金沢城研究調査室の正見氏による建築的見地からの辰巳櫓と三階櫓の絵図に関する話でした。とても興味深い内容でしたが、再建についての希望という点では、辰巳櫓はかなり正確な外観をつかめますが、三階櫓は不明な部分も多いですね。
三階櫓は再建の話はありませんが、これは本丸が森林になっていることも影響しています。辰巳櫓は景観上重要な場所にあるので、今後再建の話が盛り上がってくるものと思いますが、再建にはまず本丸の石垣を元通り復元するという作業が必要なようです。現在3段になっている石垣ですが、旧陸軍が駐屯中に崩れた石垣の面と合わせるために今の状態に変更されたということで、今となってはヒドイ話です。ということは話が進まないような気がして残念です。
カテゴリー: 城郭さんぽ日記
甲斐の国 風林火山博
今年のNHK大河ドラマ「功名が辻」もいよいよ佳境に入ってきましたが、来年は「風林火山」です。毎年大河に合わせて、舞台となる市町村でイベントが開催されています。ちなみに、今年は滋賀県長浜、高知県高知市、静岡県駿河市でしたが、来年は、山梨県甲府市が現在決定しています。
来年1月20日から1年間の開催で、現在前売券が発売されています。ということで早速ローソンで購入してきました。実はホームページで、記念図録「風林火山」がついてくると書かていたので、予習もできるともくろんでいたのですが、会場に入るときにもらえるようです。残念。あの紛らわしい文言は直して欲しい・・・
甲斐の国 風林火山博ホームページ
いろいろ情報を集めていたら、ロケ地も撮影日以外は公開されているようです。信玄の本拠、躑躅ヶ崎館を模しているそうでぜひ見に行きたい!です。
山梨県北杜市 風林火山館ホームページ
城と庭の魅力コース 第2回講座「金沢城の城郭建築物」
金沢城の建築物に関する公開講座を受けてきました。土曜日の午後ということで早めに入りましたが、予想に反して少なかったですね。去年も同じような講義をしたようで、その辺りが人数に影響したのかもしれません。
講義内容ですが、建築物をどう見るかというポイントに関してでしたが、ポイントが絞られているようでそうでない部分もあり残念でした。金沢城は宝暦と文化に2回大火に見舞われ都度再建されているのですが、それぞれの残っている絵図について、石川櫓、河北櫓の意匠に関して似ているという説明があり、興味深いものでした。
ちなみに金沢城の明治以前の遺構は以下4件です。
○尾崎神社(金沢東照宮) 寛永20年(1643)
○石川門 天明8年(1788)
○鶴丸倉庫 弘化5年(1848)
○三十間長屋 安政5年(1858)
金沢城 三十間長屋・石川門内部公開
金沢城では本日から石垣回廊の新しい散策路として「薪の丸コース」が通れるようになり、記念して開催されたガイドツアーに参加してきました。これにより、城内コース、いもり堀コース、玉泉院丸コースをあわせ、玉泉院の外側をめぐる外周コースを残すのみとなりました。実際の解説を聞くと石垣の見方が変わります。今後、自分のサイトでも石垣の魅力を伝えるコンテンツを用意していきたいですね。
その後、1日限りの三十間長屋と石川門の無料特別公開を見てきました。それぞれ内部を公開しており、以前それぞれ一度見たことはあったのですが、あらためて入ってみると、特に展示物はないのですが天井の木組みの複雑さに圧倒されます。
歴史・文化コース第4回 兼六園史の新しい見方
「金沢城研究 第4号」に「兼六園とはどこのことか」という論文を投稿された長山直治氏の講演です。
現在、岡山「後楽園」、水戸「偕楽園」とともに日本3名園に数えられる兼六園ですが、明治までは今とまったく違った姿だったことを知りました。現在の後楽園には田んぼがありますが、兼六園にも一時期は田んぼや畑があったことがあり、地元の人間でもこの事実をどれだけの人が知っているでしょうか。
明治四年(1870)年に一般公開されたときは「与楽園」と名付けられ、一月ほどで「兼六園」と改称されているそうです。ちなみに与楽園とは、「ともに園(苑)を楽しむ」という意味で偕楽園と同義だそうです。トリビアですよコレ!!
功名が辻 長浜探訪
初めて賤ヶ岳に登りました。と言っても、麓からリフトで5分(1.5キロ)、残り300メートルを頂上まで登っただけです。天気の良い日でしたが、もや(霧?)が出ていて、遠くまではっきりとは見えませんでした。頂上からは山本山城や中川清秀陣跡も行けるようですので、次回はぜひ挑戦したいです。
長浜市に行く途中で功名が辻にちなんだモニュメントを見つけたので寄りました。
長浜市では長浜城ほか2箇所で博覧会をやっていました。11月いっぱいの開催ということもあって今回はやってきたのですが、長浜城と曳山博物館はよいとして、大通寺は寺そのものが見所満載で展示物は必要ないほどでした。長浜市を出発して、浅井町姉川付近に向かいました。浅井歴史民俗資料館で下調べをしてから姉川に向かいました。姉川は水が少ないときは非常に蛇行している川なんですね。
地元の名士で浅井家の有力家臣であった三田村氏の住居があった場所とされています。住宅地の中、狭い道路を通って入らないといけないので分かりにくいですが、伝正寺敷地に入ると3方向に明らかに土塁が残っており、保存状態は良好です。三田村氏は姉川合戦のとき、横山城の城主としていたとされています。
三田村城跡から姉川を挟んで対岸に、上坂城跡がありました。現在、屋敷跡が児童公園になっており、この日もたくさんの子供たちが遊んでいました。普段地元の方しか通らないのでしょうね。県外ナンバーが走っているだけで何事かという目で見られてしまいました。場所はわかりにくいです。
予定どおりとはいきませんでしたが、充実した1日でした。
日本の名城 2006 七尾城山展
「七尾城山を愛する会」が主催する「日本の名城 2006 七尾城山展」を見てきました。文化の日に1日限りということですが、展示は七尾城の発掘状況を伝える新聞記事や日本100名城認定書、文献紹介、七尾城まつりの紹介など盛り沢山の内容でした。
まだ1度も参加したことがないのですが、七尾城まつりに関する歴史やポスターの展示もあり、ポスターを並べてあるだけでもなかなか壮観なものです。
金沢城大学 第3回「宝暦・文化の大火と城の再建」
金沢城は大火によって、政務の中核だった二の丸御殿を何度か再建しています。宝暦の大火(1759年)と文化の大火(1808年)の2回ですが、その後の再建段階を追っていくと加賀藩の財政の状態や城下町の様子がよく分かるそうです。そして、天守閣を失った本丸の機能はこの頃には完全に停止していて、二の丸に至る三御門、つまり、石川門、河北門、橋爪門が関としての重要な意味を持ってくるのです。
石川県では、現在河北門の復元を進めています。将来的には橋爪門も復元して、最終的な目標である二の丸御殿の復元につなげたいのですが、三御門と言っても、石川門・河北門と橋爪門とでは格に違いがあります。石川門と河北門は三ノ丸に入る門、ここで従者は半分になり、橋爪門から二の丸に入るという具合です。将来的にはぜひこの辺りが分かるように復元してほしいものです。
金沢城惣構堀 藩政期の石垣初確認
金沢市は30日までに、尾張町二丁目の橋場交差点・枯木橋付近で進めている惣構堀の発掘調査で、江戸中期から後期に築造された複数の石垣を確認した。城下町を二重に囲む惣構堀で藩政期の石垣が確認されたのは初めて。惣構堀は藩政期以来、宅地造成などの影響で徐々に規模が縮小しており、現在見られる惣構堀の石垣は近代以降の築造と考えられていた。(北國新聞 2006.10.31付記事より)
金沢城大学公開講座 大名庭園シンポジウム
金沢城大学は歴史・文化コースのほかに、「城と庭の魅力コース」があります。こちらは今年は3回開催され、すべて公開講座となります。
第1回は大名庭園民間交流事業金沢大会として開催される「大名庭園シンポジウム」が公開講座となりました。東京農業大学の進士五十八教授の「大名庭園から学ぶもの」というテーマで講演があり、その後、各大名庭園の代表による庭園の紹介(というより自慢大会?)がありました。