風林火山への道・佐久編 パート4

最終日、朝からあいにくの雨でした。今朝もゆっくりと過ごし、典厩寺に向かいました。典厩寺はその名のとおり武田典厩信繁の菩提寺です。境内には墓や信繁の展示館がありました。
典厩寺 典厩寺 武田信繁墓
典厩寺
続けて川中島古戦場跡で有名な信玄と謙信の一騎打ち像を見て、公園内の長野市立博物館で開催中の「体感!川中島の戦い2007」に入りました。NHK大河ドラマ「風林火山」に合わせて、山梨県では甲府市で「風林火山博」が開催されていますが、長野県ではここ長野市で開催されています。内容は川中島合戦がクローズアップされていました。
川中島古戦場跡
元の信州柴阿弥陀堂境内に山本勘助の墓があります。現在、寺は別の場所に移されましたが、ゴールデンウィークということもあって地元の方が待機して説明してくれました。
山本勘助墓
松代に移動し、市街地に入る前に明徳寺に行きました。ここには武田軍の海津城初代城主、高坂弾正の墓があります。
高坂弾正墓
松代市街に入り、徒歩で真田関連名所を見てまわりました。まずは真田家の菩提寺である長国寺です。ここには松代藩初代信之から真田家一門の墓があります。さらに幸隆、昌幸、幸村の供養塔も一緒にありました。思えばこの旅は城よりも墓のほうが多いですね。
長国寺
初代 信之霊屋 四代 信弘霊屋
長国寺 真田家大名墓地
長国寺 真田信之墓 長国寺 真田幸隆、昌幸、幸村の供養塔
続けて、信之の室であった小松姫の菩提寺、大英寺に向かいます。小松姫は徳川四天王の一人本田忠勝の娘です。
大英寺
松代城は以前行ったときはまだ整備中でしたが、現在はすっかり終わっていました。太鼓門と北不明門という本丸の2つの門と土塁が復元されていますが、特徴的な馬出の郭はちょうど線路の下であり、これ以上の復元は望めないのでしょう。案内板には海津城跡となっており少し違和感ありますが、入口には国史跡の碑もあり、松代城跡附新御殿跡となっています。新御殿跡とは観光案内では「真田邸」となっていますが、現在は修理中で全体を見ることはできませんでした。
松代城
松代城 太鼓門
松代城 北不明門
最後に真田宝物館で展示を見ました。
真田宝物館

風林火山への道・佐久編 パート3

昨日の砥石城の疲れがたたったのか、風邪を引いてしまったようです。あまり無理をせず今朝はゆっくりと過ごし、近くの旧北国街道の柳町を歩きました。ここではいろいろな映画やドラマの撮影があるようで、(新)犬上家の一族のここでロケをしたようです。開館時間になってから池波正太郎真田太平記館に入りました。
池波正太郎真田太平記館
NHKの真田太平記はとても面白いドラマですが、他にも鬼平犯科帳、剣客商売、仕掛人藤枝梅安の展示などもありました。上田合戦や真田太平記に関するシアターもあり、意外と充実した展示でした。
そのあと、武田軍と村上軍の激戦の地、上田原古戦場をまわりました。石久摩神社内に古戦場碑が残っています。一帯には、ここで戦死した武田軍の板垣信方、村上軍の雨宮刑部、屋代源吾、小島源兵衛の墓があります。現在は、風林火山に合わせて旗が立てられているので非常に見つけやすくなっていました。普段行くと分からないような場所です。
上田原古戦場碑
板垣信方墓
雨宮刑部墓 無名戦士墓
屋代源吾墓 小島源兵衛墓
続けて隣町の坂城町に移動しました。ここは村上義清の本拠のあった場所です。供養等や義清館跡の満泉寺を見て、坂城神社裏から義清の本城である葛尾城に登りました。昼過ぎでしたが、頂上の登頂記録帳にはすでに7人ほどの名前が書かれていました。
村上義清の供養塔 村上義清の菩提寺 満泉寺
非常に急な斜面を1時間以上かけて登りました。遊歩道となっていましたが、とても楽しいという雰囲気ではなく、まさにトレッキングに近いものがありましたが、頂上の本丸に着くとまさに絶景でした。
葛尾城
葛尾城
最後に、村上氏の支城であった荒砥城に行くために隣町の千曲市に向かいました。城跡はきれいに整備され、四の郭の下まで車で登れます。頂上までは200メートルほどです。整備された城跡には櫓台、城門、城柵、館などが復元されており、入るのは有料ですが、見るだけの価値はあります。NHK大河ドラマ「風林火山」では海の口城のシーンの撮影がここで行なわれました。櫓台から見る四方の景色も絶景です。
荒砥城
荒砥城 荒砥城
荒砥城 荒砥城
荒砥城
いよいよ明日はこの旅の最終日です。あいにくの天気予報ですが、どうなるでしょうか。

風林火山への道・佐久編 パート2

本日は上田市を中心にまわります。市町村合併で真田町が上田市に合併されたため、上田市は多くの真田氏関連史跡をかかえることになりました。
まずは旧真田町へ向かいます。見晴らしの良い真田氏本城を歩きます。頂上付近まで車で登れます。本郭、二の郭、三の郭と現存状態もよく、意外と広いという感じでした。
真田氏本城跡
次は、長谷寺です。ここは真田幸隆・昌幸親子の墓があります。
長谷寺
少し上田市街にもどると真田氏館跡がありました。館のまわりの土塁が良好に残っています。中には神社と平坦部はゲートボール(グランドボール?)の競技場となっているようでした。
真田氏館跡
真田町は真田氏の史跡が数多く残っています。周りを見渡せば山城がそこらじゅうにあります。真田信綱は幸隆の長子であり、幸隆の兄となります。長篠合戦で戦死したあとにここ信綱寺に埋葬されたそうです。信綱寺の参道入口付近は古城と呼ばれ、打越城跡です。
古城公園(打越城)
信綱寺 黒門
信綱寺 真田信綱夫妻の墓
砥石城は村上氏配下の難攻不落の名城です。砥石城とは峰のつながった砥石城、本城、枡形城の総称のようです。上り口を同じにして、途中分岐して米山城へも続きます。各本郭からの見晴らしは大変よいのですが、途中急なところや滑りやすいところもあるので、天候の良い日でよかったです。
砥石城
本城
枡形城
米山城
上田市街に入って、上田城を見ました。江戸時代にかなり改修されているのか、時代劇で真田親子が徳川軍を撃退する場面にでてくる急な山城という印象はありませんでした。上田駅を中心にかなり近代的な市街地が広がり、城下町という雰囲気も薄い印象でした。
上田城 大手門
上田城
上田城も日本城郭協会の日本100名城に選ばれています。
上田城
最後に上田駅前の真田幸村像の前で記念写真を撮りました。
真田幸村像

風林火山への道・佐久編 パート1

ゴールデンウィーク後半に入りましたが、長野県佐久地方に来ています。小諸、上田、坂城、松代とまわる予定ですが、最終日の天候が心配です。
今日は、上越から更科間で立て続けに2件の交通事故があり、途中で高速を一度降りました。2件目の事故は上下線で10km以上の渋滞になっていたので、対向車線にも影響あったのかもしれません。ゴールデンウィークは日頃運転しない方も出ているので、気をつけなくてはいけませんね。
さて、昼過ぎに遅れながらも予定の小諸市にやってきました。ICを降りてまず、武田信繁の墓へ向かいました。本来の墓石は別の場所にあるようですが、新しくなった五輪塔の下は地下へ入る扉もあり、実際に遺骨も納められているようです。
武田信繁の墓
小諸城は現在懐古園となっていますが、元城内は線路によって分断され、大手門は線路を挟んで反対側にあります。現在は修理中で来年春に完了するようです。残念ながら姿を見ることはできませんでした。
小諸城 大手門
その後、「懐古園」と書かれた有名な額のかかる三の門から懐古園に入り、二の丸跡、本丸跡、天守台跡、馬場跡と見ました。
小諸城 天守台跡
小諸城 武器庫
夕方、市街を通る北国街道を進んで、宿場町の面影を残す町並みを見ながら、小諸城の足柄門を移築した光岳寺まで歩きました。本陣跡、脇陣跡も現在閉鎖中でした。
小諸市北国街道 本陣跡
小諸市北国街道 脇陣跡
小諸城の城門は、大手門、三の門が元の場所に、足柄門が光岳寺に移築されていますが、他に正眼院と本町の住居としてかつて移築されていた門は現在修築や解体で当時の姿をとどめていないようです。詳しくは懐古館で見ることができます。
小諸城 足柄門

高岡御車山祭

今日は巡行の日だったのですが、朝からあいにくの雨、12時には中止が決まりました。巡行の中止は25年ぶりだったそうです。
来年の楽しみにしておきます。

高岡御車山祭 宵祭

高岡御車山は、天正16年(1588年)豊臣秀吉が、後陽成天皇と正親町上皇を聚楽第に迎え奉る時に使用したもので、加賀藩初代藩主前田利家公が秀吉より拝領し、二代藩主前田利長公が慶長14年(1609年)に高岡城を築くに当り町民に与えられたのが始まりと伝えられています。
祭礼の山車の巡行は明日ですが、前日の今日は臨時山倉で、木舟町、守山町、御馬出町の3つの山車がライトアップされました。写真は胡蝶の鉾留がきれいな木舟町の山車のライトアップ前とライトアップ後の写真です。
高岡御車山祭 宵祭
高岡御車山祭 宵祭
山車を出す8つの町と関野神社をめぐるスタンプラリーもあって、それほど広い地域ではないので、6時頃から廻り始め、明るいときの山車と暗くなってからの山車を両方楽しんできました。中には、振る舞い(配布物)をしているところもあり、一番町と小馬出町で曳山せんべい(瓦せんべい)をいただきました。
高岡御車山祭 宵祭
正味2時間ぐらいですが、とても楽しかったです。明日は天候が少し心配ですが、なんとか巡行みたいですね。雨天だと臨時山倉の展示のみで巡行なくなるんですよ。

風林火山への道 パート5

今回の取材最終日です。晴れて暖かくなりました。
最終日のイベントは笛吹市の「桃の花まつり 川中島合戦戦国絵巻」です。笛吹市役所前の河川敷で繰り広げられる第4回川中島合戦の大チャンバラです。
詳しい予定がわからなかったこともあって、10時前に会場に入ったので、場所を確保して予行演習などを眺めていました。11時半から「神楽」が演じられ、13時半頃に先頭の武田軍行列が会場に入場しました。「風」「林」「火」「山」の順に隊が入り、勝頼、由衣姫、勘助、信玄と入場します。続けて、招待された米沢藩古式鉄砲隊、上杉軍が入場します。信玄軍は武将旗に個性がありましたが、ここは甲斐の国、上杉軍の武将旗はみな同じでした。そして、鉄砲隊演武やチャンバラが始まりました。
桃の花まつり 川中島合戦戦国絵巻
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桃の花まつり 川中島合戦戦国絵巻
桃の花まつり 川中島合戦戦国絵巻
桃の花まつり 川中島合戦戦国絵巻
桃の花まつり 川中島合戦戦国絵巻 070415fuefuki7.jpg
さすがに500人を越える人が繰り広げるチャンバラは面白いです。個々が進む方向を決められているものの細かい動きは個人に任せられているので、結構好き勝手やっていて、足軽は公募で有償で参加しているのですが、参加してみたくなる気持ちが分ります。甲冑着て、走り回り、刀や槍を振りまわし、中には川の中で濡れながら格闘しています。
今年は大河「風林火山」の放映や天候に恵まれたこともあり、大勢の人が見に来ていました。この祭りは近くの駅の構内にポスターがあるほかは大々的に宣伝されていませんが、大名行列などとは違って見ていて空きが来ません。毎年ハプニングがありそうでまた来たくなります。宣伝が少ないのは、今日以上の人出があっても観客席や駐車場の関係で、主催者が困るのかなとも思いました。
桃の花まつり 川中島合戦戦国絵巻
桃の花まつり 川中島合戦戦国絵巻
桃の花まつり 川中島合戦戦国絵巻
桃の花まつり 川中島合戦戦国絵巻
桃の花まつり 川中島合戦戦国絵巻
桃の花まつり 川中島合戦戦国絵巻
締めくくりにICへ向かう途中で小山城跡に寄りました。ここは穴山梅雪の館跡と言われているところです。桃畑に囲まれた一角に小山城跡がありました。深い堀が居館の大きさを物語っていました。見張台のあった場所からは笛吹市役所の方角が一望できました。
小山城 小山城
晴れた日が多く、良い取材ができました。

風林火山への道 パート4

夜分には雨が降っていましたが、朝出発するまでにはあがりました。快晴です。
今日は移動が長いので高速道路を使います。甲府南ICから降りてすぐの山梨県考古博物館に行きました。山梨県埋蔵文化財センターに隣接するこの施設は、土器を中心とする考古学資料が展示されています。展示数は他の考古学博物館に比べても非常に充実していました。目的は別にあったのですが、埋蔵文化財センターがまとめた発掘調査資料をここで購入できるのです。城館関係は、これまで甲府城跡、躑躅ヶ崎館跡、勝沼氏館跡の調査があるようですが、資料は甲府城跡しかありませんでした。
山梨県考古博物館
次に、大月市に移動し、岩殿城跡に登りました。ものすごい絶壁の上にある本丸までは昨日の要害以上に急な坂でした。中腹には「ふるさとの館」という施設が無料で開放されており、ビデオで岩殿山と大月市の歴史を知ることができます。
岩殿城
岩殿城
岩殿城
岩殿城
岩山のため、門も石垣を積むまでもなく、巨石を両側に配し(というよりもともとあったのか)、圧倒されるものがありました。本丸(主郭)にはテレビ局のアンテナが建設されていました。本丸は周りの木が伐採されておらず景観は残念ながらそれほどよくありません。
岩殿城
岩殿城
岩殿城
が、快晴の今日は城跡のみならず富士山の眺望も楽しめて2倍楽しかった。ほんの少し霞がかかっていましたが、雲もほとんどなくこれ以上を望むのは贅沢でしょう。というのも私自身、富士山は初めて実際に見たのです。
富士山
勝沼に取って返し、塩山へ向かう途中で勝沼氏館跡に寄りました。案内板もなく少し迷いましたが、ここを紹介した記事は草むらの写真がよく使用されていますが、着いてみて驚きました。福井県の朝倉氏館跡と同様に、建物跡をわかりやすくするように整備され、遺構の規模も躑躅ヶ崎館跡に劣らないほど広かった。さすがに信虎の弟が治めていた館跡です。
勝沼氏館
勝沼氏館
勝沼氏館
勝沼氏館
勝沼氏館
塩山では信玄の墓のある恵林寺に行きました。さすがに大きな伽藍でした。
恵林寺
恵林寺
恵林寺
恵林寺

風林火山への道 パート3

本日も天候は良いです。相当疲れていたのか朝目覚めたら予定より大幅に過ぎていました。今日は甲府五山の続きです。
まずは、泊まったホテルから程近い「法泉寺」に向かいます。ここは信玄から9代前の武田信武の菩提寺であるとととに、息子勝頼の菩提寺となっています。墓地には信武と勝頼の墓がありました。
法泉寺
武田勝頼の墓
次に武田神社の北へ向かいます。「積翠寺」、ここは要害山の麓にあり、武田信玄生誕の地となった寺です。寺内には信玄生誕の碑があります。生誕の碑の背後には躑躅ヶ崎館の詰城である要害山城が控えます。生誕の碑は要害山主郭部にもありますが、甲陽軍鑑では今川軍に攻められ、要害山に退却した信虎は、臨月の大井夫人を伴っていたが、登山の途中で間に合わず引き返して同寺で信玄を生んだと伝えています。積翠寺への道は途中非常に狭くなっていますが、迷わず「要害」(積翠寺温泉)に向かいましょう。
積翠寺
積翠寺
積翠寺をもう少し上ると積翠寺温泉に着きます。ここは2軒の宿があるのみですが、要害山への入り口があります。この時期はつつじがとてもきれいでした。
要害山城
入り口から急な坂が続きますが、頂上の主郭部まで約30分ずっと続きます。しかし、途中には城門であった場所に石垣や平坦部、竪堀、土塁など山城の醍醐味を十分感じることができます。登り始めてすぐに眼下に積翠寺を望むことができますが、主郭部は周りの樹木のために見通しが悪く、何も見えませんでした。主郭部の逆の城門の先に大規模な石垣が残る堀切が残っていました。
要害山城
要害山城
要害山城
要害山城
昼を「かいてらす」でとった後、近くの「甲斐善光寺」に行きました。信濃善光寺ほどではないにしろ、平日に関わらず観光バスがひっきりなしに乗り付けていました。本堂の奥には「戒壇めぐり」という地下の真っ暗闇の中を進んで冥途から現世によみがえる体験をするというものを体験しました。「光」というものがどれだけ人に安心を与えているのか感じることができました。
甲斐善光寺
甲斐善光寺
少し道に迷いながら「東光寺」に到着しました。ここは信玄の嫡男義信の菩提寺です。義信の手前には諏訪頼重の墓もありました。池泉鑑賞式と枯山水の2種類の庭園を見ることができます。ちなみに前者は有料です。
東光寺
諏訪頼重・武田義信の墓
五山の1つ「能生寺」は武田信守が開祖の寺です。五山の中ではもっともこじんまりとしており、特徴のないところかもしれません。
能生寺
能生寺
五山最後となる「長禅寺」は車で行くには大変不便な場所でしたが、到着して驚きました。他の五山に比べて伽藍が大きく、塔も2つ(三重塔と五重塔)もあるのです。信玄の母大井夫人の菩提寺ですが、五山筆頭となっているだけのことはあります。
長禅寺
長禅寺
大井夫人の墓
長禅寺
長禅寺

風林火山への道 パート2

2日目、今日は良い天気です。思ったより公共機関の便が良くなかったので、ホテルから武田神社までタクシーで向かいました。すでに何台も観光バスが到着しています。境内に上がると準備が始まっていました。
武田二十四将騎馬行列
武田二十四将騎馬行列
まずは鉄砲隊演技から始まり、神輿が階段を降り、その後に騎馬行列が続きました。最後尾に山本勘助と武田信玄が続きます。
武田二十四将騎馬行列
武田二十四将騎馬行列
出発を見届けてから信玄正室の三条夫人の菩提寺であり、甲斐五山の1つである「円光院」に行きました。境内の桜がきれいでした。
円光院
本堂前の庭に石像がいつくかありました。キティちゃん?そういえば武田神社宝物館の前にもキティちゃんの石像が・・・甲府では流行っているのか?
円光院 円光院 
円光院 三条夫人墓
次に武田信虎の菩提寺である「大泉寺」に行く途中で、武田信玄公墓所を詣りました。
武田信玄公墓所
大泉寺は五山になっていないこともあるのか、閑散としており、周辺整備も円光院とは比べるまでもない状態でした。京都の万福寺と同じ黄檗式の建物が多く、中華系の細かい部分で違和感のある建物があります。
大泉寺
大泉寺
昼ご飯を食べた後、帰りの行列を待っていましたが、行き違いにならないかなと思いつつ、甲府城に向かったところ、ちょうど休憩中だったので、くつろいでいる様子を撮りながら出発を待ち、念願の正面から行列の最初から最後を見ることができました。武田神社の出発のときは人出もなかなかでしたが、甲府城は人もまばらで平日だなあと思いましたが、先日の信玄公まつりに比べても、非常に楽しめるものでした。行列がテキパキしすぎて通過するとき10分もかからないというのが逆に寂しいくらいです。
武田二十四将騎馬行列
武田二十四将騎馬行列
武田二十四将騎馬行列
武田二十四将騎馬行列
武田二十四将騎馬行列
武田二十四将騎馬行列
武田二十四将騎馬行列
甲府城の本丸に登る途中で石垣の上から下を通る行列を再度楽しみました。一車線で進む行列は車も止めずに行なわれており、命日の行列は粛々と進められていました。12日が土日になるような年はもっと人が出て盛り上がるでしょうね。
武田二十四将騎馬行列
甲府城をひととおり見て回り、先月公開されたばかりの「山手御門」を見ました。現在の甲府城とは線路を挟んで南北に分断されてはいるが、もとは続いている敷地の一部であり、内枡形の門を復元しています。史実に忠実なのかどうか疑問な部分もあるものの、甲府駅周辺から建物の復元がされているようです。甲府城では特に天守台の石垣に落書きが目立った。黒っぽい色の大きな石が多いことも影響しているのだろうが、地元若者のモラルが問われる出来事である。完全開放の都市公園という性格上仕方がないとも言えるのかしれないが、何でも甲府城でイベントを行なうことの影響もあるのではないか。もったいない次第である。
甲府城山手御門
NHK大河の「風林火山博」を見てきました。モンタージュボイスによる登場人物の声の復元が楽しかったが、武田検定簡易版が10問中8問だったのが残念だった。全問正解して粗品狙っていたのに、意外と難しい問題が含まれていた。本日武田検定問題集を入手したので、秋の検定に向けて、甲斐侵攻を再度計画中です。
風林火山博
風林火山博
最後に躑躅ヶ崎館と甲府城に日本城郭協会の日本百名城に選ばれたときの賞状があったので写真に撮ってきました。スタンプラリーはゴールデンウィーク明けでしょうか。待ち遠しいです。
日本百名城 日本百名城