日曜日は講演会の後、上越市にやってきました。直江津屋台会館で開催中の「天地人博」を見に来ました。
ここの目玉は「けんけんず」です。「謙信くん」の「けん」、「兼続くん」の「けん」(音読み?)、そして犬の「けんけん」の「けん」です。入口からけんけんずが出迎えます。
そして1日2回のけんけんず登場の時間です。今日は日曜日なので3人とも登場しました。皆さん列を作って記念撮影を待っています。
大の大人が1人で記念撮影に参加するのは恥かしいので、自分は脇にあったシール作成機で記念シールを作りました。
カテゴリー: 城郭さんぽ日記
鮫ケ尾城跡国指定記念講演会 「戦国の城と合戦」
良い天気になりました。今日は妙高市新井ふれあい会館で開催される講演会のためにやってきました。鮫ケ尾城跡国指定記念講演会は昨年8月1日の「鮫ヶ尾城跡と直江兼続の生きた時代」に続いて2回目となります。
朝9時半の開場にもかかわらず大勢の人がすでに集まっていましたので、10分早く開場しました。400人の定員に対してほぼ満席になったのは、タイムリーな大河ドラマ放映とともに、本日講師となった静岡大学の小和田哲男氏の人気のためのあるのでしょう。
小和田氏は今回のNHK大河「天地人」の時代考証も務めており、「鮫ケ尾城が備えた二つの戦い 川中島合戦と御館の乱」という副題は、今日の夜は謙信の死を想定して、小和田氏自身の指定日だったということで、ベストタイミングです。
そういえば、小和田氏はこの3月で静岡大学を定年退職だとか、そうなるとテレビや執筆による露出は減ってしまうのでしょうか?そうであるならば非常に残念です。
今日の講演も、テレビ出演時と同じく丁寧な分かりやすい話で、大河ドラマの時代考証の舞台裏や、川中島合戦における山城の役割の話、御館の乱の勝敗の要因などを講演いただきました。本当に面白かったです。
上杉家VS織田家による魚津城合戦の上杉方の自刃に際して「城を枕に討ち死にする」という例えについて、地元石川の末森城合戦の話が出てきたことには驚きましたが、本能寺の変の翌日に、この魚津城を柴田勝家が落としたことが、後日主君の死を知った時点でまだ城を落としていなかった羽柴秀吉に負けた理由のひとつだったとは、新しい視点でした。柴田は攻めは強くても引き際は下手だったようで、魚津城を取り返しに動いていた上杉景勝を背にしては退却できず、この影響は賤ヶ岳合戦においても佐々成政を上杉防衛のために越中に在城させざるを得なかったことで、まだまだ引きずっていました。上杉景勝のこの影の助力に、後の太閤秀吉は五大老という地位をもって報いたのです。
金沢城 石川門保存修理工事
河北門説明会のあと、前回同様に現在修理工事している石川門のほうへ。
こちらは控柱も立ち並び、漆喰塗りを待つばかりです。
と思っていたら、もう始まっていました。漆喰塗りのいろいろな工程を一度に見る事ができて幸せでした。参加者からは右から塗っている職人に、「『左官』なのに『右官』になっている」との指摘も!作業は右からから始まったので仕方ないのだという職人に、右利きの場合は左から右に塗るのがきれいに仕上がるので、「左官」という名の由来はそういうところにあるだという説明があり、実に奥深いです。
別の場所では控柱の養生がはずされている部分もあり、はっきりと形状が確認できます。以前は下の写真のように斜めだったのが直角になりました。木材の根腐れを防ぐため根元は石を使っています。
現場には見慣れぬ石碑が・・・。金沢大学移転の記念碑のようです。まだしばらくは工事現場のなかで、一般の方の目には触れる機会はありませんね。
石川門の二の門の工事足場が外されて、塗り替えられた真新しい漆喰塗りの櫓が姿を現しました。
隣の壁と比べるとよく分かりますね。
戸の鉄金具も取り替えられて黒の威容のある姿になりましたが、一部はまだ錆びたままで取替えを待っている状態でした。まだまだ続く工事ですが、地元民としては見どころの増えることはいいことですが、いつまでも工事していることが、一元様の観光客にとっては思わぬ迷惑かも!?
金沢城 第2回河北門現場説明会 木工事・左官工事編
いよいよ第2回河北門現場説明会が始まりました。今回は木工事と左官工事が一区切りついたことにより、その工事の説明が中心になります。
前回石垣工事のときは80名だった参加者は、今回50名の募集だったにもかかわらず、最終的には106名という人数に!!増えてる・・・
今回も石川県土木部営繕課の粋な計らいで申込者全員が参加することができました。今回は前回にも増して報道も多いですね。いよいよ盛り上がりをみせてきたというところでしょうが、参加者の年齢層をみると相変わらず高いようです。
安全のためヘルメットをかぶり、工事用足場を上って始めての二の門櫓の内部に入ります。ついさっきまで外から眺めていた建物の中はやはり広いです。この河北門は金沢城の正門にあたるもので、有名な石川門よりもひと回り大きいのです!
参加者は2班に分かれて、木工事と左官工事の説明を15分ずつくらい聞きました。それにしても、昔の技術の高さと、それを忠実に再現する職人たちの根気にはいつも敬服します。
窓のそばには彫った部材が・・・、これさっき外から見ていた部材ですね。
二の門櫓からは隣で作業中の一の門の屋根工事の様子も見る事ができました。外からはよく見えなかったですが、かなりできてきています。ちょうど屋根を葺く作業の途中です。
職人が口に竹釘を含み、舌で方向を整えながら、1本ずつ取り出して打ち付けます。プロの技ですね。
そういえば、二の門櫓には梁の部分に、この工事が始まる前にこの場所に立っていた松の木が使用されているとのことです。ここで育った松が梁に姿を変えて、同じ場所に残っているということです。
屋根も間近に見る事ができました。二の門の屋根の反りはあまりないようです。この辺りも外様大名として控えめに?したのかな。
最後に、この場所は二の門とニラミ櫓台をつなげる土塀の石垣ですが、上部と下部で石垣の石積みが違うのが分かるでしょうか?下は正確にカットされた切石を使っていますが、上は詰め石があります。上の部分は板を被せて板塀のように見えるようになります。実は内側に石積みがあるという「隠し石垣」という珍しい形式なのです。
金沢城河北門現場説明会の前に・・・
ぜんぜん知りませんでしたが、2月の土日の午後に石川門内部を公開していたようです。最近は公開日が断然増えましたね。ここまでくると「特別」公開のありがたみも薄れてきますが、常時公開ではないのでやはり「特別」公開になるのでしょうね。
それでは説明会の前に現在の進み具合を確認します。と・・・ヘルメットが1つもない。ついでに「入るときはヘルメットかぶれよ!」という但書きも隠されている。
監視の方に聞いたところ、今日は説明会があるからヘルメットが貸し出されているということ。今日だけの「ノーヘル」許可のようです。
もう二ノ門櫓の外観は完成しています。中では作業している人もいます。しばし見学・・・、何か彫っているようです。
出てくると、少しずつ気の早い人たちが受付に集まってきています。
金沢城いもり堀工事 両面傾斜するの?
今年は暖冬です。今日も風は少し肌寒いですが、2月とは思えぬ陽気です。
金沢城のいもり堀の水堀化工事は年度末を迎えて、ようやく堀を掘り始めていました。今日は初めてその作業風景を見ることができました。パワーシャベルで土を運んでいたしたが、斜面にかけています。
どうも埋め立てた土が良質でないのか、見た目が悪いのか、表面に数十センチ良い土砂で覆っているような感じです。
もう1箇所の工事現場では、パワーシャベルで斜面を整えています。よく見ると、両側の斜面が同じ傾斜?本来の形からすると、左側は傾斜してても問題はないけど、右側は堀の途中であり、本来の傾斜は道路を挟んだ向かい側の敷地になるので、直角に落ちているのが本当だけれども、土木工事となるとそういう訳にはいかないようです。
金沢城下町 「惣構堀」を「惣構」に
金沢市の公文書などに記されている「惣構堀」の表現が、「惣構」に正されることになった。二十五日の同市教育委員会議では、「金沢市主計町伝統的建造物群保存地区(伝建地区)保存計画」の変更が了承された。金沢城を取り囲むように築かれた内外二重の惣構は広い堀と高い土居で敵の侵入を防ぐ構造となっており、「惣構堀」は一部分を示しているに過ぎず、市は市内各所に設置されている標柱や案内板の修正も検討する。
市は新年度に主計町伝建地区の緑水苑を整備し、西内惣構を復元するとともに、地区の防災拠点としての機能を高める。これに合わせて保全計画の内容を見直すことになり、地区の沿革を記したくだりの二カ所で見られる「西内惣構堀」の表現を「西内惣構」に変更する。地区の現況に関する部分に「古い絵図等に見られる東西の内惣構堀は暗渠化され」とあるが、この場合の「惣構堀」はかつての惣構の堀の部分を指したものであり、「惣構堀」のままとする。
市などによると、惣構の遺構が比較的良好な状態で残っている市役所裏の西外惣構では、江戸初期の寛文年間に堀の幅が約12メートルに及んだとされる。土居は高さが少なくとも5メートル以上はあったと推定され、堀と土居を組み合わせて強固な守りを築いたことが伺われる。しかし、戦のない平和な時代が続き、惣構の堀は狭められ、土居も削られた。明治に入って土居の多くが消滅する一方、堀は用水などに姿を変えて残ったため、一般的に「惣構堀」と呼ばれることになったと言われる。
「惣構堀」の呼称は「用水のまち金沢」を象徴する側面があるが、土居の存在が薄れ、惣構の威容が正しく伝わらない可能性がある。市が昨年九月にまとめた惣構発掘調査の報告書では「惣構堀」という呼び方について「堀を指す場合は良いが、土居跡も含む範囲を指すことは混乱を招くので、総称としては『惣構』が妥当」と指摘。昨年12月には内外の惣構が「金沢城惣構跡」の名称で市史跡に指定された。(北國新聞2009年2月26日付記事より)
棟木を完成させる 「週刊 安土城をつくる」
帰ってきてまだ明るかったので、垂木を裏返して裏にゴールドを塗装しておきます。垂木はまた次回ですが、塗装は終わったので進めやすくなりました。
昨日補強紙を貼ったときにはかなり反っていた野地板ですが、一晩たってほとんど反りがなくなりました。
さて、棟木が乾きましたので裏にはみ出た塗装を紙やすりで落とし、昨日メタルプライマーを塗った金鯱を用意します。仮組みで穴の大きさを確認してから、瞬間接着剤で金鯱を貼り付けます。
金鯱の乗った棟木が完成しました。なかなか良い出来です。あとは屋根のと色ムラが出ないように気をつけないと。次回は垂木を作成します。
垂木と棟木を塗装する 「週刊 安土城をつくる」
午前中、少し風がありましたが晴れていたので昨日の続きをします。下地剤を塗った棟木に筆で茶色に塗装します。
塗装するために、皿容器にブラウン90%、つや消し10%で作り、1度色を塗ります。
乾くまでの間に垂木を別のダンボールに並べます。並べ終わる頃に棟木が乾いたので、色むらの出ないように二度塗りします。
色塗りが終わったら皿容器を洗ったのですが、これが失敗でした。今回使用している塗料は油性なので、水に溶けないのです。昔プラモデルに塗装していたときは水性塗料を使用していたので、水で洗い流していましたが、油性の場合はうすめ液を混ぜるとまた使えるようになるはずなので、皿容器は色別にそのままにして、使うときにうすめ液を混ぜ、足りなくなったら追加するようにすれば良かったのです。次回から失敗しないようにします。油性塗料は慣れないですね。手もかなり汚れますし・・・
並べ終わった垂木にゴールドのスプレーを吹きかけます。ゴールドはキラキラしてきれいですね。並べるのは時間かかりますが、塗装は一瞬です。
午後からは出かけるのでこのまま乾かします。午前の作業は1時間ほどでした。
金沢城河北門工事現場見学会 参加証
今月28日の見学会参加賞が届きました。右下には参加者NOと思われる「50」の文字が・・・
50人の募集はあっさりと定員オーバーだったようですね。参加の注意書きを読むと、工事現場の中に入れるようです。楽しみです!