梅雨の合間をぬって今週一杯の展示会を見るために福井へ行って来ました。一緒に今月から始まった日本100名城スタンプラリーで福井県で選ばれた「丸岡城」と「一乗谷城」にも寄りました。
新緑の時期の丸岡城は初めてでしたが、新鮮でした。人もまばらだったのでゆっくりと見ることができました。
郷土歴史博物館で目的の「福井藩主 結城秀康」を見ました。ここは福井城関連の常設展示も思った以上に豊富で、福井城を訪れる際はぜひ行ってみたら良いと思います。同時開催の「越前若狭の大工と絵図、道具」が意外に面白かったです。本物の絵図は非常に大きく圧倒されました。会場で上映されていた「福井城舎人門の復元」ビデオをもう少しゆっくりと見たかったです。というよりDVDで販売してもらえないですかね?
博物館のすぐ横に福井城の舎人門(とねりもん)が最近(一昨年か?)復元されたようです。今日まで存在を知らなかったのですが、福井城の本丸には石垣のみが残っていて、建物類は見ることができないので、舎人門を見て福井城の瓦は明るい茶色なんだ、とか思いました。
一乗谷城の付近は一昨年洪水の被害がひどかったらしく(そういえば足羽川が溢れたニュースは見たが遺跡が水没したニュースは見ていないような)、防波堤の工事などしていましたが、まだまだ発掘調査は続いているようです。現在は「諏訪庭園跡」の整備工事の真っ最中でした。平日でもここは他よりもお客さんがいるところが流石です。
100名城のスタンプを押しながら、窓口のおばさんと雑談。ここはスタンプを押しに来る人はポツポツといるようです。私も負けずに集めようと思います!
カテゴリー: 城郭さんぽ日記
二曲城再訪
白山市鳥越の一向一揆歴史館で開催中の「絵馬の世界」を見てきました。友の会会員なので入館料無料なんですが、来月友の会で若狭に行くバスツアーを申し込んできました。
その後、脇の二曲城(ふとげじょう)を見てきました。去年発掘調査が行なわれ、以前見たときは発掘調査の状況を見ることができましたが、現在はすべて埋め戻され、本郭は何もない状態でした。発掘調査より前はフェンスがあったので、本郭の広さがよくわかりませんでしたが、意外と広いです。
二曲城の本郭からは眼下に一向一揆歴史館が、右眼前には鳥越城を望むことができます。
日本100名城 スタンプ帳やっぱりあった
今日、会員になっている日本城郭協会から郵便が届きました。先週日本100名城スタンプラリーが始まったばかりですが、今回の中にはスタンプ帳が入っていました。
やっぱりあったんですよね、スタンプ帳。すでにご紹介したとおり学研から企画にあわせた書籍が販売中です。私も初日に金沢城でスタンプ押しました。一週間経って到着するとは間が悪いですね。
とはいえ、本部発行のスタンプ帳は前述の書籍の付録とはちょっと違いました。各城郭の所在地データが付き、1ページ3城ずつ(前述の書籍付録は6城ずつ)スタンプを押すようになっています。
そして最大の違いは、最終ページに「日本城郭協会の認定印欄」があることです。すべてのスタンプが揃ってから日本城郭協会にスタンプ帳を送ると、印と登録順位を記入して返送してくれるのです。また、その成果が城郭ニュース(協会会報)とホームページに載るということでやはりこういうことでもなければ燃えませんよね!!
松任城 歴史学び城名復活
白山市(石川県)は、加賀藩二代藩主前田利長も城主を務めた松任城の歴史に光を当て、文化遺産としてのその名を後世に伝える取り組みを本格化させる。
1968年に整備された公園の名称は、城跡に若宮八幡宮の「御仮屋」が建てられたことに由来する。市などの調査で「御仮屋」は現在の公園内ではなく、隣接する市松任文化会館付近にあったことが分かり、旧松任市時代から史実にふさわしい公園名への変更を検討していた。
一方で、憩いの場として長く親しんだ「おかりや公園」の名称存続を求める声も根強い。さらに松任城の往時の姿を偲ばせる遺構は内堀跡の石垣の一部、櫓土盛りなどがあるだけで、都市基盤の整備に伴い、城のあった事実が見えにくくなっている。
市はフォーラム開催や広報への歴史紹介文掲載を通じて、同公園が由緒ある松任城の本丸跡であることを周知し、市民が後世に松任城を語り継げるように情報を提供していく考え。8月上旬に開くフォーラムは「歴史に学ぶ松任城」と題し、郷土史研究家の蒔田達雄氏の基調講演やパネル討論などを予定している。(北國新聞2007年6月3日付記事)
日本100名城スタンプラリー はじめの一歩
先日紹介した財団法人日本城郭協会の「日本100名城」スタンプラリーが本日より始まりました。早速一番近い金沢城へ行って来ました。
金沢城のスタンプ設置所は「二の丸案内所」と「石川門入口案内所」の2箇所のようですが、本日は百万石行列の最中であったため、二の丸案内所は閉められていました。そこで石川門入口へ・・・
ありました!!スタンプラリーの案内です。早速、守衛さんに言って押させていただきました。
守衛さんは・・・ 「スタンプ?あれねー。これ写るんかな?ちょっと押してみよう。」
と、試し押ししていました。ということは金沢城1番乗り!?
さて、次はどこへ・・・
第56回金沢百万石まつり 百万石行列
梅雨の時期を避けて、昨年より一週間早く開催されました。今年はオープニングイベントを見ようと早めに出かけましたが、駅前が通行止めになった一時間前にはすでに良い場所は人で埋め尽くされ、仕方なく脇でしばらく準備の様子を眺めていました。
結局始まる前に武蔵が辻へ移動して、通行止めになった瞬間を狙って最前列を確保しました。今年は一斉演技の回数が増えたためか、10分前倒しで進められた行列も早いうちに10分遅れ、20分遅れとなっていました。最近は携帯電話で写真をとる人も多いため、利家公(今年は的場浩司さんでした)が来たときはシャッターチャンスを失いました。
<加賀とび>
それでは納得いかないところもあったので金沢城へ向かいました。意外にも石川門周辺は人が少なく写真をとるには穴場でした。というのも、城内のイベントは二の丸広場で行われるため、そちらは人で一杯でしたが、門付近は通り過ぎるだけということで人が少なかったようです。夕方になっていたため、陽も落ち、露出が足りない状態でしたが、的場さんも写真に収めることができました。乗馬が趣味だそうで馬の扱いもとても上手な方で、利家としてとても様になっていました。
<お松の方>
<利長公>
<利家公に扮する的場浩司さん>
<五十間長屋前を過ぎる赤母衣衆>
日本100名城スタンプラリー始まる!!
金沢城 宮守堀の水堀化
県庁跡地に接する宮守堀は今年度から実施設計に取り掛かる。これまでに堀の北側の位置や形状、規模などは判明しているが、南側は現在、大部分が歩道になっており、昨年度の調査で部分的に位置を確認した程度となっている。今夏に移転を予定する広坂出張所付近では、まとまった範囲で南側の調査が可能となるため、県は当時の堀の形状を確認した上で、水堀化に向けた工法や整備範囲、湛水計画の検討に入る。
一方、河北門の復元では、「二の門」は石垣の最下部を支える根石を生かしながら、石垣を積む工法を採用する。ただ、在来工法では地盤の強度に課題が残るため、石垣内部に杭を設置して石垣上の櫓を支えることとした。杭は外側からは見えず、石垣内部も在来工法に近いものになる。櫓の構造については、県側は建築基準法の条件を満たすため、床と天井の梁をつなぐ中柱を六本設置する案を示したが、観光客が櫓下をくぐる際、中柱が見える可能性もあることから、柱を隠すため本数を追加するなどの検討を加えることとした。
このほか、「一の門」の門の高さは、現存する石川門や一部復元した橋爪門を参考に約四メートルとする。県は今秋から復元工事に着手し、今年度は「二の門」の石垣積み上げ作業を進め、2009年度末の完成を目指す。
富山城 平成期の石垣築造へ
富山市の富山城址公園に移築、整備されている千歳御門の横に、新たに石垣が築造されることになった。城址公園での石垣築造は1953(昭和28)年以来54年ぶり。市は9月にも平成の石垣の築造に着手し、富山城唯一の遺構とされる千歳御門の移築と併せて風格あるたたずまいを演出、城址公園の魅力向上につなげる。
移築中の千歳御門は、富山藩十代藩主前田利保が隠居後に過ごした千歳御殿の正門で、1849(嘉永2)年ごろに建築された。明治初期に富山市米田町二丁目の個人宅に移築されたが、寄贈を受けた市が昨年度から再度城址公園への移築を進めており、年内には完了する。移築場所の南側には老朽化した公衆トイレがあるほか、樹木が植えられているなど景観が良くないことから、市はトイレを撤去したうえで新たに石垣を築造することにした。(北國新聞2007年5月23日付記事より)
金沢城・兼六園研究会 総会
昨年、金沢城大学を受講して参加資格を得ましたので、今年から「金沢城・兼六園研究会」に入会しました。今日は19年度通常総会の日でした。私は17期ということになります。前身は兼六園の学習会だったと聞いていますので、会員の方の興味の大半は兼六園ということになるのでしょうが、金沢城大学卒業生も4年目を迎えて、城に興味ある方も増えているのではないでしょうか。総会員数160名以上ということですが、ほとんどは金沢市の方で白山市、小松市、かほく市の順でしょうか。津幡町は私1人のみで野々市町が少ないのは意外です。
平日の活動もあるということで(というより参加資格の金沢城大学が平日開催)、ご年配の方がほとんどです。やはり浮いているか。このまま続ければやがて最古参ですね。
年数回の勉強会ならぬ講演会が開催されますが、有志のグループ活動もあり、今年は新入会者のための「きくざくら学習会」と「お城研究サークル」に参加希望を出しました。
総会の後、金沢城調査研究所の冨田氏による「金沢城の石垣と石切丁場」というテーマで講演会がありました。金沢城の石垣の年代変遷について総まとめ的な講演で、非常に有意義なものでした。