明日の武田信玄命日に行なわれる武田二十四将行列を見るために、先週に続きまたまた山梨県にやってきました。遊びに来たのではなくて、あくまで取材ですよ。
甲府市へ入る前に現在NHK大河「風林火山」の躑躅ヶ崎館のロケ地となっている北杜市に寄りました。標高1200m、山の天気は変わりやすく生憎の小雨でした。ひっきりなりに観光バスが乗り付けますが、ちょうど観光客の合い間をぬって人気の少ないときで、絶好のアングルでたくさんの写真が撮れました。
思ったよりも石垣や建物がしっかりと作られていて感心しました。なんでも建物は棟梁に宮大工を広島から呼んで建てたとか。これだけのものが撮影が終了するとともに壊されるは勿体無い話です。
折角なので、帰りに近くの風林火山ポイントを見てきました。小荒間古戦場、武田晴信が村上義清に勝利した地です。辺りには「御座石」、「遠見石」、「鞍掛石」と呼ばれる大石がごろごろしていました。
さらに、石碑脇から「上の棒道」と呼ばれる信玄の軍用道路が伸びていました。幅1mほどの道ですが、森の中の平坦な道は、迅速な移動を可能にしたことでしょう。
かなり暗くなっていましたが、最後に竜王の「信玄堤」を見学しました。釜無川の大洪水による竜王の土手決壊は、大河ドラマでも名場面の1つですが、当然当時のままということではないですが、いわゆる信玄方式が今も連綿と続く様子が見れて良かった。信玄堤のシンボル的存在である木組みですが、「聖牛」というそうです。現在のかたちに整備される(1984年)前までは、この聖牛を並べて堰をつくり、農業用の用水に水を引いていたそうです。
今日は天候が悪く、人出は少なかったですが、青空のもとでの写真というわけにはいかなかったのが残念でした。明日の行列楽しみです。予報は「晴れ」ですが、晴れてくれよ。
カテゴリー: 城郭さんぽ日記
山梨の旅2日目 韮崎市 白山城・新府城
昨日の甲府市の「信玄公祭り」に続き、2日目の山梨県です。今日も薄曇りの天候で残念ながら富士山を見ることはできませんでした。昨日の段取りの悪さに嫌気が差していたので、今日は甲府市を出て韮崎市に向かいました。
4月初旬は山梨県は各地で桃源郷を見ることができます。山梨県と言えば「桃」です。桃の花が咲き乱れる様子を見ることができるのです。韮崎市もその1つです。市内には勝頼最後の本拠となった「新府城」や甲斐武田氏発祥の地となった「武田八幡宮」などがあります。
市内に入ってまずは武田八幡宮に向かいましたが、車がたくさん向かっている先に目をやると桜がとてもきれいだったので寄りました。「わに塚の桜」と呼ばれていますが、ここは古墳であったようです。写真は右奥に八ヶ岳をバックに満開の桜を収めました。
その後、武田八幡宮に行き、一番上の本殿から山道に入って白山城へ向かいました。途中、為朝神社で白山城への登山道を聞くと、「何にもないよ。よく道を聞かれるけど、途中で道がなくなったとかで戻ってくる。」と言われました。何もないのは承知の上なので向かうと確かに途中分りにくい場所が1カ所ありました。今の時期はちょうど草も枯れているので道が見やすいので助かりました。
本丸に着くと、意外に郭跡ははっきりと読み取れます。さらに、最近立てた看板がありました。地元の方も実際に登ることは少ないようです。
昼より新府城へ向かいました。南側を断崖絶壁に面しており、北側より入城するのですが、実際は復原図を見ると東側より入るのが正式なようです。北側から本丸までの自動車道のせいで本来の道や郭の一部が破壊されており、非常に残念でした。現在発掘調査と復元工事中でしたが、本丸から見る眼下の桃源郷はすばらしく、一面桃色のじゅうたんを敷いたようでした。今日も昼から天候が崩れてきて曇っていたので、午前の天候が続けば、桃源郷のバックに八ヶ岳を望むことができてさらに満足できたのですが。
第37回信玄公祭り
町内会の役員も終わったので、今年はNHK大河に合わせて、ここ山梨県甲府市の「信玄公祭り」にやってきました。JR甲府駅では武田信玄像が満開の桜の下お迎えしてくれました。
本日の祭りは、13時に武田神社(躑躅ヶ崎館跡)から始まります。戦勝祈願祭が本殿内で行なわれていたようですが、外からは見えないので、出てきたところで集合写真を撮るところを1枚収めました。今年の信玄役は若林豪さん、勘助役は田中健さんです。
その後舞鶴城跡(甲府城)に戻って、NHK大河の勘助役である内野聖陽さんと信玄役の市川亀治郎さんのインタビュー、甲州軍団出陣式を見ました。
しかし、人がいっぱいで出陣式の途中で出てきました。パレードが始まって間もなく雨も降ってきたので、「風」「林」「火」「山」各6隊ずつ来るのですが、「風」「林」で帰ってきました。写真は始めのほうに登場した由布姫(湖衣姫)ですが、昨日の前夜祭でグランプリをとった子です。
全体的に少し不満の残る祭りでした。祭りは初めて行くときは要領がわからず楽しみ方が分からないものですが、長く続く祭りにしてはすべての行事において、進行が間延びしてばかりで、さらに観客の整理が全くなっておらず、安心して見ることができませんでした。今年はNHK大河の効果もあり人手は例年以上のものはあったでしょうが、地元金沢の百万石祭りや他の戦国祭りと比べても何ともお粗末な点が多々あるのです。どうせやるなら楽しい祭りにしてほしいと願います。
小松城と桜まつり
金沢市で30日に桜の開花宣言があってから一週間、天候が悪く寒い日も多かったため、桜の開花があまり進みません。今日は、久しぶりにとてもよい天候だったので、小松市へ行ってきました。目的は、芦城公園(小松城三の丸跡)内の小松市立図書館2Fの市史編纂室に「新修小松市史 小松城」を購入するためでしたが、ついでに桜を見てきました。
公園全体で7分咲きほどでしょうか。満開という報道がないためか人はまばらでしたが、木によってはとてもきれいな状態で、かえってゆっくりと楽しむことができました。
これならばと、小松高校テニスコート横にある小松城天守台跡に行きましたが、こちらは残念ながら桜はまだまだでした。土塁の水仙はきれいでしたが・・・
今日は少し遠回りしていたら、芦城公園の東側にある稚松小学校で、修復された小松城常磐門を見つけました。こんなところに門があるとは知りませんでした。
金沢研究調査室が金沢調査研究所へ格上げ
石川県教育委員会は平成19年度、既存の金沢城研究調査室(文化財課内室)を格上げして設置する「金沢城調査研究所」(学校以外の教育機関等)で、金沢城と全国の城郭との石垣構築技術に関する比較研究調査に着手する。手始めに石垣関連の文献が豊富な熊本城・細川家に焦点を当て、史料の解読や分析を進め、金沢城の独自性・希少性を見いだす。さらに金沢城に伝わる石垣積みの技術書を「石垣秘伝書」として現代語訳し、”最先端”を誇った加賀藩の建築土木の研究に、より多くの分野の専門家がかかわりやすくなる。
熊本城の石垣関連史料は財団法人の永青(えいせい)文庫が数多く保管しており、計画では金沢城調査研究所の所員が熊本に出向いて絵図や文献を調査する。加賀藩の石垣職人は他藩の職人と江戸城などの造成に携わっており、当時の「技術交流」で加賀藩から広がった技、加賀藩に影響を与えた技がないかも史料などから調べる。
現代語に訳される秘伝書は「後藤家文書」で、必要な解説を加えて新年度末までに刊行する。県教育委員会では、現代語訳でさまざまな分野の専門家が石垣研究にかかわれるようになり、金沢城の多面的・総合的な調査研究に弾みがつくとみている。
研究所の体制では、所長に城郭研究の第一人者である北垣聰一郎氏(元東大阪短期大学教授)迎えるとともに、全国の新進気鋭の研究者五人程度を客員研究員に委嘱。客員研究員は所定の研究計画のもと、助成金を受けて伝統技術に関する個別研究に取り組む。
これらの研究成果は十一月ごろに予定する「金沢城と伝統技術」をテーマにした研究所開所記念シンポジウムで、県民向けに分かりやすく発表する。
北垣聰一郎氏の著作 「石垣普請」
高岡 前田利長墓所に新事実
高岡市の前田利長墓所詳細調査事業協力者会議は27日、同市役所で開かれ、地中レーダー探査の結果、墓所を囲む堀の内側に別の堀が存在したことを推定させる痕跡が見つかったことが報告された。
現在の堀は明治時代には存在していたが、築造年ははっきりしておらず、同市役所教育委員会は堀の整備の変遷をうかがわせる資料として新年度に発掘調査を行い、解明を進める。高岡市は新年度に報告書をとりまとめ、2008年度に金沢市と共同で国史跡指定を申請する方針である。
利長墓所は現在、約67メートル四方の堀に囲まれているが、レーダー探査では、その内側に約50メートル四方の堀の跡とみられる土層の違いが確認された。墓の周りには土塁跡があることが分かっており、市教育委員会は土塁との境界に堀が造られた可能性があるとしている。利長墓所の堀については、金沢市玉川図書館近世史料館が所蔵する江戸後期の絵図では2つの堀が描かれ、内堀と外堀があったとされている。ただ、大きさや築造年など詳しいことが分かっていない。(北國新聞 2007年3月27日付記事)
熊本城築城四百年祭
今年1月から熊本市の熊本城で築城400年祭が実施されています。開催期間中は以下のタイミングで特別な催しがあるようです。
◆プロローグ 夜明け (平成18年12月31日~平成19年1月3日)
◆第1章 花絵巻 (平成19年3月24日~平成19年4月8日)
◆第2章 春絵巻 (平成19年4月28日~平成19年5月6日)
◆第3章 夏絵巻 (平成19年8月1日~平成19年8月31日)
◆第4章 秋絵巻 (平成19年10月12日~平成19年10月28日)
◆第5章 冬絵巻 (平成19年12月31日~平成20年1月3日)
◆エピローグ 未来へ (平成20年3月22日~平成20年5月5日)
やはり城好きとしては、来年完成予定の本丸御殿の完成が待ち遠しいですね。来年は、今年金沢市で開催された「全国城跡等石垣シンポジウム」が熊本市で開催されることも決まっているので、それに合わせて訪問計画を進行中です。
さて、私は昨年熊本城復興募金に寄付をして城主となりました。(ブログ記事)
城主になってからは熊本城復興の様子を伝える会報などが定期的に送られてきましたが、最後?の特典として現在開催中の400年祭の招待券が送られてきました。うれしい特典です。
熊本城築城400年祭公式ホームページ
往時の姿を復元しようと整備を進めてきた熊本城へ皆さんも行きませんか!
金沢城 鶴丸倉庫の国重要文化財指定を目指す
金沢城公園内に現存する江戸時代の土蔵「鶴丸倉庫」は、全国で類似する建物が少なく文化財的価値が極めて高いことが分かり、これまで県文化財指定を視野に準備調査を進めてきたが、最終目標を国重要文化財指定に「格上げ」し、金沢の世界遺産暫定リスト入りへ核となる金沢城の価値を高めていく。県教育委員会は近く、県文化財保護審議会に価値の評価を求める。
県教育委員会は準備調査で全国の城郭に現存する江戸時代建造の土蔵をくまなく調べたところ、詳細が不明な1カ所を除くと二条城、大阪(大坂)城、高知城の六棟のみで、いずれも昭和二〇年代までに国重要文化財に指定されていることが判明した。いずれも平屋建てだが、鶴丸倉庫は二階建てと際立っており、建築面積も333平方メートルと最大だった。
城郭土蔵の国重要文化財指定が昭和前半に相次いだ中、鶴丸倉庫だけが取り残された理由について、県教育委員会は、「当時は調査研究が不十分で、建造時期も江戸時代ではなく明治期に旧陸軍が建てたとの説が強かったため」とみられる。(北国新聞2007年3月14日付記事)
「童友社 日本の名城 第二章」買いました
日本の名城が予定より少し遅れて発売されました。どうせ重複するので、今回はネットで大人買い(箱買い)です。シークレットがレアだと聞いていたので、とりあえず2箱買いました。
今回のラインナップは、前より
高知城・熊本城
大阪城(春)(冬)
江戸城(春)(夏)
の6種類です。今回は趣向があって、江戸城は春と夏で天守の配色が違います。初めての冬バージョンのある大阪城は屋根が白く、雪の感じがよく出ています。大阪城はよく見ると望楼型ですので、現在復興されている江戸期大阪城ではなく、豊臣期大阪城のようです。これはめずらしいのではないでしょうか。惜しいのは、「大坂城」ではなく、「大阪城」となっているところでしょうか?これは城好きには少し違和感があるというか、納得しかねる部分がありますね。
運よくシークレットも1個入っていました。今年築城四百年を迎える熊本城の黄金バージョンです。
箱買いしてみて、シークレットがレアな理由が分かりました。箱には12個入っていますが、6種類×2個入っています。つまり通常バージョンが2セット入っています。熊本城も2個入っていますから、この1個がシークレットかどうかということです。実際はどのくらいの確率なのでしょうか?
富山中世城館調査報告会
風邪もようやく落ち着いてきましたが、まだまだ外の気温が低く油断できない状態です。
今日は、富山県の県埋蔵文化財センターにやってきました。目的は昨年度終了した「富山県中世城館遺跡調査」の企画展と報告会です。報告会は、向かいの県図書館の3階多目的ホールで行われ、150名を超える聴衆が集まっていました。城館調査に関する興味の高さが見えました。
【全体報告】
富山県中世城館遺跡総合調査の成果
【事例報告】
①森寺城跡の調査
②木舟城跡の調査
③増山城跡の調査
④松倉城跡の調査