小江戸彦根の城まつり

彦根の城まつり 彦根の城まつり
彦根の城まつり 彦根の城まつり
滋賀県彦根市で開催された「小江戸彦根の城まつりパレード」を見てきました。第53回ということで戦後まもなくから行われている歴史の長い祭りのようです。
子供大名行列、子供時代風俗行列、井伊の赤鬼家臣団列、彦根町火消列(鳶演武)と続くのですが、意外に通過するのが速いですね。地元金沢の百万石行列を見慣れていると数分で終わる行列はあっさりした感じに写ります。
もうひとつの目玉が彦根鉄砲隊による演武です。堀を挟んで一列に並んだ鉄砲隊が順番に、または一斉に射撃します。空砲ですがものすごい音です。演武に使用している鉄砲ですが、解説によると未だに製造しているようです。
行列の最後には小雨が降るあいにくの天候でしたが、とてもおもしろかったです。私が彦根に来るときは天候が良くないときが多く、すっきりとした天候のときにまた訪れたいと思いました。

キーホルダーできました

注文していた名言キーホルダーが届きました。利家と松、金沢城と小丸山城の4種ですが、マーブレットの模様の色を人物はピンク、城郭はグリーンです。ピンクは白に近いため模様が分かりづらいですね。
商品ができてきて始めてわかったこともあります。写真ですが、灰色は埋没して分からないです。次からは青空の写真を使用したいと思います。また、マーブレットの模様は全体には入らないようで、端にあたるところは模様ないですね。
名言キーホルダー
次は、包装を考えないと!!

東北地方城郭研究シリーズ

先週神田の古書街に行った時に、伊吉書院から発刊されている「会津・仙道・海道地方諸城の研究
」という書籍を見た。発刊自体は昭和55年だったが、元になっているのは江舘愛三氏の研究結果です。調べると5巻シリーズで東北地方を網羅しています。
1.出羽諸城の研究
2.会津・仙道・海道地方諸城の研究
3.伊達諸城の研究
4.南部諸城の研究
5.津軽諸城の研究
内容は、それぞれの地方の城館の成り立ちと一部には実測図もあります。実測図は教育委員会の調査報告書でよく見ますが、一人の研究成果としてこれだけまとめられているのは驚きです。早速すべて古本で揃えてしまいました。

江戸城にも

清水門 清水門
別件で東京に来ました。高速バスはあいかわらず朝早く到着するのですが、今月から東京駅着ができたので今回はこれに乗ってきました。あいにくの曇り空でしたが、江戸城の堀の周りを一周してみました。大手門を初めとして桜田門など石垣は整然と並べられる切込み接ぎで、見た目も非常に美しいということから、江戸城はすべてこの工法が使用されているものと思っていたのですが、清水門といわれる石垣には石の間に詰石がありました。なぜここだけなのか不明ですが、不思議です。
天守台 本丸
月曜と金曜、特別行事のときは入れないので前回入れませんでしたが、今回は開門していたので本丸内に入ることができました。何年ぶりかで天守台を見ました。やはり他の城を圧倒するような大きさです。天守閣が立っていれば、さらに圧倒されるでしょう。
堀の周りを回りながら、神田の古書街などにも寄り道をしていたら昼になってしまいました。スケールの大きさに圧倒されっぱなしでした。時間のある人は一度掘を一周してみては。

整備されていない城跡は上れない

三日城
今日も天候がよいので城郭取材に出かけました。最初は旧志雄町の三日城です。麓に加賀藩十村役岡部家がありましたが、城跡への上り口が見つかりませんでした。岡部家の後ろに見えるのが三日城のはずなのですが・・・
菅原城 菅原城
山麓をぐるりと回っていると、入り口らしきものをみつけたので上ってみました。頂上付近まではたどり着けたのですが、頂に立って見下ろす所には到達できませんでした。残念。
福水館 福水館
次に羽咋市の氷見へ向かう道路沿いにある福水館跡へ向かいます。麓の光宗寺を見つけました。立派な本堂のお寺です。道を挟んで白山神社があり、その奥の院が山頂にあって、福水館の始まりとなっているようです。現在は、地滑り防止工事をしていて入れそうにありませんでした。そういえば山麓に白山神社のある城館は多い。逆に白山神社あるところに城あり、という可能性が高いのか?
勝山城 不動滝
旧鹿島町へ移動し、勝山城へ向かいます。能登においての城郭規模としては七尾城に次ぐ大きさということですが、石動山近くの荒山城が整備されているのに対し、勝山城は町役場近くにあるのに整備が進んでいません。北側に入り口があるということで探していたら見つかりました。看板の脇を登っていくようですが、途中で道が分からなくなり引き返してきました。規模からすると頂上までは20~30分ほどかかるはずなので、迷子になっては困ります。草の少ない春先に再度挑戦でしょうか。南側の山麓には不動滝があります。マイナスイオンにしばし浸ってきました。
金丸城
旧鹿西町に移動します。山麓に珀琳寺というお寺があったので行ってみる。立派な山門である。本堂も大きく立派である。この奥の山が金丸城のはずである。寺の裏に上り口があったが墓地だった。
上河合城(正面の鉄塔付近) 上河合城からの景色
最後に津幡町河合谷へ行きます。付近の一番高いところに立つ送電鉄塔が上河合城の本丸跡らしい。郭跡らしいところも分かるが、草が多く判然としない。ここは、小矢部から押水へ抜ける街道沿いであり、確かに下の見晴らしは最高である。

押水の城跡は状態が良い

グッズ作りの取材時間が少なくなってきたので、今日は早速、旧押水町へ行ってきました。
高松城 高松城
通り道で旧高松町にあったと言われる高松城跡です。押水バイパス沿い、アクロス高松の近くですが、現在は城があったと思われる土塁や堀跡などはまったくありません。頂上の平坦部は郭跡と考えられますが、現在は畑となっており、町道で南北に寸断されてしまっているようです。しかし郭跡からの眺望もよく、旧街道がそばを通っていればよい場所ではないでしょうか。
御館跡 御館跡
前回行った時は見つからなかったのですが、今日は無地にたどり着けました。誰の館跡かは分からないそうですが、土塁や堀の保存状態は良好です。土塁の上部平坦部や下は畑、郭内も畑として利用されているにもかかわらず、一目見てどこが土塁かが分かるほどの保存状態です。道路を挟んで田んぼが広がっているため、ここが田んぼにならかったのが良かったのでしょう。
白山神社 坪山砦からの眺め
坪山砦の土塁 坪山砦の本丸跡
最後に、前田家VS佐々家の末森城の合戦のときに佐々成政が本陣をひいた坪山砦跡に行きました。案内板が全くなく入り口を見つけるのに苦労しました。麓の願成寺を目印に少し南に道を登ると白山神社が家々に挟まれてありました。境内に上ると右奥の斜面に道らしいものがありました。上ってみたところに開けた場所から見た景色です。手前の森が御館跡で、右奥の高い山が末森城です。戦況を見守る砦としては十分ではないでしょうか。
更に北方向に道が続きます。5分ほど奥に入っていくと、道が開け、本丸に着いたようです。郭入り口の右左に明らかに堀が掘られています。写真は北側の堀・土塁ですが、杉?の木に沿って堀と土塁が続いているのだが、写真だと分かりにくい。本丸を越えて奥にも道が続く。この時期でも道は通れるほどはっきりしているのは、普段何か使用することがあるのか不思議である。開発にさらされていないようで、遺構の保存状態は良い。

日本城郭体系 購入しました

探していた「日本城郭体系 全20冊」をついに購入して、今日届きました。すでに古本でしか入手できない書籍なのですが、なかなか見つかりませんでした。今回は古本の検索サイトを新たに見つけて、そこで6セット見つけたので、安く状態のよいものを注文しました。
日本の古本屋 東京都古書籍商業協同組合に加盟する約2400店の在庫を検索できます。
結局90000円(発売当時140000円)かかったのですが、届いてみてびっくり!状態は「良」とはあらかじめ確認していたのですが、搬送用の箱に「日本城郭体系 全20冊」と書かれているではないですか。それがAとBの2箱。これは、と思い開けてみると、どうも順次刊行されたあとにすべてセットで箱入りで売られていたようです。なかはほぼ新品状態でした。これを持っていた人は、余程几帳面か、大事に保管していたことがうかがい知れます。
何はともあれ無事に入手できてうれしいです。内容は、先日購入した「日本城郭全集 全16冊」に比べても濃い内容です。さすがにいろいろな城郭百科の参照文献になるだけのことはあります。
他に、私が古本を探すときに利用するサイトを紹介します。
スーパー源氏 かなりの数の古本屋が参加しています。
ブックタウン神田 東京・神田古書店連盟の運営するサイトですが、目録情報が古いです。
Amazonマーケットプレイス 個人からの出店もあるので参考に確認する程度です。

勝山城跡、村岡山城跡、三室山城跡

福井県勝山市の恐竜博物館へ来たので、近くの城跡をまわってみました。
村岡山城跡 村岡山城跡
村岡山は一向宗が平泉寺に対抗するために砦を築いた地です。平泉寺に勝ったあとにここを「かちやま」として勝山の地名の起源となりました。城跡には、村岡小学校の裏にある村岡神社境内から上ります。道中には地元の方が寄進した地蔵が並び(山全体が未だに神社の境内か?)、整備されていません。途中、くもの巣を何度もかき分けて頂上を目指します。本丸などの保存状態は比較的良い状態です。頂上付近は木が生い茂っている城跡も多いのですが、ここは木も少なく視界良好です。
村岡山城跡
頂上からは勝山市街を見渡せます。ここまで麓から20分ほどでしょうか。注意するのは、道が整備されていないため、地面が雨に濡れているときは滑るので上るのはやめたほうがいいでしょう。
勝山城跡 勝山城跡
勝山城は柴田勝家の養子にあたる柴田勝安によって築城されました。統治の中心として村岡山城から袋田といわれたこの地に移ってきました。現在、城跡には勝山市役所や市民会館が建っています。市民会館を昭和42年に経てるときに、残っていた天守台跡は取り壊されました。他に堀や土居もなく、市役所前の道路が堀跡ということもわかりません。
三室山城跡 三室山城跡
麓から縄文土器が発見されたことにより有名になった三室山の頂上の平坦部に三室山城跡はあります。整備された城址公園は、頂上までは5分ほどです。頂上に上ると、九頭竜川を挟んで向こう側に平泉寺を望むことができます。分かりにくいですが、左の山麓の勝山城博物館の奥の森が平泉寺です。
勝山市には他にも平泉寺に対抗するために一向一揆勢が築いた城がいくつかあります。もう一度訪れたいですね。

前田土佐守家伝来の絵図

今日は晴天にも恵まれ、金沢市内は多くの人で混雑していました。
金沢市の前田土佐守家資料館に、表題の特別展を見に行ってきました。目玉は「金沢城下絵図」と「道中絵図」の2つです。
「金沢城下絵図」は城下の屋敷配置を描いているのですが、正門だった河北門(尾坂門)付近に奥村家、現在本多の森として整備されている本多家は敷地が他家より広いなど、よくわかります。城内が白抜きなのが少々残念でしたが。
「道中絵図」は、金沢の大樋から小矢部の今石動までの北国街道沿いの村や山が描かれています。現在の地名に照らし合わせながら見てきました。これが意外と楽しかった。

来年の百万石まつりは金沢城入城

マンネリ化との指摘のあった百万石まつりですが、
・利家は金沢駅東口鼓門を出発し、武蔵、香林坊を経由し、金沢城入城
・先頭のオープンカーパレードはミス百万石以外はやめ、傾きものを公募
・一部パフォーマンスを城内会場で開催へ変更
・行列時間の短縮(2時間半から1時間50分へ)
・行列距離の短縮(4.3キロから1.2キロへ)
・尾張町と片町にイベントゾーンの設置
・夜型イベントの開催
という柱のもとに抜本的に変更するように、「金沢百万石まつり活性化研究会」から提言がありました。利家の金沢城入城楽しみです。とはいえ、今でも30万人の観客が繰り出す祭りで、石川門あたりに人が集中したら見えないと思うのですが、そのあたりは有料席にでもなるのでしょうか。
今まで大和と名鉄(エムザ)で交代だった「まつ」役も女優を採用する意見もあり、過去1回だけあった?ように記憶しているが、利家とまつの2役が俳優になるとしたら、それもまた楽しみである。