金沢検定実学 寺町寺院群探訪1

朝の秋晴れに誘われて寺町探訪に出かけました。が、天気予報どおり曇ってきたので予定を大幅に繰り上げて帰ってきました。
初めに犀川大橋脇の蛤坂から始めました。
蛤坂
蛤坂
妙慶寺、成学寺、常徳寺、諏訪神社、本妙寺、妙典寺、高岸寺、長久寺、本因寺、妙福寺、善隆寺、昌柳寺と巡って、試験にもよく登場する石伐坂、通称W坂に向かいました。初めて通りましたが、下から見ると、確かにWを横にしたように見えます。桜橋の脇からはW坂とは別方向に桜坂も通っています。
桜坂桜坂
石伐坂(W坂)
石伐坂(W坂)
戻り道で、大蓮寺、神明宮、雨宝院と今日は15社寺巡りました。神明宮は先日巡った小坂神社や宇多須神社と並ぶ金沢五社に数えられ、日本三神明の1つにも数えられるそうです。境内には大きなけやきの樹が立ち、本堂を正面にすると売店で狛犬が隠れてしまうのはどうかと思いましたが、その売店のラインナップは私には興味をそそるものでした。
神明宮
というわけで、人形のおみくじと干支の土鈴を購入しました。人形のおみくじは仕事、金運、恋愛の3種類あり、今回は仕事をひいてきました。来年の干支、鼠の土鈴はかわいらしい形状が白、黄、桃の3色、普通の形状が白、赤の2色あって、特に意味はないとのことでしたが、風水で金運を表す黄色の鼠を購入しました。
神明宮
来週は天気が悪い予報なので、また天候が良い日に残りを廻ることにしましょう。

ニュー携帯 通常の3倍のスピード!?

今日携帯を新しくしました。
P905i Red
私は長年のドコモユーザーで、十年以上経ちましたがこれが4台目です。前回の携帯はFOMA2世代目、4年以上使用しました。その前はiモード初世代、4年弱使用しました。
私のような長期使用ユーザーには、今回のドコモのバリュープランは長期的にみて料金が安くなるのでありがたいです。ただ、安い基本使用料プランを選択していると、分割支払している間は割高となります。2年で買い換えると今までの3万円ぐらいの本体を購入したのと同じになります。
とは言え、魅力的な機種がなければ交換する理由はないのですが、今回はお気に入りがありました。パナソニック製の「P095i」です。
本体の色はレッド。ほぼ赤一色で統一され、光沢もあり光具合がまるでフェラーリのようです。充電するときのランプが本体の赤とのコントラストでシャアザクのモノアイのようにも見えます。ますます気に入りました。FOMAハイスピードにも対応し、まさに通常の3倍のスピード!?(実際はいままでの約10倍) 赤とはいえ、女性ターゲットのピンクに近い赤ではないので、意外に私のように購入する男性はいるかと思います。
欠点は、光沢のある本体に指紋がついたり、ほこりがついたりして少々汚れやすいことです。また、縦と横のダブルオープンモデルのため、根元の強度が不安です。
前回と同じパナソニック製ですが、操作方法は少し変わりました。慣れるまで大変ですが、また3、4年はこの機種を愛用することとしましょう!!

大徳川展

大徳川展
東京国立博物館で開催されている「大徳川展」に行ってきました。平日にもかかわらず人、人、人・・・・先月の京都国立博物館、狩野永徳展よりも多い人出で、東京には暇な人が多いですね。
なんと70分待ちでようやく入場できました。入っても人でいっぱいで、時間があまりなかったので背の高い展示品を中心に見てまわり、和宮の婚礼品だけはゆっくり見ることができました。
入場料を考えてもとても勿体無い見方でしたが、展示図録を購入したのであとでゆっくり鑑賞することにします。

加賀藩江戸上屋敷探訪

東京出張するにあたり、ちょうど昨日の地元新聞で東京大学創立130周年記念事業として、懐徳館庭園の無料開放があることを知りました。東京大学本郷キャンパスは元加賀藩江戸上屋敷のあった場所で、赤門は将軍家の溶姫が13代前田斉泰に嫁ぐときに建立されたものです。
今回は、赤門に附属する番所内部公開と懐徳館庭園の無料公開が目的です。
赤門
番所
番所
番所は赤門の左右にありますが、内部公開されていたのは外から見て左側のものです。ここは門の見張りが待機したところで、特に中に何かあるというわけではありませんが、普段は非公開であり貴重な場所です。
懐徳門
懐徳門の脇には旧前田公爵家西洋館(懐徳館)の基礎の石積みが残っています。
懐徳館
懐徳館庭園
懐徳館庭園
懐徳館はもともと天皇の行幸を目的に明治時代末に建築されたものだが、東京大空襲で灰燼に帰し、戦後復旧されたものが現在の和館である。普段は立入禁止の庭園は川や池こそないものの紅葉してすばらしいものでした。和館の正面側に入れなかったのが少々残念でした。

金沢城 来年度塩硝蔵を追加調査

金沢市は来年度、藩政期に黒色火薬を製造、貯蔵していた「土清水塩硝蔵」の追加調査を実施する。全国的に見ても珍しい歴史遺産であり、価値付けにつなげる。
今年度の発掘調査では、涌波町の休耕果樹園内で硝石土蔵と堀の痕跡が確認された。これらの遺構は幕末から明治初期にかけての「土清水製薬所絵図」に記されている建物の配置と合致していた。来年度は同じ休耕果樹園内の複数の地点で発掘調査を実施する方向である。絵図に記されたもう一つの土蔵の存在を確認するとともに、堀の規模などに関するデータをさらに収集する。
今年度は涌波一丁目の涌波堤公園でも調査を実施し、塩硝を硫黄、木炭とともに粉末化する施設である「三品搗蔵」を確認しようとしたが、遺構は発見できなかった。市は、絵図に記されている辰巳用水沿いの「搗蔵」などの存在を裏付ける調査実施も検討する。(北國新聞2007年11月27日付記事)

秋の金沢城祭2007

三連休中日の本日、秋晴れの中、「秋の金沢城祭2007」が金沢城で開催され、一日中いろいろなイベントが行なわれました。
金沢城河北門起工式
起工式は朝の埋蔵文化財発掘調査説明会が長引いてみることはできませんでしたが、続く小立野御山まつり保存会による大石曳きは見ることができました。石川門管理事務所前から数10メートルの緩やかな坂道を威勢の良い掛け声とともに約3トンの戸室石が、修羅と呼ばれる乗り物に載せられて移動しました。
小立野御山まつり保存会による大石曳き
その後は、和太鼓「藍(らん)」による太鼓演奏やクラリネット奏者原裕子さんのミニコンサートなどが開かれました。
和太鼓「藍(らん)」による太鼓演奏
午後からは三十間長屋コース開通記念「金沢城石垣めぐり」ツアーが行なわれ、告知不足か9人の参加でしたが、城内の石垣を見て回りました。午後から予報どおりの雲行きとなり、途中雨が降ってくるところもありましたが、何とか1時間半の工程を終了しました。今回、開通した「三十間長屋コース」は、昨年開通した薪の丸コースの途中から三十間長屋の脇に出るコースで、もともとあった道です(今までは通行禁止でした)。すぐ西側を通るいもり坂は軍隊によって付けられた新道であり、近世にはなかった道であって、今回のコースは薪の丸コースの正道でもあるのですが、途中の石垣が一部軍隊によって改変されていて残念です。
三十間長屋コース開通記念「金沢城石垣めぐり」
各イベントの合間には、「金沢城クイズラリー」や「オリジナルペーパーウェイトを作ろう!」「紅葉しおり作り教室」などを楽しみました。クイズラリーの粗品は飴玉3個、戸室石の破片(ちなみに赤戸室)で作るペーパーウェイトは2回、紅葉しおり作りは1回参加しました。
オリジナルペーパーウェイトを作ろう! 紅葉しおり作り教室
ペーパーウェイトはなかなか難しく、最初は鎌をクロスしたような模様で、金箔部分を多くしたので納得いかないものとなりました。細かい模様は輪郭にうまく金箔がのらず、また金箔が多いと戸室石の良い模様が鑑賞できません。
そこで、2回目は丸3つの単純な模様と、丸内部に金箔を貼って挑戦しました。
参加者には、戸室石の破片と型となるシール、金箔が渡されます。型は模様または輪郭のうち、金箔を貼らないほうを戸室石に貼り付けます。
オリジナルペーパーウェイトを作ろう! オリジナルペーパーウェイトを作ろう!
接着剤となる糊を塗って5分間乾くのを待ちます。乾いたことを確認して金箔を貼ります。
オリジナルペーパーウェイトを作ろう! オリジナルペーパーウェイトを作ろう!
うまく金箔がのったところで、慎重にシールを剥がして出来上がりです。かなり満足するものができました。
オリジナルペーパーウェイトを作ろう!
最後は雨が降りましたが、今日は一日楽しめました。告知不足か人出が少なかったように思います。大勢押しかけても困るイベントもありますが、石垣ツアーや先着1000名花苗配布などはもっと人数いても良かったのではないかと思いました。
秋の金沢城祭2007 秋の金沢城祭2007

金沢城 埋蔵文化財発掘調査説明会

秋晴れの本日、金沢城河北門で埋蔵文化財発掘調査説明会があり、市民80名ほどが説明を聞きました。秋の金沢城祭2007の一事業として開催されたためか、いつもより早めの9時開始で少し遅刻してしまいました。
金沢城 埋蔵文化財発掘調査説明会
全体説明の後、2班に分かれて説明を聞きました。河北門修復にあたっては一の門、二の門よりもむしろ枡形を構成する土塀の構成が問題となっているわけですが、南側からは今回土留め石列が発見され、西側はゆるやかな土塁とすると、絵図にある黒い線が石列を表すのだろうという説明がありました。
次の写真では非常に見にくいですが、一番手前の立派な石の溝は近代に軍隊が作ったもので、その右端の上に数メートルの石列が残っています。近代の石溝がこの土留め石列を横切っているため、ほとんどの場所は壊されていました。しかし、石溝に使用されている石は立派なものもあります。河北門の破却の際に出た石を利用したものもあるのでしょうか。
金沢城 埋蔵文化財発掘調査説明会
石といえば、河北門復元に当たっては地元の戸室石を利用することが決まっていますが、午後の石垣ツアーの際に、今回の復元ではグレー(青に若干赤みがかかるような)の戸室石が多くなりそうだと言っていました。築城当時に産出した戸室石は青戸室が圧力に強かったと言われ、門の隅石や巨石は青と室が多いのですが、現在の産出する石では青戸室よりもグレーの戸室石のほうが圧力に強いそうです。
現場説明を聞いたあと、プレハブに展示された発掘された遺物の説明を聞きました。瓦は今回数点出ていますが、今日金沢城を特徴づける鉛瓦は出ていません。
金沢城 埋蔵文化財発掘調査説明会
16世紀初めの遺物がいくつも発見され、城内に家臣の屋敷跡があったのではないかと裏づけられたという、先日新聞報道された遺物も展示されていました。
金沢城 埋蔵文化財発掘調査説明会
午後からは天候も崩れてきたので、発掘現場には手際よくビニールシートがかけられました。
金沢城 埋蔵文化財発掘調査説明会

金沢城内 初期の重臣屋敷裏付け

十六世紀末の初期の金沢城内に、後に加賀八家を形成する重臣らの屋敷が並んでいたことが21日、石川県金沢城調査研究所によって初めて確認された。城内の家臣団屋敷は次第に城内に出て城下町金沢の核となっていくことになり、同研究所は「金沢城の発展過程を知るとともに、城下町金沢の形成過程を探る上でも重要な確認だ」としている。
24日に起工する金沢城河北門復元工事へ向けて実施された埋蔵文化財調査の過程で、石川門に向かう河北門の二の門周辺から1600年前後のものとみられる中国の陶磁器や唐津焼、素焼きの皿の破片が数十点見つかった。(北國新聞2007年11月22日付記事)

金沢城復元画展

金沢城復元画展
地元新聞にも何回も掲載されていた「金沢城復元画展」を見てきました。金沢美術工芸大学の末松智氏による鉛筆の線画が3点(三階櫓、菱櫓、玉泉院丸の石垣上の長屋櫓)と昭和44年の金沢大学による本丸跡発掘調査の様子の写真が4点展示されていました。残念ながら写真撮影禁止だったので写真はありません。
金沢城復元画展

金沢城大学 よみがえる金沢城4

金沢城大学 よみがえる金沢城4
今年は秋が短かったような気がしますが、紅葉と雪のコントラストも良いですね。
本日はテキスト「よみがえる金沢城」を使用した講義の4回目。講師は石川県立歴史博物館の濱岡伸也氏です。濱岡氏の軽快なトークで、文化の大火後の二の丸御殿の再建前後の話を聞きました。
江戸後期になると幕府や藩など士階級はどこも財政難だったわけですが、商人はいろいろな投資ビジネスを行なって大変裕福であり、農民にしてもある程度の余裕はあったようです。文化の大火が1808年、1780年に東本願寺焼失、この30年ほど前の出来事が古文献に残っており、北陸からは村や寺単位で寄付を京へ持参しているそうです。中には修理が終わるまで10年間帰らずに労役を提供した者までいるということで、この話、前にどこかで聞きましたが、農民にもある程度の余裕が生まれていたことの証明です。