金沢城玉泉院丸跡南西石垣の修復工事で、作業完了までに三度にわたって石を積み直していたことが30日までに分かった。工事は大阪の石材業者の指導で行われ、作業途中で元の姿に復元できない恐れが出たため、再三やり直しとなった。藩政期の石垣築造技術の高さを示した形で、工事を発注した県公園緑地課は「積み直しは想定内」とする一方、関係者からは「県内にも優れた技術を持つ石工がおり、初めから任せれば積み直さずに済んだかもしれない」との声が上がっている。
作業は大阪の石材業社の指導を受け、金沢市内の石材業社の職人三人が取り組んだ。大阪の業者は大阪城や姫路城、熊本城など全国の有名城郭で石垣の築造・修復に携わった実績があるといい、金沢の現場を五、六回訪れ、石積みは初めてとなる職人に助言した。
最初の積み直しは石を三段まで積んだ段階で行われた。現場を訪れた大阪の石材業社や学者らでつくる石垣修復指導委員会が石垣の角度などを見て、解体前と同じ姿にならないと判断、最下段の一列を残してやり直すことになった。
二度目は五段前後まで積み上げた昨年12月下旬、三度目は七段程度まで復元した1月上旬にいずれも最初と同じ理由で積み直しとなった。三度目では、石垣積みに長い経験を持つ県内の石工に助言を求め、修築工事は3月上旬に完了した。
県内の石材業社からは「助言を求められた、県内一の腕前の石工が初めから手掛ければ、三度も積み直さずに済んだのではないか」との声が聞かれる。県公園緑地課は、修築工事に従事した職人は城郭の石垣工事が初めてであり、石を加工しないなどの制約のある中で工期内に完了したことを挙げ、「積み直しは想定の範囲内。工事はむしろ順調だった」としている。(北國新聞2008年3月31日付記事より)
月: 2008年3月
熊本城本丸御殿完成!!
久しぶりに熊本城の城主だよりが届きました。築城400年祭も大詰めを迎え、今号が最終号ということです。
本丸御殿は加藤清正が主君である秀頼を迎えて籠城できるように、「昭君之間」や「闇(くらが)り通路」を造ったと言われている。それが復元されたということであるから一度は見ねばなるまい。
結局400年祭中には訪問できそうにないが、一年内には訪れたいと考えている。今回は「本丸御殿来園記念品引換券」が入っていた。記念品として和手拭がもらえるらしい。
道路は周辺環境を変える
今月15日の地元石川県津幡町の舟橋から刈安までのバイパスが全線開通した。刈安の先は倶利伽羅峠を越えて、富山県小矢部市です。
従来、金沢方面からこの道へ至るには8号線を津幡バイパスの今町口で分岐して信号の多い道を通る必要があった。走行距離からすると、今であってもこちらのほうが近いのだろう。
刈安バイパスの開通により、「富山方面から能登へ、能登方面から富山へ、近くなりました」という宣伝文句とは裏腹に、実際の使われ方は少々違うようである。昨日ラジオを聴いていて、「金沢への朝の通勤が楽になりました」という投稿ハガキが読まれ、最初は・・・???、と何故かわかりませんでしたが、どうも大渋滞する8号線を通らずに、遠回りでも信号のない刈安バイパスから津幡バイパスを通るようになったようです。
ということは、今まで津幡バイパスも信号のある今町を降りる辺りから渋滞になっていたのに拍車をかけるということです。現在は山側環状道路のおかげでかなり渋滞は分散・縮小されたとはいえ、新しい渋滞要素ができたということです。
また、津幡バイパスの交通量は増え、8号線は交通量が減るということですから、道路環境や周辺の施設(ガソリンスタンドやコンビニ、スーパーなど)にとっては近いうちに死活問題になることも考えられます。
全線開通後まだ通ったことはないですが、隣県が近くなったということで出かけることも増えることでしょう。
福井県立恐竜博物館 国際恐竜シンポジウム2008
昨年夏以来の福井県勝山です。今日は福井県立恐竜博物館にやってきました。
今日と明日の2日間で「国際恐竜シンポジウム2008 アジアの恐竜研究最前線」というテーマでシンポジウムが開催されます。ここ北陸で国際的な恐竜研究の最新報告が聞けるなんて嬉しい限りです。
会場はいっぱいでした。講演者はロシア、中国、韓国、カナダ、タイ、モンゴル、そして日本と多彩なので日本語と英語による同時通訳が行われました。
基調講演
董 枝明(ドン ジミン)氏
講演1
イワン・ボロツキー氏(ロシア科学アカデミー)
リンチェン・バルスボルト氏(モンゴル科学アカデミー)
イ・ユンナム氏(韓国地質源研究院)
東 洋一氏(福井県立恐竜博物館)
藤田 将人氏(富山市科学博物館)
講演2
李 強(ジー チェン)氏(中国地質科学院地質研究所)
彭 光照(ペン ガンザオ)氏(自貢恐竜博物館)
李 大慶(リー ダーチン)氏(甘粛省地勘局第三地質鉱物勘査院)
呂 君昌(ル ジュンチャン)氏(中国地質科学院地質研究所)
金 幸生(ジン シンシェン)氏(浙江省自然博物館)
講演3
バラブード・スティーソン氏(タイ王国国土資源局)
柴田 正輝氏(福井県立恐竜博物館)
冨田 幸光氏(国立科学博物館)
エバ・コッペルス氏(アルバータ大学)
フィリップ・カリー氏(アルバータ大学)
お昼は青空が広がり遠くの山々がきれいでした。恐竜博物館のシンボルとなっているタマゴ型ドームも太陽の照り返しがまぶしいです。
なんて写真撮っていたら、ある家族に写真撮ってほしいと頼まれました。何言っているか分からなかったけど、中国語かな?今日はシンポジウムも開催されているので海外の方も多いようです。少し焦りました・・・
今年は雪が少なかったので白峰を通る県境越えも道路脇に雪が残るものの、付近の山々は地肌が所々見えていました。本来ならこの時期はまだまだ雪が残っているはずなんですが・・・。県境越えは白山の麓を通るので、逆に白山を拝めないな、と思っていたのですが、帰り道に1カ所だけ拝むことができる場所がありました。
しばし車を停めてシャッターを押す。
頂上はもう少し右側ですが、他の山々と違う真っ白の山頂が何とも言いがたいですね。
今日はようやくミュージアムショップでフクイラプトルの復原モデルと全身骨格のミニフィギュアを購入しました。発売当初は売り切れも続出した人気グッズですが、相変わらずの人気で高く積まれていました。フィギュア造形で有名な海洋堂と、恐竜造形で有名な荒木一成氏のコラボレーションです。
それにしても、恐竜の研究は年々新しい発見があって面白いです。私の子供の頃とは世界が随分変わってしまいました。今年の春は日本各地で恐竜テーマパークが開催されています。
世界最新!よみがえる恐竜大陸
3月20日から5月18日まで(幕張メッセ国際展示場10・11ホール)
世界最大の翼竜展
3月20日から6月15日まで(名古屋市科学館)
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プログラムエラーで長い間、コメントもトラックバックもできなかったようです。今日確認しました。
長い間コメントもトラックバックもないので、かなり寂しかったんですよ、実は・・・
福井 一乗谷朝倉氏遺跡発掘調査現地説明会
今日は昨日の雨もあがり良い日となりました。昨年日本百名城スタンプラリーで訪れた福井県の一乗谷朝倉氏遺跡はとても気になる場所の発掘調査中でしたので、本日の現地説明会は参加する予定でいましたが、先日新聞報道されたことでたくさんの人出が予想されます。
まずは早めに到着して入口の資料館で情報収集です。新聞報道の遺物は資料館ではなく、現地説明会で見ることができるということでした。
第124次(すごい数ですね)となる今年度の発掘調査は、上城戸から朝倉館跡までの発掘空白地帯の城下町調査として諏訪館跡の下段の平端部(もと水田)の調査でした。一乗谷は水田に作りかえられたとき、厚く土を盛って開墾されたために、遺跡が良好に残っている可能性があるそうです。
もともと親族や近親者の館跡に近い区画であったので、上級武士の館跡が発見されることを期待して始まった調査ですが、結果は予想を裏切るもので、新聞報道にもあった刀装具の鋳型や炉跡などが見つかり、朝倉氏直属の職人集団の住居地があったと推定されるそうです。
刀装具の鋳型 鍔(つば)
刀装具の鋳型 目貫(めぬき)
硯(すずり) 裏面には建物や松竹などが描かれている
本日の説明会には新聞報道の影響もあって、例年50名ほどの参加なのが、130名を越える参加者が集まりました。新聞報道のわりには少ないかなと思うが、担当者は少し戸惑い気味で、2班にわけて説明することとなった。
遺構も井戸や、道路、礎石、石敷建物、埋甕土坑(越前甕を埋めた穴)、暗渠、炉跡、土塁跡など見どころの多いものでした。
井戸遺構 2m以上の深い井戸が3つもありました
道路遺構
暗渠遺構 溝に石で蓋をした遺構です
炉跡遺構 石敷の中央に炉?らしき遺物が残る
土塁遺構 下1段の石塁が残るのみで上段は水田整備で削られている
土塁遺構では事前の注意があったにもかかわらず、別班の1名が出土した石塁を崩すハプニングもありましたが(大切な遺構ですから石一つでも位置をずらすのは文化財破壊行為ですので皆さんは気をつけてくださいね)、天候もよく写真もたくさん撮りました。欲を言えば、前日の雨で石敷遺構が水没していたのが残念でした。
説明会のあと、朝倉館跡などを見学しました。館跡の後方斜面は平成17年度の集中豪雨被害の跡がまだ残っていました。資料館の人によると、後方の一乗谷城跡への3本のルートのうち、2本も集中豪雨により通行止めとなっている模様です(登れるのは下城戸近くからのもっとも緩いルートのみ)。以前から何度もここへは訪れていますが、一度山城跡へ登ってみたいです。先の新聞報道では福井県は一乗谷城跡のある山を地権者から買い取って、史跡整備を始めるということで楽しみなことが多い朝倉氏遺跡です。
今日はスタンプラリーを開催していたので、資料館と復元町並を見学して、最後にいっぷく亭で抹茶をいただき、景品の絵葉書をいただいてきました。
朝倉氏遺跡 刀装具鋳型が出土
福祉県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館は13日、国の特別史跡に指定されている同遺跡から戦国時代の、刀を装飾する目貫(めぬき)など「刀装具」の鋳型計37点が出土したと発表した。
資料館によると、刀装具の鋳型が大量に発見されるのは珍しいといい、発掘した区画が武家屋敷に相当する規模で、朝倉氏の身内の屋敷が集まっていたとされる場所だったことなどから、朝倉氏直属の身分の高い、金工師集団が存在した可能性が高いとしている。(北國新聞2008年3月14日付記事)
一乗谷朝倉氏遺跡資料館 報道発表について
※一定期間を過ぎた場合はリンク先がない可能性があります。
平成19年度発掘報告会 いしかわを掘る
本日は石川県生涯学習センター(旧石川県庁)で行われた石川県埋蔵文化財センター主催の「平成19年度発掘報告会 いしかわを掘る」に参加してきました。
平成19年度の発掘調査から
報告1 五歩市遺跡(白山市)
報告2 直江北遺跡(金沢市)
報告3 松谷寺跡(小松市)
報告4 野々江本江寺遺跡(珠洲市)
報告5 七尾城跡(七尾市)
報告6 金沢城跡(金沢市)
の6箇所の報告が行われました。
全国的な注目度からすると、全国初で最古の木製板碑・笠塔婆が発見された野々江本江寺遺跡が一番なのですが、私的には七尾城跡と金沢城跡が注目でした。それぞれの発掘調査現地説明会には参加していましたが、説明時にはすでに埋め戻されてしまったもの、それ以降のものなどあるのかないのか期待していました。
七尾城跡に関しては、説明時にすでに埋め戻されていた惣構堀と切岸の写真を見ることができました。
惣構堀
切岸
また、遺物のなかのすずり(説明会ではなかったような)の展示もあり、裏に書かれた武者絵?も線を引いて分かりやすく説明がありました。
硯(すずり)
金沢城跡では河北門復元整備のなかで、新丸から河北門に至る河北坂のトレンチ断面の写真が初公開で、17世紀初頭の利家時代に河北坂がすでに整備されていたことが判明されました。
河北坂 トレンチ状況
河北坂 断面拡大
報告の中でもすでに金沢城の玉泉院丸の南西石垣の積み直しが終了したということで帰りに見てきました。確かに最上部まで積み直しは終了しているようでしたが、足場はまだ外されていませんでした。工事期間は3月21日となっていましたので、最終確認して来週以降に外されるのでしょう。
名古屋城検定 詳細
昨日事務局から検定テキストが届きました。一緒に振込用紙付き検定申込書も同封されていましたので、先日よりも詳細な受験内容を、
試験日:平成20年5月10日(土) 御殿の日
試験時間:午前10時~11時45分
*試験時間90分、約15分の説明後に試験実施
試験会場:名古屋国際会議場 会議室(名古屋市熱田区西町1番1号)
受験料:2,000円(消費税込)
*受験料の一部を名古屋城本丸御殿積立募金に寄付
出題範囲:名古屋城の歴史・文化、人物・出来事、建造物などについて、基本的な知識レベル
出題形式:「名古屋城なるほどなっとく検定」テキストを中心に出題(4肢択一)
*「名古屋城なるほどなっとく検定」テキストのみ持込み可
認定基準:正解率7割以上で、名古屋城検定「初級」を認定
認定結果:6月中旬までに、認定結果を郵送。「初級」認定者には認定証同封。
テキストはタウン誌のような体裁で、フルカラーで気軽に読めるよう写真を豊富に使っています。パラパラめくってみても解説が意外に短く、こんなんで問題作れるのか?と思いますが、本丸御殿復元の機運を高める目的ですから、まずは手にとってもらい、そして検定を受けてもらうという趣旨からはちょうど良いのでしょう。ぜひともたくさんの人に受験してもらいたいものです。検定が盛り上がれば早く本丸御殿を見ることができる!?かもしれませんね。
テキスト他お問い合わせは以下のところまで。
名古屋城検定実行委員会事務局
〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-20-9
TEL.052-961-7580 FAX.052-951-4492
戦国時代の足利将軍家と本願寺・加賀一向一揆
本日は石川県生涯学習センター(旧石川県庁)で、「加能史料はいま」平成19年度第2回の公開講座でした。講師は聖学院大学非常勤講師の山田康弘氏により、「戦国時代の足利将軍家と本願寺・加賀一向一揆」というテーマで講演がありました。
今回の対象となる時代はまだ加能史料としては発行されていないところではあるので、先取りということになりましたが、戦国時代初期の12代将軍足利義晴と10代本願寺宗主(しゅうす)証如の関係と門徒集団加賀一向衆との関係を、現代世界と比較しながらの非常に分かりやすい話でした。良い内容ではあったのですが、大学講師特有の単調な話し方が、今日のうららな天候と相まって眠くて仕方がありませんでした。
戦国時代の足利将軍家は一般的に無力だとか、傀儡政権に過ぎないという評価が定着していますが、研究者もそういう固定観念からか現在でも研究がほとんど進んでいないとのことで、実は権威として役割はまだまだ健在だったようです。事実、将軍の呼びかけ(書状)に応じて大名が行動を起こしているのですから確かにそうなのでしょう。織田信長の傀儡といわれる15代義昭にしても、実際織田包囲網が一時的にせよできたわけですから。
歴史は固定観念で見ずに、やはり疑ってかかるところに新発見があり、面白さがあります。