金沢市が国史跡指定へ向けて取り組む前田家墓所の発掘調査で、初代藩主利家の兄・利久の墓の前にある堀が、現在の深さの2倍に当たる約3メートルの深さを持つ大規模なものだったことが分かった。利久墓の前の堀は現在、幅約6.5メートル、深さ約1.5メートル。発掘調査の結果、現在は土砂の堆積で浅くなっており、築造当初は深さは3メートルあったことが確認された。(北國新聞 2006年9月14日付記事)
カテゴリー: 城郭さんぽ日記
富山城石垣 地元産巨石で再整備
富山城の石垣が、築城時と同じ早月川の河原敷で採取された花崗岩を利用して再整備されることになった。富山市埋蔵文化財センターは当初、県内では石垣に用いる巨石が採取できず、県外産や中国産の石を使わざるをえないとみていたが、早月川で土石を採取している協同組合の協力を得て、早月川の巨石を利用できることになった。同センターでは形だけでなく、色や風合いも築城時の石垣を復元できるとしている。再整備は9月末から10月中に完了する見込みである。(北國新聞 2006年9月10日付記事)
前田家墓所 全容解明へ発掘開始
金沢市は4日、加賀藩歴代藩主の墓がある同市野田山の前田家墓所で、国史跡指定に向けた発掘調査を開始した。同墓所で学術的な発掘が行われるのは初めて。墓の周囲にめぐらされた堀や墓道などを調べ、謎が多く残る墓所の全容解明につなげる。
金沢市は前田家墓所と前田利長墓所(高岡市)の2008年度の一体的国史跡指定を目指し、高岡市と連携して取り組んでおり、発掘調査は大きな一歩となる。(北國新聞 2006年9月5日付記事)
金沢城河北門二ノ門 50分の1縮尺図見つかる
金沢城河北門を描いた絵図が金沢市内の会社役員宅から見つかり、石川県教育委員会金沢城研究調査室が鑑定した結果、河北門の中心をなす「二ノ門」を50分の1の縮尺で記録した立面図であることが分かった。これまで確認されている150分の1以下の河北門絵図では、石垣の高さや門の幅などは推測の域を出なかったが、この立面図に記載された寸法から正確な規模が特定できることになった。県は来年度から着手する河北門整備に絵図を採用し、より忠実な復元を目指す。(北國新聞 2006年9月3日付記事)
金沢城 河北門復元 国事業に採択
平成の築城第2幕が本格化する。金沢城の第2期復元整備事業で、国土交通省は29日、石川県が来年度着工する河北門の復元工事を同省の都市公園事業に採択する方針を固めた。
河北門は石川門、橋爪門とともに「金沢城三御門」と呼ばれ、金沢城の実質的な表門だった。県は北陸新幹線が金沢まで開業する2014年度までに三御門の復元、改修を終えたい考えで、河北門については09年度末の完成を目指し、既に門の位置や形状などを確認する埋蔵文化財調査や基本設計に着手している。(北國新聞2006年8月30日付記事)
金沢城の東内惣構堀遺構 来月に発掘調査着手
約四百年前に築かれた金沢市内をめぐる二重の堀「惣構堀(そうがまえぼり)」を調査している市は来月、尾張町で東内惣構堀の遺構の発掘調査に着手する。市は昨年度、武蔵町の西外惣構堀を発掘しており、今回の調査でさらなる実態解明を目指し、国史跡指定に向けた学術的史料とする。(北國新聞 2006年8月24日付記事)
金沢城の石垣用 崩落した石その場で加工
石川県教育委員会の金沢城研究調査室は1日、金沢市戸室別所の戸室山石切丁場について、石材を土中から掘り出す従来の丁場とは異なり、崩落した石材をその場で石垣に加工した丁場とみられると発表した。この丁場跡は戸室山の西麓に位置しており、今回の調査で急傾斜地の麓部分から堆積する多量の石材が初めて確認された。(北國新聞 2006年8月2日付記事)
金沢城 本丸拡張は「寛永の大火」以前
金沢城の本丸一帯は寛永8年(1631)の大火より前、元和年間(1615-24)に大規模な拡張造成が行われていたことが27日、県教育委員会金沢城研究調査室の発掘調査で分かった。本丸が北側に突き出すように拡張されており、大量の盛り土が確認できた。これまで、城郭の構造が定まったのは大火後とされていた。
また、本丸三十間長屋の石垣下部が始めて見つかり、建てられた時期は出土品から寛永の大火後と分かった。石垣は昨年確認された三階櫓の石垣とつながっていた。接続部の積み方から、17世紀後半、長屋と三階櫓の石垣が同時に改修されたことも確認できた。(北國新聞2006年7月28日)
河北門 埋蔵文化財調査に着手
石川県は、金沢城の河北門復元に向けた埋蔵文化財調査に着手した。かつての金沢城の実質的な表門だった枡形の門について、位置や形状などを優先的に調査する。基本設計と実施設計を同時に進め、来年度の工事着手、2009年度末の完成を目指す。
河北門の復元に向け、県は今年度中に専門委員会を発足させる方針。埋蔵文化財調査の結果も参考にしながら、外部の専門家らが史実を尊重した復元のあり方を検討する。(北国新聞 2006年7月13日付記事)
富山城石垣工事現地説明会
昨日のブログにも書きました、富山城で見つかった梅鉢紋瓦を含む石垣工事の現地説明会へ行ってきました。
昨年リニューアルオープンした模擬天守は外観がきれいになったばかりではなく、中の展示物がガラリと模様替えされていました。最新の技術を使った模型展示もあり、富山城の歴史について展示されていましたが、城郭関連の展示室としては最上級です。よくある鎧や刀剣類はありませんが、どちらかといえば歴史博物館に近いでしょうか。
石垣工事現地説明会には40~50人は参加者がいたでしょうか。金沢城の現地説明会にも何度か参加しましたが、これほど多くはありません。石垣ということで地元の方の興味も高かったのかもしれません。
帰りには、国史跡になっている安田城へ寄りました。一度だけ行ったことがありますが、そのときは時間がなかったのでじっくり見たのは今回が初めてです。平城としてこれだけ良好に残っている城跡はほとんどありません。安田城は、秀吉の佐々成政攻めのときの「富山城」の出城であった「白鳥城」の支城です。併設された資料館は入館料無料で、2階に上ると、安田城の全体を少しだけ鳥瞰できます。贅沢をいえば、もう少し高いほうが良く見えるのですが。ここを訪れると、このような城郭で数日守るという戦国の厳しさを感じにはいられません。