15個目のスタンプは名古屋城です。イベント参加のために週末名古屋市へ来ましたが、春の名古屋城検定のときは、時間が足りなかったこともあって閉園したあとにスタンプのことに気づきもらえませんでした。
前回正門ではよくわからなかったこともあり、今回は東門で探します。少々分かりにくい掲示ではありましたが、切符切場(改札)に案内が貼ってありましたので、入場の前にスタンプを押しました。
スタンプの図柄は小天守を左にして見たときの大天守です。ちょうど本丸に入って天守内に入る方向からの絵ですが、実際は大天守の右下にはエレベータ施設が設置されています。図柄ではその部分には木々が書かれて、あたかも隠れているようになっています。
月: 2008年9月
特別展 「失われた国宝 本丸御殿」
今日はイベント「『金城温古録』の歩き方」の2日目です。明日から天候が崩れるという予報なので、曇りがちでしたが、外を歩き回るにはちょうどよかったです。
イベントは10時からだったので、朝早く出かけて、名古屋城周辺で前回いけなかった白壁地区を歩きました。観光地図では近代遺物が中心で、空襲を受けた市内では無理もないかなと思っていましたが、現地まで行くと、長屋門の案内があり、市内に唯一残るという長屋門を見ることができました。名古屋城の近くにあるのに、同時代の遺物を紹介しないとは勿体ないですね。(話によると、現在観光資源を見直しをしている最中らしいです)
10時前に現地に到着すると昨日よりも多くの人が集まっています。講演より、今日のような案内のほうが人気あるようですね。
城内10か所ぐらい立ち止まって説明を受けました。やはりこうした説明を受けながら見ると理解が深まります。
特別展 「失われた国宝 本丸御殿」の展示も古写真や地図を中心に非常に楽しめる展示でした。今回は展示物の図録も売っていたので、迷わず購入してきました。
本丸跡は囲いをおおわれていて復元の準備が着々と進んでいましたが、まだ何も建っていませんでした。おみあげに、春に購入した本丸御殿復元グッズのキャラメルを買おうと思ったのですが、どこにも販売されていませんでした。人気なかったのかな?おいしかったのに・・・
名古屋城を記録せよ!名古屋城百科「金城温古録」の誕生
今日と明日は名古屋のイベント「『金城温古録』の歩き方」に参加します。今日は名古屋市博物館の企画展「名古屋城を記録せよ!名古屋城百科『金城温古録』の誕生」の解説講座、明日は名古屋城の散策と特別展「失われた国宝 名古屋城本丸御殿」に参加します。2010年の名古屋開府400年に向けて、名古屋城本丸御殿復元や名古屋城検定など、城好きには嬉しい企画が満載の名古屋ですね。
午後からということで少し早めに着いたので、常設展とちょうど開催中であった古書市を見ました。博物館の一角で開催されていた古書市はスペースも狭く、蔵書も少なめでしたが、歴史ものや古地図、和書などを中心に販売されており、思いがけない掘り出し物が見つかりました。
解説講座は展示室ではなく、展示説明室で行われました。解説を聞いた後に展示を見学しましたが、着目点がはっきりしたあとでとても楽しめました。
注目は何と言っても5メートル四方もある「元禄10年御城絵図」です。最近名古屋城関係の書籍にはよく掲載される古絵図なんですが、大きすぎてA4程度に縮小された写真では何が書いてあるのかわかりません。現物は逢左文庫の所蔵ですが、大きすぎて今まで一般公開されたことがありません。門外不出の大絵図を見る最後のチャンス!?かもしれませんよ。
女性には「御城御庭絵図」がおすすめです。二の丸庭園の四季の花木がすべて描かれているのですが、これも現物はかなりの大きさで、何とも華やかな絵図です。
他にもたくさんの絵図や指図の展示があり、さらに、「名古屋城から富士山が見えるのか?」という検証コーナーもあり、まさに名古屋城尽くしの楽しい企画展です。入場料が300円、図録が700円、図録を買っても1000円で楽しめますので、お近くの方も、遠方の方も興味ある方はぜひ10月5日までにぜひご自身の目で確認してください。
それで名古屋城から富士山は見えるの?ってことですが、これも会場で確かめてくださいね!
名古屋駅に着いたときに観光案内所で市内の地図ももらってきました。最近は地図を手にするとまず城跡を探します。観光マップであれば1つぐらい城跡がかいてあることが多いですからね。名古屋城が大きく紹介されているので、他にないかなと思いましたが、東山周辺地図に「城山公園末森城跡」と書かれています。
展示会のあと、早速現地(城山八幡宮)に向かいました。市街地にこんもりとした森の入口に鳥居が見えます。ここが入口かと思い入りましたが、あとで違う事がわかりました。
さて、上り坂をのぼっていくと、道の左右がともに大きく窪み、明らかな空堀の跡だとわかります。ここですでにすごい城跡の予感がひしひしと・・・
本殿の建つ平地は本丸跡かと思いましたが・・・
本殿のまわりにも深い空堀がめぐります。
戻り道で境内の地図を発見。どうもここの平地が本丸跡のようです。近くに石碑もあります。空堀は二重にめぐっています。最初に見た両側の堀は内堀と外堀だったのです!すばらしいです。
石碑も向こうに見えるのは二の丸跡です。
二の丸跡には現在昭和塾堂が建っており、愛知学院大学に貸与されているそうです。
本丸跡から階段を下りて赤い橋を渡ります。鳥居の高さを見るとかなりの高位差があることがわかります。
この赤い橋も実は空堀にかかっているのです。
実に見どころいっぱいの末森城でしたが、一の鳥居の前に教育委員会の立て札がありましたので最後に確認です。末森城は織田信長の父、信秀が古渡城(春の名古屋城検定のあと見に行きました)から移った場所で、その死後、三男信行が城主になった城です。柴田勝家も信行方で嫡子信長と争った話は有名ですが、信行が信長の病気見舞いで騙し討ちされたあと廃城になりました。
平城の名古屋城の近くで、こんな良好な平山城を見ることができるとは・・・満足な1日でした。
河北門復元整備 木工事始まる
市内の都市銀行に行くついでに・・・というより口実に、朝の金沢城散策に出かけました。
まずは今月完成した尾山神社前の開渠化された用水です。現れた石積みはかなり立派なものです。
説明板も立てられたのですが、これが今地元でちょっとした話題です。「辰巳用水の開渠化」という見出しが注文されているのですが、今までここは西内惣構堀の始点だと教えられてきたので、辰巳用水という認識があまりないのです。
歴史的な事実としては、空堀だった西内惣構堀に辰巳用水から水がひかれて水堀化された経緯があり、現在の管理区分としては辰巳用水となっているので、間違いはないのですが、市民から異論がでているそうです。近々建て替える可能性も示唆されていますから、なくならないうちに一度ご覧あれ!
金沢城公園では河北門復元整備で、17日ついに木工事が始まりました。年末から来年一月には二の門の上棟式が予定されているということで楽しみです。
雪や雨に備えて、上屋をかぶせるために、大きな足場が組まれています。今日も次々と鉄骨がクレーンに吊られていました。
17日に工事関係者が出席して行われた「立柱式」に続いて立てられたという「鏡柱」2本と梁となる「冠木」はここ数日の悪天候でブルーシートで覆われていました。この鏡柱、高さ2.29メートル、重さ約1.2トンもあるそうです。
一の門は石垣の積み直しが終了し、隣接するニラミ櫓台の石垣を積んでいました。ニラミ櫓台は一月前は根石のみでしたが、すでに高いところは3段目が積まれて、非常に急ピッチに積まれています。これはあっという間に完成してしまいそうです。
最後は戦後以来の金沢城のシンボル的存在の石川門修復の現状です。今までは北側の太鼓塀が中心でしたが、今月16日、ついに櫓門の修理に着手しました。工事期間は2010年3月までで、漆喰壁の塗り直しや鉛瓦の取り換えが行われます。現在は二の門の三の丸側全面に足場が組まれていました。
二の門の一の門側にも足場を組む準備が着々と進められていました。
会津・鶴ケ城 ふるさと納税募り幕末の「赤瓦」復元
戊辰戦争から140年を迎える福島県会津若松市は19日、同市のシンボルである鶴ケ城(若松城)を、現在の黒い瓦から、幕末当時の赤瓦にふき替えるなどの復元整備を行い、その財源として、ふるさと納税を募ると発表した。赤瓦の城は全国的にも珍しく、全国に散り散りになった会津ゆかりの人々に訴えるほか、歴史や城ファンの支援を広く募りたい考え。同市では「敵味方の区別なく、全国の方から応援をいただきたい」と話している。
鶴ケ城は、年間63万人が天守閣に登る同市の観光のシンボル。天守閣は戊辰戦争後にいったん取り壊されたが、1934(昭和9)年に国の史跡に指定され、第2次大戦後の1965年に同市が再建した。その後、96年度に史跡を総合的に整備する計画をたて、入場料などを基金として積み立ててきたが、3.5億円となったのを機に、大規模整備に取りかかることにした。
天守閣再建から50周年を迎える7年後を目指し、秘密の会議を行っていたとされる三層の「御三階(おさんかい)」の復元や、天守閣を本来の赤瓦にふきかえ、老朽化した壁も塗り替える。文献や発掘調査から、鶴ケ城は1648年に、黒から赤瓦にふき替えられ、敗戦前の「往時」には赤瓦だったことが分かっているという。
また、合わせて財源に、同市へのふるさと納税をあてることも決めた。調査や設計も今後のため、総事業費はまだ未定だが、一般のまちづくりとは別に「鶴ケ城整備」の項目を設け、賛同者を募る。1万円以上の寄付をした個人には、1年間、天守閣への入場(大人1回400円)がタダになる「鶴ケ城通行手形」を贈る。菅家一郎市長は「ただ寄付を集めるのではなく、『鶴ケ城に』と使途をはっきりさせて応援団を募りたい」と話した。(2008年9月20日付朝日新聞)
会津若松市記者発表 天守閣再建50周年に向けた史跡若松城跡整備について
七尾城まつり・・・・
台風の接近でコロコロと変わる天気予報でしたが、今年の七尾城まつりは晴天となりました。ウォークラリーに参加しようと七尾城へ向かいましたが、上り旗はたくさん出迎えてくれますが、駐車場などの誘導案内がまったく見当たりません。時間もギリギリだったので今年は諦めました。
でも、せっかく七尾に来たので関連イベントめぐりをすることにしました。まずは、七尾駅前のパトリア5Fで開催中の「城山の四季展」を見に行きました。廊下に写真が飾られていました。ああ、これだけかって感じなのですが、館内の本屋には今年春発刊された「城山の四季」という写真集が販売されており、連動企画だったみたいです。
七尾城の位置というポスターに描かれていた七尾城のイラストです。
七尾城へは行けなかったが、ここまで来たので近くの小丸山城に寄りました。まつりでも何でもない時に来るのは久しぶりです。人もまばらで良い写真も撮れました。
パトリアで案内を見たので七尾サンライフプラザで開催中の「日本の名城100選」を見に来ました。
ただの写真展でした。
隣接する矢田郷公民館の掲示板で今日の七尾城まつりのポスターを発見しました。ああここにスケジュールが書いてあるのね。今年は畠山家入府600年記念と重なって一大イベントであるはずなのに、インターネットでは当日のスケジュールを知るすべがなく、ポスターに書いてあるなら、せめてポスターを七尾市のホームページにでも載せてほしかった。これでは一公民館行事と変わらないです。
最後に、国分町の能登国分寺跡に行きました。何度か来ましたが、ゆっくりと散策するのは初めてです。広い立派な史跡公園です。
回廊内にある櫓跡の中央部に穴のあいた石があります。地元でエボ石と呼ばれた石は、柱跡であったのだが、溜まった水で簡単にイボがとれたという伝承から元々の場所に残り、能登国分寺跡の発掘の契機となりました。
敷地内に建っている展示室では「能登の史跡」という特別展が開催中!ということだったのですが、部屋の片隅の壁にパネルが貼られているだけ。それもほとんどが販売中の「いしかわの遺跡」のコピーとは・・・。まあパンフレットもらったから良しとしよう。常設の能登国分寺跡の展示は思いの他見ごたえありますよ。
七尾城検定参加者募集!
春に一報をお伝えしていた「七尾城検定」であるが、主催の七尾市の広報はいまいち熱が入っていない。
本日わかった正式名は「ふるさと七尾学検定」である。第一回となる今年のテーマが「能登畠山氏・七尾城編」ということのようで、つまり今年1回きりということなのだ。
概要をお伝えしましょう!
検定日時 10月19日(日) 10:00~
検定場所 七尾市役所
検定方式 4択マークシートで50問中40問正解で合格
受験料 無料
申込受付期間 9月8日(月)~9月30日(火)
申込方法 往復ハガキで、七尾城検定申込と明記し、郵便番号、住所、氏名、連絡先を記入の上、郵送または持参(電話不可)
宛先 能登畠山家創立六〇〇年事業実行委員会事務局(七尾市教育委員会文化財課)
〒926-8611 石川県七尾市袖ヶ江町イ部25番地
TEL.0767-53-8437
さて、今回の七尾城検定は能登畠山家創立600年を祝う記念行事のひとつです。こちらも今月、来月といろいろと予定しているので紹介しましょう。
能登の史跡展
10月31日まで 能登国分寺展示館
「七尾城写真展」
9月30日まで パトリア
七尾市の発掘速報展
11月30日まで 七尾市文化財資料展示館(旧七商武道館)
第67回七尾城まつり
9月13日 17:00から 前夜祭
9月14日 10:00から 本祭 七尾城跡周辺
第13回全国詩吟大会
9月14日 9:30から 七尾サンライフプラザ
親子名城見学会
9月14日 10:00から 七尾城跡(本丸周辺)
能登畠山氏慰霊法要
9月14日 10:00から 霊泉寺
「源氏物語千年紀」特別公演
9月19日 14:30から 能登演劇堂
畠山サミット
9月19日 18:00から 和倉温泉「加賀屋」
能登畠山氏と能登の美術
9月20日から10月26日 七尾美術館
能登畠山氏と文芸の世界展
9月20日から10月26日 七尾城史資料館
「能登畠山氏と文芸の世界展」記念講演・シンポジウム
10月5日 14:00から 七尾サンライフプラザ
「中世都市と職人」シンポジウム
10月12日 10:00から 七尾サンライフプラザ
「能登畠山展」見学バスツアー
10月13日
七尾城検定
10月19日 10:00から 七尾市役所
市民劇団「N」「しんしゃく源氏物語」公演
10月18日 18:30から
10月19日 13:30から 能登演劇堂
第2回名古屋城検定 今度はチームで挑戦できる?
今年の5月に初めて開催された日本初の城郭検定 「名古屋城検定」 の第2回検定日が決定した。
12月7日(日)の午後2時からで、前回の土曜日午前中という明らかに遠方からの受験者には厳しい時間帯から、日曜日の午後という遠方からの受験にも配慮された時間帯で開催される。
今回も初級のみの開催であるが、「チーム参加」という区分が増えている。3人で問題をやるのか?と思ったら、どうもチームの熱狂度やユニーク度を競うコンテストをやるようだ。ということは3人は別々に問題を解くことになるのだろう。しかし、チーム参加の場合は3人で9,000円、さらにテキスト付!ということで試験中に勉強できる!?・・・・テキストを持っている人は安くなるのかな?少々の疑問はあるが、個人参加とは別の参加賞をもらえるかもしれない。
10月、11月と検定に向けて公開講座も開催される。遠方の方には無理であるが、近郊の興味ある方は名古屋城について一層の理解が深まる機会である。
公開講座案内(Wordファイル)
名古屋城本丸御殿の復興募金はすでに多額の募金額となっていると聞く。完成に向けて興味はますます大きくなるであろうから、今から地道に勉強して本丸御殿完成を迎えることができれば、見学するにしても何か違う見方ができようものである。
春の検定は時間が合わなかった皆様、名古屋観光を兼ねて、名古屋城検定受験はいかがですか?
検定申込期間:平成20年10月11日から11月28日まで
お問い合せ先:名古屋城検定実行委員会事務局 TEL.052-961-7580
城下町金沢の文化的遺産群と文化的景観セミナー 見えてきた「塩硝の道」をたどる
北國総合研究所が主催する3回シリーズ「城下町金沢の文化的遺産群と文化的景観セミナー」の第3回に参加してきました。天候の悪い日が続く中、今日も天候が非常に心配でしたが、なんとか夕方まで持ちました。募集人数40人のところ、大幅に増員して80名で2台の観光バスで目的地に向かいました。
こういうセミナーの良いところは普段見れないものが見れたり、団体向けに解説がつくところですね。参加費も昼食、拝観料込みで3,000円という値頃感があります。
本日最初の目的地は、昨年発掘調査で話題になった土清水塩硝蔵跡です。「土清水」なんて読むのかな?と思っていましたが、「つっしょうず」と読むようです。しかし、塩硝蔵跡がある土地は現在涌波と一部大桑です。おそらく出入口が土清水にあったから、というのが名の由来のようです。
発掘担当であった金沢市埋蔵文化財センターの担当者から脇の辰巳用水沿いを歩きながら説明を聞きました。意外にまだまだ藩政期の跡が残っているのですね。土清水から入ってくる道跡、道跡から辰巳用水を渡る橋のあった場所の石垣、外周の外堀跡など、草が枯れてきた頃にもう一度確認しに行きたいです。
本年度も発掘調査が来月行われるということで、場所は昨年の発掘場所の隣です。楽しみです。
バスは塩硝蔵跡をあとにして高速で五箇山に向かいました。到着したのは、国重要文化財岩瀬家です。
中で当主に岩瀬家の由来と塩硝の道についての説明を聞きました。
岩瀬家の裏に小屋があったので何だろうか?と思い当主にお聞きしたところ、発電所だということでした。自家発電用に建てられたものだそうですが、水力発電所は山奥に造られることから、平野部よりも早く電気が通るようになり、大正時代には使われなくなったそうです。なかなか貴重なものですが、中は公開していないようです。
昼食をとったあと、合掌造り集落のひとつ、菅沼集落に行きました。集落内の田んぼが稲穂を垂れ、良い景観でした。
合掌造りの屋根は三重構造になっていて、外側から萱(かや)、麻(前回分)、麻(今回分)となります。村近くの山には今でも専用の萱畑があり、毎年育てて屋根葺き替えの準備をするそうです。萱の内側に麻を敷くのは、萱のボロボロと落ちてくる端を防ぐ役割だそうです。
集落内の塩硝の館では、塩硝の作り方を学ぶことができます。右のパネルにあるように囲炉裏の下を掘って、干し草と蚕糞を入れ、囲炉裏の熱で一冬発酵させるそうです。五年目から塩硝の材料として使えるという気の長い作業です。
最後に、合掌造りの集落、相倉集落に行きました。ここまで時折日も差す暑い日となりましたが、一気に天候も下り坂で小雨が降ってきました。集落内の民族館で説明を聞いていたら、集落内をゆっくりと巡る時間がありませんでした。
今日は塩硝の道について勉強になりました。この企画は毎年大盛況のようですが、世界遺産になれなくても郷土の歴史を知るために続けてほしいです。
直江兼続の兜 金沢にあった
来年のNHK大河ドラマ「天地人(てんちじん)」の主人公で上杉家に仕えた名臣、直江兼続ゆかりの兜が加賀八家の1つ本多家の初代、政重が兼続に請われて婿入りした際に、結納の使者に返礼として贈ったものとみられ、19日から金沢市の藩老本多蔵品館で初公開される。(北國新聞2008年9月4日付記事)
藩老本多蔵品館