今日も金沢城に出かけましたが、昨日とは違うルートで入ったので、その状況を報告します。
一の門は塀の部分の土塗りが終了し、二の門の壁と同じような状態となっています。屋根が足場で見えないのは惜しいですね。少し隙間を空けてくれれば楽しめるのですが。
工事敷地内に立つ製材現場の中には、鉛瓦を葺くための丸瓦用の木材が積み上げられていました。
これを並べる工事が見られれば幸運ですね。鉛を葺くときも見たいですね。いつ頃でしょうか?
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金沢城いもり堀工事 GW中も着々と
金沢城のいもり堀も、かなり形になってきました。
しかし、よく見ると、底は防水加工されて味気ない雰囲気ですね。
汚濁防止用の設備もある中、崩壊しないような仕組みも必要なのでしょうが、昔の景観からは程遠いことになりそうです。城の堀というよりも、公園の池みたいな感じかな?
ゴールデンウィークとはいえ、作業は急ピッチに進められており、今日も底を固める作業と(この作業車は道路工事でよくみかけるが何という名前でしょう?)
土を盛って整地する作業が行われていました。
いもり堀の見所、鯉喉櫓跡の復元も間近か?
金沢城河北門復元 瓦板敷き終わる
ゴールデンウィークで大勢賑わう金沢城へ行ってきました。
今週の作業は、「石落とし」と「瓦板葺き」です。
石落としの部分は作業見学所からは見えないですね。
瓦板葺きのほうは、二の門はすっかり終わっています。瓦葺きもいよいよですか?
作業用シートの間から見えた入母屋屋根の妻部分は、複雑に入り組み、ぜひとも間近で見たいものですが、望遠で我慢します。鉛瓦を葺くために丸い木材を取り付けた部分も見えますね。
桃山時代の息吹を感じる 高岡御車山祭
今日は気持ち良い晴天でした。仕事を初めてメーデーで休みになったのは初めてですが、5月1日で晴れの日、休みとなれば高岡市へ行かねばなりませんね。今日は「高岡御車山祭」の本祭の日です。
関野神社春季例大祭として開催される重要有形・無形民俗文化財の「高岡御車山祭」ですが、ゴールデンウィークはいえ平日に開催されるのでなかなか実際に見ることができません。それも少しでも雨が降りそうな場合は巡行は中止となるため、本日は数年に1度のチャンスです。
高岡御車山は天正16年(1588年)、豊臣秀吉が、後陽成天皇と正親町上皇を聚楽第に迎え奉る時に使用したもので、加賀藩初代藩主前田利家公が秀吉より拝領し、二代藩主前田利長公が慶長14年(1609年)に高岡城を築くに当り町民に与えられたのが始まりと伝えられています。
朝早く到着したので山町を見て回りました。
小馬出町ではちょうど大工さんたちが山車を組み立てていました。
そこからしばらく歩くと守山町では、山車のお祓い中
しばらく見学しました。
さらに進むと高岡郵便局前で御馬出町の山車を発見!
角を曲がる様子を見学しました。前方をかついで90度回転する様子をご覧あれ!
京都の祇園祭のような大きな山車ではこうはいかないでしょうが、山車の魅力のひとつは角を曲がる様子ですね。
山車の出発した山町では、車輪をしまう際の材木を発見。
11時過ぎに源平町付近で7基の山車が勢揃いしました。最終は二番町の山車です。
早速「御車山勢揃い地点」である片原町交差点に向かいました。良いアングルの地点が取れました。まだまだ人出は少ないですが・・・
御車山が見えてくる頃にはたくさんの人出となりました。
まず初めに坂下町の「源太夫獅子」が露払いで先導します。
7基の山車が勢揃いした様子です。壮観ですね。写真の背景が一部ずれていますが、1枚には納まりきらなかったのですよ。
7基の山車の鉾留の多彩さをご覧あれ!
式典が終わると、順番に出発していきますが、最後の二番町の山車が行きます。この山車だけ二輪であり、牛車の雰囲気もあり、またスピードも最も速く、車輪の擦れる音も大きいです。
山車の通り過ぎた道では、電気工事車がたくさんいる?ので見ていると、山車が電線にひっかかるので外した電線を戻していました。そういえば来たときもたくさんいたな。
前田家墓所 保存計画の策定に着手
2月に国史跡に指定された加賀藩主前田家墓所の保存管理計画を策定する金沢市の専門委員会が5月19日に発足する。保存管理計画では史跡の価値と構成要素を明確に示し、各墳墓の個別の保存管理方法や修復に関する取り扱い基準を定める。専門委は墓所内の整備活用や景観形成の方針についても検討することにしており、史跡内の案内表示の方法や防災管理策についてもまとめる。
専門委の名称は「史跡加賀藩前田家墓所保存管理計画策定委員会」で、文献をはじめ、石造物修復などの保存科学、考古、生態学、防災工学、建築デザインの専門家で構成される。文化庁や県教育委員会がアドバイザーとして加わり、高岡市からは市教育委員会文化財課の担当者がオブザーバーとなる。前田家18代当主の前田利祐氏が顧問となる。(北國新聞2009年4月29日付記事より)
史跡観音寺城跡発掘調査スライド発表会
荒天の中、割引の高速道路を利用して滋賀県安土に来ました。
目的の講演会は午後なので、大雨ですが、安土城下を少し歩きました。
まずは佐々木源氏発祥の地の氏神である「沙沙貴神社」です。実際に行くまでこんなに立派な神社だとは思ってもみなくて、いろいろと見入ってしまいましたが、写真にも大粒の雨が写るほどですが、晴れた日にまた来たい!
本殿など県指定重要文化財の建物も多くあります。
本殿の裏には干支の庭として十二支の石像が・・・、こちらはうさぎです。
次は地図上では沙沙貴神社から程近い・・・はずでしたが、結構歩きました。雨の中なのでかなりきつい。
法華宗と浄土宗との安土争論の舞台となった「浄厳院」です。境内や周辺の石造りの用水や溝が立派で下ばかり見ていました。
安土城考古博物館に着くと、開始1時間前にもかかわらず多くの人が詰めかけています。
最終的にはいつもの講演会よりも若干少なめでしたが、荒天のなか皆さん熱心です。
先日の発掘現場説明会には予定が合わず、来ることが叶いませんでしたので、スライドでも様子を見ることができるのはうれしい限りです。最終的には当初発見が期待された位置に階段は出土せず、謎は深まるばかりですが、初期の総石垣作りの城は、山城最盛期の法則には適応しない部分も多いようです。
大雨で山頂付近にもやのかかった観音寺城です。
安土城も・・・
金沢城辰巳櫓 20分の1模型 石膏で製作へ
財団法人北國総合研究所の「金沢城辰巳櫓復元調査検討委員会」は21日、金沢市の北國新聞会館で今年度第一回の会合を開き、今年度に製作する20分の1縮尺の辰巳櫓の立体模型について、石膏を主材料にして細部まで正確な再現を目指すことを確認した。彩色も施し、高さ約1.8メートルの本格的な姿とする。
昨年度、50分の1縮尺の基本モデルを試作した金沢工大環境・建築学部の増田達男教授らが引き続き担当する。今年度内に完成させる。(北國新聞2009年4月22日付記事より)
前田利家・佐々成政・不破光治 3人で連帯統治
織田信長から府中(現在の越前市)周辺十万石を分け与えられた前田利家、佐々成政、不破光治の三人が、連帯して統治にあたっていたことが18日までに、加賀藩の研究会「加賀藩・歴史文化護持協力会」の調査で分かった。大阪市内の不破家から、年貢を取り立てる知行地を家臣に与える三人連名の書状の写しが見つかった。政治的決済は三人で行っていたことがうかがえ、謎とされてきた「府中三人衆」の関係解明へ一歩近づいた。
同協力会は昨年一月、加賀藩を支えた重臣の子孫をはじめ、個人や団体約百会員で発足。初年度事業として、詳細が判明していない利家の府中時代を解明するため、大阪市の不破家13代当主、不破一氏宅と、金沢市昌永町の不破家菩提寺、廣誓寺に保管されていた不破家文書の解明を進めてきた。現在まで373点を整理し、近く解説文と目録をまとめた冊子を作成する。今後も高岡市内にある不破家の文書解読を進める方針だ。(北國新聞2009年4月19日付記事より)
金沢城河北門復元 金具付けが始まりました
前回来たのは現場説明会のときだったので、なんと一月半も経ってしまいました。作業も進んだろうなーということで楽しみに行きました。
二の門とニラミ台櫓をつなぐ塀は囲まれていますが・・・
隙間からは屋根を葺いた様子が見れます。
見学へ行く途中にもっとよく見られる場所がありました。
二の門櫓もすでに屋根は葺き終わっていました。まあ一月以上経てば状況も様変わりです。
今日は土曜日でしたので作業をやっていました。二の門では出窓部分の作業をしていました。
作業内容を見ると、軒先花隠し銅板と書かれていますが、この部分です。小さな写真ではわかりにくいので拡大してみました。
ついでに、二の門の屋根も拡大してみました。
ニラミ台櫓の石垣には石段ができていますが、かなり急ですね。実際に上ることができるのか、とりあえず付けてみただけというのはやめて欲しいのですが・・・
修復が終わってきれいな白壁になった石川門の二の門です。
足場がすっかり外れたので、もう終わったということ?なのでしょうが、黒く塗られた柱の金具に比べると、門は錆びたままです。本当にもう終わりでしょうか?門の金具も黒く塗って欲しいですね。
高岡開町400年記念イベント 高岡築城まつり
今年は加賀藩二代藩主の前田利長公が高岡に城下町を開いてから400年ということで、様々なイベントが行われます。今日はその本格的なイベントの第一弾です。
ちょうど桜も満開であり、恒例の桜まつりが開催されていました。
満開の桜の下で大勢の方が楽しんでいます。
公園内の利長像や高山右近像も、桜を背景にいい写真が撮れました。
午前中は公園内の桜を見て回り、午後からイベントの30分前に場所取りしました。
ちょうどメインイベントの大石の設置作業を大きなクレーン車が行っていました。
行列は「よさこいソーラン隊」→「こども石曳き隊」→「一般大石曳き隊」→「大石曳き隊」の順で行われるようです。
5組のよさこいソーラン踊りの後、元気の良い子供達の石曳きが始まりました。引っ張っているのは大人の先生方ですが、なんとも愛らしい行列でした。
こども達の後に一般参加の大石曳きが行われました。石の重さは約1トンあり、それを20名程度で引っ張りました。道路を傷つけないようにコロを等間隔に移動しながらの石曳きでしたので、なかなか進みません。
海外からの参加者グループも行列に華を添えます。いい記念になったでしょうね。
そして、メインイベントとして、6トンの大石を150名で引っ張る「大石曳き」が始まりました。
勢いよく始まったものの、20メートルほど進んだところで(ちょうど正面あたり)、コロがひっかかって立ち往生し、再起を図るものの失敗(残念!)。
結局、コロを使用せずに直接曳く許可が下りて、道路に木跡を残しながら豪快に曳かれていきました。
途中で摩擦もあってか、土台の一部にヒビが入ったようで、「今から7トンになりました!」という冗談まじりのアナウンスのなか再開。立ちっぱなしで疲れたので最後まで見ることはやめましたが、昔の人を大変さを感じ取った一日でした。