今朝の地元北國新聞に以下の記事が出た。
「金沢市辰巳町で13日までに、辰巳用水の維持管理のために造られたとされる三段石垣が全長260m、高さ6-8mの壮大な全容を現した。最上面に辰巳用水が流れる三段石垣は長らく草木の茂みに覆われて隠れていたが、金沢市埋蔵文化財センターが昨年11月から伐採を進めていた。センターは石垣の調査を進め、辰巳用水の国史跡指定への弾みとする。」(北國新聞2008年2月14日付)
そこで、場所を聞いて見に行って来ました。
その場所は、以前行ったことのある場所でした。犀川が左側へ蛇行する道路を挟んで、辰巳用水は山をくり貫いて流れています。前回来た時は全く気がつきませんでした。
それにしても、石垣は長く、段になっているところもあれば、一段で一気に造っている場所もあり、城の石垣と比べても劣らない景観です。
下の場所が新聞に載った場所です。新聞記事では三段石垣部分のみが開渠となっているとのことでしたが、雪が深く足場が悪かったので確認できませんでしたが、素晴らしい造りでした。
春になったらまた行きましょう。平日こうやって行動するのはそろそろ終わりですが・・・
月: 2008年2月
加賀藩の偉大な測量家、そして高岡城石切場へ
連休最後の今日は良い天候でしたね。午前中は青空が広がっていましたが、午後から曇ってきてちょっと残念でした。雪の影響がなかったので予定していた富山県へ出かけました。
最初は、射水市新湊博物館(旧、新湊市博物館)です。現在、「射水の町・村」というテーマで企画展が開催されており、江戸時代後期に射水市で生まれた加賀藩の偉大な測量家であり和算家であった石黒信由の描いた測量絵図の数々を見てきました。ここを訪れたのは初めてで、企画展だけではなく、常設展もゆっくりと見てきました。
金沢城二の丸御殿炎上による藩内絵図の消失が契機で、その技術を藩に認められ、地元射水郡だけではなく、越中婦負郡、越中新川郡、越中砺波郡の越中4郡と能登4郡、河北郡、石川郡、能美郡、江沼郡と加賀藩と富山藩・大聖寺藩の加越能全域を測量調査しています。その絵図は縮小されて、復刻絵図として販売されていました。古図や地図が好きな方にはお勧めの場所、企画展(今月24日まで)です。
続けて富山市内へ移動して、富山市郷土博物館で開催中の企画展「物語の中の佐々成政」を見てきました。江戸時代、物語絵本の中で佐々成政が描かれた箇所を10点ほど展示していました。こちらは期待して程ではありませんでした。
もうすぐ公開の千歳御門は囲いが外されて、最終調整が行われていました。
最後に氷見市の海岸へ行き、先日も地元新聞で特集された雨晴海岸の義経岩を見てきました。
そこには海岸越しに見える絶景が・・・というのを期待していたのですが、生憎の曇り空で立山連峰の絶景は拝めませんでした。上の写真は観光駐車場の看板です。今日の様子は下の写真。
ここjに来た目的は、義経岩が高岡城の石切り場の一つであり、矢穴(石の切出しの際につくノミの跡)のある石がある、という情報からその石を見たいということでした。
線路脇の岩の上には社があり。海岸部の岩にはいくつもの穴が空いています。穴は倒壊を防ぐようにセメントで固められていました。
まずは、岩の周りを1周。さらにもう1周。洞窟内をぐるぐるぐるぐる。周りの人から見れば、何をしているのか分からなかったでしょうね。岩は波の浸食を受けて、デコボコが多く、これが矢穴である、と特定できるものはなかなか見つかりませんでした。
その中でもこれはそうかな?というものを2つ見つけました。
ますは、海岸部の岩の支柱外側の石に見つけた4つの穴。矢穴をつけたものの割らずに終わった形跡にも見えます。
そしてもう一つ。こちらは社のある岩の裏側で見つけた石に1つの穴。穴に沿って細く割れたような線がついていました。1つの穴というのは矢穴としては断定しにくいのですが、矢穴を入れた際に思う方向と違う割れ目となったので中止したようにも見えます。
私は多くの石切の形跡を期待していたので、そういう意味では少し残念な結果でした。
金沢城・兼六園ライトアップ
「金沢城物語」として春・夏・秋・冬の年4回開催されているライトアップイベントは2年目(3年目?)を迎えて恒例となってきた感もありますが、今晩も大勢の方がライトアップ目当てに来ていました。
昼以降の雨で雪は大分消えてしまいましたが、それでもところどころ雪を残しており、昨年よりは冬らしいライトアップとなりました。が、始まる頃には雨はさらに強さを増し、金沢城は多数のカラスが空を舞う異様な雰囲気でした。三ノ丸芝生の上や建物の屋根はカラスで埋め尽くされ、一体建物を写しているか、カラスを写しているのか分からないような状況でもあったので、早々に兼六園へと移動しました。
夜景はただでさえ写真が難しいのに、降り止む気配のない雨のため、撮影は困難を極め最新のデジカメでも多くの写真がピンボケしてしまい、数枚が何とか使用できる状態でした。せめて雨が降っていなければもう少し良い写真が撮れるのですが・・・。
しかし、冬の兼六園は雪がなくとも、雪吊りなど風情があってとてもよいです。園内のほとんどはオレンジ系のライトアップですが、瓢池だけはミドリ系のライトアップとなっており雰囲気が違っていました。
周りの人たちも写真を撮っていましたが、やはり時代でしょうか。半分ぐらいのひとは携帯電話。性能が良くなったとはいえ、コンパクトデジカメと比べれば一世代も二世代も以前のものと同性能のため、とてもピンボケなしにはとれないと思いますが、携帯をかまえて写真とっている姿は何とも言いがたいですね。
金沢御城中壱分碁絵図の魅力
先日紹介した「加賀藩・歴史文化護持協力会」の賛助会員として入会しました。初年度入会特典の「金沢御城中壱分碁絵図」が送られてきました。ナンバーは「122」とあります。
私は当初復刻城絵図のみが贈られると思っていたのですが、ケースの中には、解説と袋も入っていました。この袋は「金沢御城中壱分碁絵図」が入っていた収納袋を復刻しています。表には確かに「文政13年」の文字が書かれてあり、裏には絵図の色づけが「畳」「板」「土居」など説明されています。城絵図の復刻は珍しくはないですが、収納袋まで復刻することは大変珍しいのではないでしょうか。こうして一式でマジマジと見るといろいろな発見があって面白いです。
現在の尾山神社(当時、金谷御殿)には「綿羊小屋」があるな、当時米蔵だった堂形にも「門」があるな(当然といえば当然だが・・・堂形門跡遺構の話は聞いたことがない)、当時の極楽橋の下は水堀なのか、玉泉院丸の池には浮島が3つあるな、など時間がいくらあっても足りないので、楽しみは今後に取っておくことにしました。
すでにこの城絵図の魅力に取り付かれていますが、金沢市玉川図書館の近世資料館では実際の絵図が研究者でなくとも閲覧できるようなので、時間があるときに一度訪れてみたいと思っています。
平成19年度金沢城大学 「石切丁場と石垣普請」
金沢城大学 歴史文化コースも今日で終わりです。今回は金沢城調査研究所の冨田氏による「石切丁場と石垣普請」という講演でした。冨田氏には城内石垣ツアーやキゴ山ツアーなどで何度か石垣に関する解説を聞かせてもらいましたが、こういう学習タイプの講演は初めてでした。
金沢城の石材研究も、すでに他地域の石材利用との比較というステージにあるようですが、石垣といえば今でも「刻印」が気になる人が多いようです。
以前は家臣の家紋と言われていましたが、天下普請の城でない金沢城では最近はその説は違うと言われています。現在は石切集団単位の縄張りを示す印と言われていたり、そもそも家臣の家紋と最初に言われた根拠となった絵図上の記号も、1,2,3,・・・、イロハニ・・・のような序列を表すものに過ぎないのではと言われていたりするそうです。この謎はタイムマシーンに乗って、当時に人に聞きに行かないと本当のところは分からないのかもしれません。
講義終了後、閉所式が行われ修了証書をいただきました。2年間受講しましたが、興味の尽きない、貴重な話題を提供してもらいました。来年度も続くそうですが、私は就業形態が変わるので来年度は受けることはできないでしょう。もしこの先何十年も続くようであれば、また受けたいと思います。
そういえば、「よみがえる金沢城」(北國新聞社刊)ですが、来春には第二巻がでるようです。楽しみですね。
やっとやっと販売開始!
準備から2年、ようやく販売を開始できた。思えばここまでの道のりはとても長かった。
サイトもまだまだ思い通りに動かない部分も多々有り、サイト作りながら、商品も準備しながら、というようなバタバタした感じではあるが、とにかく始まったということが嬉しい。
加賀藩・歴史文化護持協力会 賛助会員募集
先日、設立記念総会の行なわれた「加賀藩・歴史文化護持協力会」ですが、当日資料が足りなくていただけなかった「入会趣意書」が送られてきました。以下、その文面です。
加賀藩・歴史文化護持協力会 趣意書
歴史は涛涛と音を生して流れて行き、文化は一朝一夕にして生まれる事はない。
前田利家公を藩祖とする加賀百萬石の大藩の歴史と文化は、今も県民の高い素養の中に活きずいては居ますが、然るべく組織の中で保管・管理されている物以外は、個人宅にあり又所在不明の物も多く、日一日と朽果てるが実態であります。
そこで、今日容あるもの(特に古文書)を中心に、旧加賀藩に関係されました方々と、ご協力を頂く事の出来ます皆様方で、護持協力会を設立し、行政のご協力も得て、僅かでも発掘・調査・研究・保存にお役に立てばと、加賀藩・歴史文化護持協力会が設立されました。
この会は、ご入会を頂きました会員の皆様のお預り致しました基本金の運用金と年会費寄付金等を事業資金とし、旧加賀藩政時代の歴史文化の研究、護持に協力をすると共に、これを一般に発表し、もって地域の文化向上発展に寄与する事を目的に、各種事業の展開をいたします。先ず初年度には、研究委員会の設置・古文書の調査・講演会の開催・御城中壱分碁絵図の復刻(学校・図書館等への寄贈)・文化財保護への協力等を行います。
この趣意をご理解頂き、ご入会ご協力賜ります事をお願い申し上げます。
平成20年1月吉日
会長 横山隆昭
会員の種別
正会員 本会の主旨に賛同し、会の活動及び事業を推進する為入会基本金を納めて頂いた個人及び団体
入会基本金
個人 1口 10万円 年会費 1万円
団体 1口 30万円 年会費 3万円
入会基本預り金
1口 100万円 年会費 免除
賛助会員 本会の主旨に賛同し、会の活動を援助する為入会金及び年会費を納めて頂いた個人及び団体
入会金
個人 1口 1万円 年会費 5千円
団体 1口 3万円 年会費 1万円
以上です。加賀・能登・越中にお住まいの皆様は、眠る故郷の歴史を甦らせるために賛助会員になりませんか。会員になると、初年度事業で復刻する「金沢御城中壱分碁絵図」が贈られるそうです。
これが実物です。A0サイズぐらいでしょうか。この絵図は横山家から発見され、収納袋に「文政13年(1830)」と書かれていることが後々分かった、作成年代の判明する稀有な絵図です。金沢城絵図の系統分類の基準になるもので、大変に貴重なものです。
護持協力会については地元新聞で報道されるものの、会員集めなどは今のところ積極的に行っていません。ご興味ある方、入会趣意書と郵便振替用紙のお問い合わせは、TEL 076-263-2323(加賀藩・歴史文化護持協力会)まで。