を出発して、10時過ぎにようやく飫肥市に到着しました。来る途中大雨でしたが、見学中は小雨で助かりました。
飫肥は古い町並みも残っており、風情ある城下町でした。もっとゆっくり歩いてみたかったのですが、雨でもあり、急ぐ旅でしたので、飫肥城周辺を見ただけで出発しました。
スタンプの図柄は飫肥城の復元された大手門を城内から見た構図となっています。
ここで小冊子の書名は「飫肥ガイド -九州の小京都-」となっています。観光パンフレットにも「小京都」の文字が・・・。古い町並みをそう称しているのでしょうが、飫肥は典型的な城下町です。いまだにそういう誤解を修正していないのはどうなのでしょうか?
「飫肥ガイド -九州を代表する城下町-」または「飫肥ガイド -九州の小江戸-」
これなら分かりますけど。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 豊後竹田
17時前に岡城に到着。まだ間に合うのか心配しながら券売所に直行すると・・・何とか滑り込みセーフでした。聞けば17時までに入場券を購入すれば、あとはエンドレスだということです。岡城の入場券は巻物のようになっていてすばらしいです。これだけでも価値がある!?
時期的なものと、雨の影響もあってすでに薄暗くなってきているので急いで本丸を目指します。しかし、やはり写真はかなり厳しく半分はピンボケしてしまいました。
しかし、岡城の石垣の数々はすばらしいですね。眼下やまわりの山々の景色も良いです。今日は雨の影響で雲海ができていて、雰囲気も抜群です。
本丸から戻ってくると辺りはすっかり真っ暗でした。おみあげ店も閉まっていたので、何が売っていたのか気になります。
駐車場から少し下りた場所に岡城唯一の復元建造物である門が建てられていましたが、暗すぎて全体写真が撮れなかったのがこれまた残念です。
城跡から眺めていたときは雰囲気のある雲海でしたが、この後大分市へ向かう途中、視界ゼロの霧の中を運転する羽目になってしまい、しかも国道なのにすれ違いできない一車線道路に迷い込んでしまい、到着したころにはクタクタでした。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 飫肥
道中非常な大雨に降られた場所もありましたが、飫肥に入ると運よく小雨になりました。
飫肥城は城域の一部が学校などになっていますが、比較的良好にその遺構は残っていました。見どころはやはり石垣ですね。
陣屋風の歴史資料館では飫肥城の歴史を学ぶことができます。
歴史資料館のある新本丸を奥に進んで階段を上ると、旧本丸とされる郭が残っています。階段途中には門の礎石が残っています。
もう一つの郭である松尾の丸に上ると、木造で復元された御殿を見学できます。特に史実とは関係ないようですが。
城下町には石垣で整備された風情ある町並みが残っている場所が多数あります。もっとゆっくり見てまわる時間がほしかったのですが、残念ながら時間切れです。
観光用駐車場のそばには、藩政期に武芸を鍛えるために行われたという「四半的」を体験することができます。
やってみたかったのですが、正座ではなつ弓は思っていたより大きく、意外に本格的ですね。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 鹿児島
朝、厚い雲の中、桜島にも雲がかかっています。ずっと見ていると、太陽の光が雲間から漏れてきて非常にきれいでした。短い滞在でしたが、出発です。
朝のラッシュの中、島津今和泉家本邸跡を見てきました。現在は歩道沿いの石垣にその面影を残すのみですが、個人宅となっているこの石垣も藩政期のものではないそうです。
近くの高台は南州墓地となっており、西南戦争で戦死した2023名が眠っています。
中央には西郷隆盛さんです。
そのとなりは村田新八さんです。ほかの方々も桜島のよく見えるこの地に、桜島に向かって祀られています。
日本100名城スタンプラリー 鹿児島城
今日は篤姫効果で観光客(自分のその一人)がどっと増えた鹿児島城(鶴丸城)です。
熊本城、人吉城の次にしては少し物足りなかった。何が・・・って遺構が少ないからです。石垣と堀が2面残るのみですから。城内の県立歴史博物館「黎明館」はものすごく広かったです。またまた回りきれなかった。いつも計画にちょっと無理がある。
スタンプの図柄と同じ場所はありません。「史跡鶴丸城跡」の石碑は正面、鬼門で角が割れた石垣は正面右側の2面残る隅石です。
左手が正面となります。天気に恵まれた旅行でしたが、いよいよ雨が降ってきました。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 鹿児島
桜島が見えてきました。平野越しの山の景色はよくありますが、海を挟んで山が見える光景はなんとも言えないですね。
鹿児島ヴィーナスポートの篤姫館は大盛況でしたが、いぶすき館に比べると何か寂しい入口です。
中の写真を撮れるポイントは1箇所。篤姫の部屋のみですが、掛けられた屏風はあの薩摩の情景です。
街に繰り出す前にホテルにチェックインします。窓から眺める桜島も良いですね。
博物館に向かう途中には西郷さんの像が。
鶴丸城の本丸跡に建てられた鹿児島県立歴史博物館「黎明館」です。100名城スタンプはここで押せますが、1階でも広い展示室が、3階もあるんですよ。1時間ではゆっくり見て回ることができませんでした。もっとゆっくり来ないといけないですね。3時間は必要かな。
博物館を出ると、ついに雨が降ってきました。雨の合間をみて散策を続けます。隣の県立図書館は鶴丸城の二の丸跡に建っています。
城山の麓に建つ照国神社です。ご祭神は島津斉彬です。立派な左右対称の献木が正面にあります。
最近立てられたという小松帯刀像です。その見つめる先はいずこでしょうか。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 薩摩今和泉
指宿を出発し、薩摩今泉を訪れます。少し駐車場への入口が分かりにくいですね。駐車場には観光コースの看板が・・・ところが1箇所間違っているのですよ。
観光コースとは逆回りで巡ります。
コース途中にはこの地方特有の石積みの塀が見られます。
島津今和泉家の本領である地の別邸跡は現在今和泉小学校となっていますが、すぐ裏の海岸線には松並木と防波堤を兼ねた石積みが残っています。
小学校の校舎裏には別邸の井戸が残っています。
もうひとつ校舎の表に手水鉢が残っているのですが、場所がわかりにくく校内をうろうろしていたら、校長先生?に注意されてしまいました。親切な校長先生でよかったです。それにしても今は大河ドラマやっていて見ることができますが、終了したら見ることはできない!?かもしれませんね。
さて、案内看板や案内チラシの間違い、実はここです。手水鉢の位置や写真は海岸沿いにできた休憩所のオブジェになっています。見るからにツルツルの表面はうそ臭いのですが、テレビで紹介されていたのは全然違うよー
観光コースは小学校正面にまわっているのですが、何があるか書いてありません。実際まわってみると、島津斉興(斉彬の父)が近くの二反田川の護岸工事を行った先の石積みを再利用したものだそうです。
孝女袈裟子の碑です。袈裟子は生まれつき話せませんでしたが、たいへん親孝行な娘だったのを、殿様がその親孝行ぶりを褒めてお金や米を贈ったという話だそうです。
豊玉媛神社です。真っ赤な社殿が印象的です。
神社の隣は殿様の隠居所だった場所だそうです。階段や脇の石積みに雰囲気が残っています。
神社から墓所の道中「田の神様(かんさぁ)」を見ることができます。薩摩藩領内にのみ見られる豊作の神です。
今和泉家の墓地です。鳥居には島津の家紋が刻印されています。
歴代当主の中に、篤姫の父島津忠剛の墓もあります。
今和泉駅は篤姫フィーバーです。
道の駅いぶすき彩花菜(さかな)館では篤姫の好きだった赤味噌で漬け込んだジャンボ鶏肉を挟み込んだ「篤姫バーガー」が売っています。580円とファーストフードにしては高額ですが、その大きさと旨さには納得ですよ。テレビで放映されていて、本当に食べたかったんですよ。