今日の午前は町会の定期総会で、町会長最後の仕事を終えました。
午後から福井県敦賀市の金ケ崎神社へ「花換まつり」を見に行きました。天候もよく、桜も満開だったので、人出は多かったです。さすがに恋愛行事だけあって男女二人連れで来ている人たちが大勢います。
今年はNHK大河で「功名が辻」をやっていて、先日金ケ崎からの撤退シーンが終わった効果もあって、例年に比べ人出は多いようです。大河効果すごいですね。
数年前に一度行きましたが、そのときは桜は散り終わりぐらいで、天候も悪かったので人もまばらでした。福娘との花換え神事は、今年は昼のみやっているようです。以前は夜もあったのですが、人出がないので止めたのでしょうか。
カテゴリー: 城郭さんぽ日記
2006年 金沢百万石まつり
平成18年(2006年)の石川県金沢市の百万石まつりは、行程ががらりと変わります。金沢の玄関口、JR金沢駅東口の鼓門(つづみもん)を出発し、武蔵、香林坊、広坂、兼六園下を経由して石川門から金沢城内へ入城するという行程です。
中央公園を出発し、大きく金沢城を一周するという旧行程の変更により、橋場町、尾張町は通過しなくなりました。また、最終行程に近かった香林坊は以前は人はまばらでしたが、今回は中間ということで人出の期待が持てます。各商店街にとっては明暗分かれるというところです。
今回の前田利家役は俳優の高嶋政宏さんです。6月10日(土)が楽しみです。
金沢百万石まつり
表ラベルシール
シールをデザインします。初めてトンボつけました。印刷業では常識のトンボですが、IT業者には無縁のものでしたので、数年前に購入したガイドブックをひっぱり出してつけてみました。
今のところ、横サイズが
・3cm
・2.5cm
・2cm
・1.2cm
の4種を考えていますが予算と作成費(見積)次第です。シールってどういう発注単位か想像できますか?A4などの規格紙に割付なのか、単独で巻いてあるのか、それも含めて相談です。
ようやく包装の仕方を考えてみた
実際の商品が届いてから随分月日が経ってしまったが、頭の中で考えていた包装の仕方の諸々のことがようやく整理がついたので、試作してみた。昨日は1本入りを考えたので、引続き2本入り、3本入りを考えます。
今回の商品は「戦国城郭・名言マーブレット」(少し名称が変わりました)です。
材料として、
・中身(商品)
・袋
・表ラベル(北陸城郭プロジェクトロゴシール)
・中仕切り(商品固定用)
・裏ラベル(販売元記載シール)
を準備して中仕切りを袋と中身の大きさに合わせて作成します。今回は目盛りがわかりやすいように市販の工作用紙を使いました。
袋と中仕切りについては早くから決定していたのですが、表ラベルのデザインにずーっと悩んでいました。ここは妻に手伝ってもらってなんとか完成です。感謝!!
自分の言うのもなんですが、初オリジナル商品にしては上出来!
次は、シールと中仕切りの注文ともうひとつ中に入れる「解説書」の作成です。
台紙にちょっと工夫してみよう
ようやく台紙を試作してみます。初めキーホルダーの押さえとして台紙を作成しました。とりあえず1本入りを作成して良く出来た!!と思っていたんですが・・・
よくよく考えると台紙の後ろに解説書を入れるんですよ。おそらく袋に文字が写るかな、という思いから台紙を折り曲げて二重にします。
さらに、よくよく考えると台紙の間に解説書を入れてキーホルダーをひもで固定するため、解説書が破れるかも?ということから結局三折りで三重にすることになりました。これでいいのか!?
金沢城宮守堀 意向を先行調査へ
年度末から年度初めは県や市から事業計画が発表されるので、城郭復元に関しても次々と発表されます。
県は、金沢城宮守(いもり)堀の段階的復元で、今年度内にも堀の遺構を先行調査することを決定した。金沢市の中央消防署広坂出張所移転跡地で予定する埋蔵文化財調査に先立ち、かつての堀の全体像を把握し、復元の設計、工事前倒しにつなげる目的のようだ。
宮守堀は金沢城の南側、本丸下の内堀である。現在金沢城は、北側の大手堀の一部が水堀として残るだけで、東側の百間堀、白鳥堀は道路や歩道となっている。もともと県営テニスコートだった場所をここ数年、県埋蔵文化財センターの発掘調査が行われたが、櫓台跡や堀の深さなどが判明している。ただ、堀跡も半分ほどしか調査できず、残りは、旧県庁跡地と間の道路の下に埋もれているものと推定された。前出の広坂出張所は道路を挟んだ向側に位置するが、場所的に堀の端が出てくるか微妙かもしれない。
半分だけでも堀を復元する計画もあるようだが、水堀の予定もあるため、辰巳用水などを利用して水がよどまないような工夫を願っている。
金沢野田山 前田家墓所 初の発掘調査へ
加賀藩歴代藩主の墓がある石川県金沢市野田山の前田家墓所(私有地)で18年度年度、金沢市が国史跡指定に向けて初の発掘調査に乗り出す。
これに前田家18代当主前田利祐氏が理解を示し、墓所の全容解明が前進することになった。文化庁の調査官が、高岡にある2代藩主利長墓所との「一体的な史跡指定」の言及もあり、県境を越えた史跡になる可能性もでてきている。
末森合戦 坪井山砦実は堅固だった
「1584年(天正12年)、前田利家と佐々成政が戦った末森合戦の際、佐々軍が末森城攻めの本陣とした坪井山砦(宝達志水町坪山)は本格的な防御工事が施された堅固な構えだったことが22日、同町末森城等城館跡調査委員会の調査で分かった。
昨年8月から行なった初の発掘調査で、地面をV字状に掘った防御力の高い「薬研堀」(やげんぼり)の遺構が同日までに確認された。」(北國新聞より)
坪井山と末森城は約5キロの距離にあり、互いに相手を見渡せる関係にある。NHK大河ドラマ「利家とまつ」放映に際し、末森城跡はきれいに整備されたが、坪井山はスポットが当たらなかった。これを機会に整備されることを望んでいる。
金沢城整備計画 河北門09年度までに復元
石川県では先日県知事選挙で現職の谷本知事の四選が果たされましたが、早速金沢城の整備計画に関して意向が示されました。
現任期中の09年度までに実質的な金沢城の表門である河北門を復元するようです。河北門は表門であるところから金沢城でも最大規模の門です。現在の観光の入口は兼六園につながる石川門であり、堀として唯一残る大手堀側の河北門は人もまばらなことが多い。ただし、大手堀との間には三ノ丸も存在しているため、観光客の流れをどれだけ変えることができるかは未知数です。
新幹線開業を睨み、次々と復元されることは喜ばしいことではあるが、財源も厳しいところであり、他県の例にあるように市民募金してもよいのでは。というより城主制度作りませんか?
富山県埋蔵文化財センター
富山県の埋蔵文化財センターへ行ってきました。来年度(平成18年度)のとやま埋文友の会に入会してきました。富山県では平成12年度から中世城郭調査を行っており、平成17年度に報告書をまとめます。つまり今月中にもまとまるということなのですが・・・一般販売されないようなのです。残念
現在ホームページで「とやまの城館ニュースレター」という形でネットで城郭情報は小出しされているのですが、報告書は県立図書館ほかいずれはPDF化されるということなのですが。
実は、最初富山市埋蔵文化財センターに間違えて行ってしまいました。「県」と「市」。気をつければ間違えるはずもないのですが、石川県に住んでいると石川市というのはないので、他県に行くと時々混乱します。
富山市のホームページには、「富山城研究コーナー」というページがあります。今日通りかかったときはまだ工事中の場所はありましたが、模擬天守は壁を真っ白に塗り替えられ見違えるようでした。