金沢城いもり堀 鯉喉櫓台

金沢城いもり堀 鯉喉櫓台
いもり堀の鯉喉櫓台の石積み作業はほとんど進捗がありません。
金沢城いもり堀 鯉喉櫓台
ここ数日は裏込石を敷き詰めていたようです。
金沢城いもり堀 鯉喉櫓台
今日は第3回河北門現場説明会の日でしたが、鯉喉櫓台の石割現場の作業様子も見せてもらえました。
金沢城いもり堀 鯉喉櫓台
普段は関係者以外立入禁止の藤右衛門丸が作業場所です。初めて入った藤右衛門丸は意外に広かった。
金沢城いもり堀 鯉喉櫓台
昭和40年代まで使われていた石割道具の数々です。

第3回金沢城河北門現場見学会 屋根工事編

毎回楽しみにしている金沢城河北門の現場見学会ですが、今回は屋根工事が中心となります。
第3回金沢城河北門現場見学会 屋根工事編
ヘルメットがずらりと・・・前は寄進記名会の宣伝です。ここに来ている人のほとんどは既に寄進済だと思いますけど。私ももちろん寄進しましたよ。
第3回金沢城河北門現場見学会 屋根工事編
二の門の中に入ると、壁や屋根はほとんどできているので、明かりがないと暗いですね。
第3回金沢城河北門現場見学会 屋根工事編
報道陣もたくさん詰め掛ける中で、屋根作業の説明がありました。
第3回金沢城河北門現場見学会 屋根工事編
第3回金沢城河北門現場見学会 屋根工事編
屋根は木材で形を整えた後、鉛板を貼っていきます。軒先の家紋のところだけは鋳型です。
第3回金沢城河北門現場見学会 屋根工事編
鉛はぴったりと合わせますが、それでも雨漏りしますから、木材が腐食しないように、さざと隙間を空けて作るようです。
第3回金沢城河北門現場見学会 屋根工事編
実際の軒先も隙間あるんですよ。説明されるまで気付きませんでしたよ。ここにも匠の技が隠れています。加賀藩特有の鉛瓦にもいろいろと秘話がありそうですよ。
第3回金沢城河北門現場見学会 屋根工事編
屋根はほとんど鉛瓦も葺き終わっていましたが、今日の見学会のために一部残して作業の様子を見せてもらいました。
第3回金沢城河北門現場見学会 屋根工事編
建物下では門を飾る鬼瓦に鉛瓦を巻く作業を見学しました。普通の瓦だと、大工と金型職人が順序良く作業するのですが、鉛瓦の場合は、大工と金型職人は交互に作業していくそうです。
第3回金沢城河北門現場見学会 屋根工事編
現場見学会も残すところ後1回?となりました。楽しみですね。

金沢城 河北門進む屋根工事

金沢城 河北門進む屋根工事
雨が今にも降り出しそうな天気のなか、河北門の復元工事の様子を見に来ました。
金沢城 河北門進む屋根工事
見学台からみる二の門の屋根は鉛葺きがかなり進んできました。
金沢城 河北門進む屋根工事
木工事のほうは石落としの屋根材工事が着々と進んでいます。
金沢城 河北門進む屋根工事
2週間後に第3回となる現場見学会が開催されます。今回は屋根工事が中心の見学会となりますが、楽しみです。
金沢城 河北門進む屋根工事
今日は第2回河北門記名会イベントの日だったようです。来たのは昼過ぎだったのですっかり人もまばらでしたが、開かれていることを城に来るまで知りませんでした。
金沢城 河北門記名会
当然観光客は知るすべは少ないわけですが、県民もほとんど知るすべがないのは考えものです。地元新聞には「広報いしかわ」として週一でイベント情報が載るのに、そこにも掲載はなく(見落とした?)これでは折角のイベントに人が集まりません。一週後に百万石まつりが控えているので、そちらに注目が集まるのは仕方がないことですが。
金沢城 河北門記名会
秋には最後となる第3回河北門記名会が開催されるのですが、そのときはもう少し広報に力を入れてほしいです。

金沢城 いもり堀 鯉喉櫓台その姿を現す

金沢城 いもり堀 鯉喉櫓工事
いもり堀工事も今年度完成をめざして、最大の見所「鯉喉櫓台」の工事が始まりました。
金沢城 いもり堀 鯉喉櫓工事
数年前の発掘調査以来、埋め戻されていた石垣も姿を現し、石垣裏の栗石も見えるようになりました。
金沢城 いもり堀 鯉喉櫓工事
今は見える石垣下部もまた水が入れば見えなくなるのですね。
金沢城 いもり堀 鯉喉櫓工事
辰巳櫓前の大石垣の前に、数メートルの石垣台が現れることになります。その景観を想像すると非常に楽しみです。
金沢城 いもり堀 鯉喉櫓工事
櫓台に積み増される石は、本丸石垣の脇や薪の丸下に並べられていましたが、現在は整理されて積まれるのを待っています。
金沢城 いもり堀 鯉喉櫓工事
金沢城 いもり堀 鯉喉櫓工事

金沢城 玉泉院丸発掘調査始まる

金沢城 玉泉院丸発掘調査
金沢城玉泉院丸では26日に発掘調査が始まりました。今年度は古地図で確認できる泉水の西側から調査を開始し、二の丸側の石垣群から泉水への導水路の遺構を探すことになっている。
金沢城 玉泉院丸発掘調査
現在調査用の穴は2箇所。
金沢城 玉泉院丸発掘調査
今日は土曜日なので作業は休みでビニールシートがかけられている。何が見つかるか楽しみです。

金沢城玉泉院丸 発掘調査は今夏から

金沢城 玉泉院丸は加賀藩二代藩主前田利長の正室永(玉泉院)の御殿があった郭です。そこには兼六園以前に金沢城にあった庭園のあった場所でもあります。
金沢城玉泉院丸
昨年までここには石川県立体育館がありましたが、現在はすべて撤去され平地となっています。「発掘調査中」の看板が立てられていますが、まだ日付は入っていません。
金沢城玉泉院丸
現在のいもり口から二の丸に至る通路は、明治以降に軍隊が作った通路ですので藩政期はありませんでしたので、玉泉院丸からみると、石垣は庭園の借景として山を表していました。
金沢城玉泉院丸
さすがにどこの石垣も立派で、庭園が整備されると金沢城随一の石垣スポットになりそうな予感です。
金沢城玉泉院丸
今から発掘調査が行われますが、石垣も長年の放置で石垣が外れてしまっている部分や、隅石のずれた部分がありますので、整備されて公開されるまでは数年かかりそうですね。
金沢城玉泉院丸

金沢城河北門 二ノ門の屋根普請

久しぶりの金沢城河北門は急ピッチで作業が進んでいました。
金沢城河北門復元
屋根には丸瓦用の木材が葺かれ、先になる前田家の剣梅鉢紋のついた丸瓦の木材も一部葺かれていました。
金沢城河北門復元
足場には今後の作業で葺かれる剣梅鉢紋付きの木材が積まれていました。
金沢城河北門復元
特に南側の妻は丸瓦の作業が進んでいました。
金沢城河北門復元
石落としの屋根もかなり進んできました。
金沢城河北門復元
現在の作業を見ると、左官工事は「ムラ直し」とあります。よく見ると、二ノ門の壁も以前はヒビ割れていたのが、随分きれいな部分が増えています。
金沢城河北門復元
1段下の足場には屋根に葺く杮葺き材が準備されていました。

金沢城いもり堀 鯉喉櫓がいよいよ

金沢城いもり堀 鯉喉櫓がいよいよ
金沢城いもり堀工事も、鯉喉櫓前まで来ました。ここは櫓台石垣が埋もれているので慎重を期すために最後になったようです。
金沢城いもり堀 鯉喉櫓がいよいよ
もともと芝生の上に出ていた50センチほど、掘り起こされた部分が50センチほど、まだ下に2、3メートル掘り下げられる予定です。今日は、ショベルカーが大きな音を立てて、押し固められた土を掘っていました。
金沢城いもり堀 鯉喉櫓がいよいよ
そして、薪の丸下に展示保管されている前回発掘の際に外された石たちが戻される日も近い!?です。
金沢城いもり堀 鯉喉櫓がいよいよ
来年春までにはこの工事も完了し、金沢城に新しい魅力が加わります。
新丸
新丸ではこのいもり堀工事で出た土を使って、起伏ある広場を建造中。他に使い道がなかったのか?

金沢城・兼六園研究会総会

今日は金沢城・兼六園研究会の総会でした。もう3年目になるのですね。ご年配の方に囲まれて、若い者はただ1人ですが・・・、平日の学習会を修了した者のみが参加を許可される仕組みなので自然そうなります(今の境遇では自分でも参加資格は取れないです)。
金沢城・兼六園研究会総会
総会の後の記念講演は金沢城調査研究所の石野友康氏による「よみがえる二の丸御殿」というテーマで文献・絵図にみる二の丸御殿の話でした。
金沢城・兼六園研究会総会
二の丸御殿の調査は史料の乏しさもあって、平成13年7月の金沢城研究調査所(現在の金沢城調査研究所)発足後にようやく調査も途に就いたばかりということです。
今年19期生を迎えた同会ですが、今年は約20名会員が減りました。会員の年齢による要因が大きいとのことでしたが、自分と同期の17期生の減り方がさびしい限りです。兼六園の学習会が発足母体であった同会にとって、金沢城の学習会が中心の最近の入会者は、活動内容のギャップも原因のひとつだと思いますが、金沢城と兼六園はともに地元の宝ですから、工夫して会が盛り上がることを期待しています。自分は環境が変わってあまり参加できなくなったので、自由に参加できる時(あと30年・・・長いなあ)までぜひとも残っていて欲しい。
旧石川県庁
総会は生涯学習センターで開催されたので、窓からは整備中の旧石川県庁舎の様子が見えます。
旧石川県庁
石野氏の話のなかにも出てきた学習センター隣りの建物も撤去され(いつの間にか平地になっていて言われて気がついた)、金沢市役所方向からみると、金沢城の石垣が見通せるようになりました。
金沢市役所前からの眺望
石垣と本丸の森、欲を言えばここに櫓が1つ欲しい。

金沢城西外惣構 升形の堀全容解明へ

金沢市史跡の金沢城西外惣構に設けられた防御施設である「升形」の復元整備に向け、市は5月中旬から本町一丁目で発掘調査を再開する。昨年度の調査では江戸後期の石垣や堀の存在を確認しており、今年度は調査範囲を面的に広げ、堀の部分の全容解明を目指す。
升形をめぐっては、現時点では江戸時代の姿や規模などが明らかになっておらず、市は復元整備に向け、発掘調査が重要な手掛かりになるとみている。来年度以降は土居部分の詳細調査などを進める予定で、市惣構・まちなか用水検討部会で升形復元の方法などの検討も進める。(北國新聞2009年5月4日付記事より)