近くまで行ったついでに金沢城の河北門復元現場を見て来ました。本日雨の予報による影響もあるのでしょうか。防水シートをかけたまま作業は行われていました。
作業場の隅には掘り出された鉄管が積まれていました。たくさんの鉄管が埋められているものです。掘り出してしまっているということは今は使われていないのでしょうか。もともとは第九師団駐屯時代か金沢大学キャンパス時代か、後者のためでしょうか?
今年度中には石垣が積まれ始める予定ですが、こんなペースで本当に始まるのかなと思います。
月: 2007年10月
金沢城大学 城と庭の魅力コース 「兼六園の石造物」
金沢城大学には「歴史・文化コース」と「城と庭の魅力コース」があり、歴史・文化コース1回と城と庭の魅力コース全3回が公開講座として誰でも参加できる。とはいえ、城と庭の魅力コースは平日の昼間なので参加できる人は限られるが・・・
本日は「城と庭の魅力コース」の第1回として、石塔研究家の石井嘉之助氏によって「兼六園の石造物」というテーマで講演が行われました。講演には定員いっぱいの約90名の方が参加していました。
兼六園内の石灯篭と石塔は、隣接する成巽閣や金沢神社、兼六園事務局、三芳庵敷地内のものを除くと、石灯篭が18基、石塔が6基あるということです。講演では、各石灯篭と石塔の大きさや使用されている石材産地などが解説されました。石井氏は石材に大変詳しく、初心者の私には難しかったですが、これからは石造物にも興味をもって見ることができそうです。
最も興味を持ったのは、瓢池(ひさごいけ)に立つ海石塔(四角層塔型石灯籠)はもともと玉泉院にあったとされる十三重塔ではないかという話。確証はないものの、玉泉院から2つに分けて、兼六園と小松城に移動されたものではないか、小松城のものは明治以降の払い下げで現在は寺井の奥野八幡神社にあるということなので、後日両方を確認してみたい。石造物ひとつにも歴史あり!・・・ですね。
講演終了後に、近くの藩老本多蔵品館に行ってきました。ここは前田家一番家老の本多家の歴史や伝来の美術品を展示しています。私、隣の県立歴史博物館には何度も行きましたが、ここは初めてでした。
今回は、特別展「武装の美」のちらしをたまたま目にしまして、甲冑がたくさん並ぶということで見て来ました。常設展・特別展ともに、初代当主の本多政重のものが多いですね。初代は何かと大切にされるのでしょうか。
展示を見ていると、おそらく館長さんでしょうか、本多家の上屋敷絵図や下屋敷地図についてわざわざ解説していただきました。ただ見てるとわからないことも話を聞くと理解が進みます。
館長さんによると今回の特別展で非常に珍しいのは、鑑定書付きの鎧兜です。この鑑定書、「折り紙」というのだそうですが、由緒正しいことを「折り紙付き」ということの語源だそうです。折り紙自体は当時のものではなく、後世のものですが非常に珍しいものです。それ自体に価値があるかどうか分かりませんが、他に展示しているところを見たことありません。
今回の特別展は11月28日(水)まで、興味ある方はぜひ訪れてみて下さい。
NHK熱中時間
本日のNHK総合の「その時歴史が動いた」は「歴史ドキュメント ゼロワン」という特別番組でしたが、続けて15分枠で「熱中時間」という番組をしていました。
今回のテーマは「城郭めぐり」
これはおもしろそうだと見てみました。内容は、「岡山県に住む森本基嗣さんが熱中しているのが城跡めぐり。ほとんど何のこん跡も残っていない城跡を求めて、道なき道を突き進む森本さんに密着し城跡めぐりの魅力を探る」というものですが、整備されていない山城めぐりに番組を見ながら「わかる!わかる!」と思ってしまいました。興味ない人が見たら、何で何もない山に熱中できるのか、と思うのでしょうが・・・
再放送が来週月曜日(8日)の夜中午前2:20~2:35にあるようです。
金沢城 太鼓塀修復に現代工法
昨年度から「平成の大修理」に入った国重要文化財、金沢城石川門で、左右に延びる太鼓塀を補強する控柱に、一部、現代的な工法や材料が採用される見通しとなった。これまでの発掘調査の成果を受け、控柱は約百年ぶりに江戸中期の形状に復元される方向だが、石川県教育委員会は維持管理に優れるコンクリート製基礎の使用を検討している。県教育委員会は文化財の復元と現代工法の調和を図るモデルケースとしており、文化庁に形状変更を申請する。
復元に当たって、江戸中期の控柱のままでは、木製柱が地面にそのままでは、木製柱が地面にそのまま差し込まれているため根本が腐食しやすく、引き抜きの力に対して弱いという問題点が浮上していた。地震や台風による破損や、耐用年数の短さ、維持管理費の急増が懸念されている。
そこで、県教育委員会は、控柱の根本を石製柱として上部の木製柱と金属製の心棒でつなぎ、地下はコンクリート製基礎を置いて石製柱をしっかり固める復元案を作った。史実とは異なる形状になるが、県教育委員会は「文化財の保存修理は維持管理も考慮しなければ、かえって損傷の原因になる可能性がある」(文化財課)として、文化庁の理解を得ていく考えである。(北國新聞2007年10月3日付記事)
F1日本グランプリ レース見えなかったために5万円を7000人に返却へ
一部報道によると、30年ぶりにF1を開いた富士スピードウェイで運営上のトラブルが相次いだようである。
仮設スタンドの一部では、コースに向かっての傾斜が不足したため、死角ができ、走行する車が見えない席があった。この場所を6万1000円(3日間通し、大人)の指定席で販売していたが、自由席券とみなし、対象の7000人に差額の5万円を返却することに決めた。
また、今回は、会場周辺の混雑を防止するため、会場付近を交通規制。車での来場を禁止、すべての観客を最寄り駅や指定の駐車場からバスで会場入りさせる「チケット&ライド」方式を採用した。それでも渋滞を防ぐことはできず、富士スピードウェイによると、30日は85人が決勝の開始に間に合わなかった。前日の29日は乗り場に通じる会場内の道路が陥没。バスが動けず、約2万人の帰りの客が雨中で長時間待たされた。開催された3日間で計28万2000人(主催者発表)が訪れていた。
期間中は天候不良など悪天候だったが、30年ぶりの開催に万全を期したはずであり、あまりにお粗末である。去年は鈴鹿に行ったが、今年は富士がチケット&ライド方式を採用したからかチケット代が高くなり、周辺の宿泊や交通手段に納得いかなかったため断念した。しかし、折角高いチケット代を払ってレースが見えなかった人がいたとは気の毒である。7000人とは富士もあまりにお粗末な数ではないか。