金沢城大学には「歴史・文化コース」と「城と庭の魅力コース」があり、歴史・文化コース1回と城と庭の魅力コース全3回が公開講座として誰でも参加できる。とはいえ、城と庭の魅力コースは平日の昼間なので参加できる人は限られるが・・・
本日は「城と庭の魅力コース」の第1回として、石塔研究家の石井嘉之助氏によって「兼六園の石造物」というテーマで講演が行われました。講演には定員いっぱいの約90名の方が参加していました。
兼六園内の石灯篭と石塔は、隣接する成巽閣や金沢神社、兼六園事務局、三芳庵敷地内のものを除くと、石灯篭が18基、石塔が6基あるということです。講演では、各石灯篭と石塔の大きさや使用されている石材産地などが解説されました。石井氏は石材に大変詳しく、初心者の私には難しかったですが、これからは石造物にも興味をもって見ることができそうです。
最も興味を持ったのは、瓢池(ひさごいけ)に立つ海石塔(四角層塔型石灯籠)はもともと玉泉院にあったとされる十三重塔ではないかという話。確証はないものの、玉泉院から2つに分けて、兼六園と小松城に移動されたものではないか、小松城のものは明治以降の払い下げで現在は寺井の奥野八幡神社にあるということなので、後日両方を確認してみたい。石造物ひとつにも歴史あり!・・・ですね。
講演終了後に、近くの藩老本多蔵品館に行ってきました。ここは前田家一番家老の本多家の歴史や伝来の美術品を展示しています。私、隣の県立歴史博物館には何度も行きましたが、ここは初めてでした。
今回は、特別展「武装の美」のちらしをたまたま目にしまして、甲冑がたくさん並ぶということで見て来ました。常設展・特別展ともに、初代当主の本多政重のものが多いですね。初代は何かと大切にされるのでしょうか。
展示を見ていると、おそらく館長さんでしょうか、本多家の上屋敷絵図や下屋敷地図についてわざわざ解説していただきました。ただ見てるとわからないことも話を聞くと理解が進みます。
館長さんによると今回の特別展で非常に珍しいのは、鑑定書付きの鎧兜です。この鑑定書、「折り紙」というのだそうですが、由緒正しいことを「折り紙付き」ということの語源だそうです。折り紙自体は当時のものではなく、後世のものですが非常に珍しいものです。それ自体に価値があるかどうか分かりませんが、他に展示しているところを見たことありません。
今回の特別展は11月28日(水)まで、興味ある方はぜひ訪れてみて下さい。
カテゴリー: 城郭さんぽ日記
NHK熱中時間
本日のNHK総合の「その時歴史が動いた」は「歴史ドキュメント ゼロワン」という特別番組でしたが、続けて15分枠で「熱中時間」という番組をしていました。
今回のテーマは「城郭めぐり」
これはおもしろそうだと見てみました。内容は、「岡山県に住む森本基嗣さんが熱中しているのが城跡めぐり。ほとんど何のこん跡も残っていない城跡を求めて、道なき道を突き進む森本さんに密着し城跡めぐりの魅力を探る」というものですが、整備されていない山城めぐりに番組を見ながら「わかる!わかる!」と思ってしまいました。興味ない人が見たら、何で何もない山に熱中できるのか、と思うのでしょうが・・・
再放送が来週月曜日(8日)の夜中午前2:20~2:35にあるようです。
金沢城 太鼓塀修復に現代工法
昨年度から「平成の大修理」に入った国重要文化財、金沢城石川門で、左右に延びる太鼓塀を補強する控柱に、一部、現代的な工法や材料が採用される見通しとなった。これまでの発掘調査の成果を受け、控柱は約百年ぶりに江戸中期の形状に復元される方向だが、石川県教育委員会は維持管理に優れるコンクリート製基礎の使用を検討している。県教育委員会は文化財の復元と現代工法の調和を図るモデルケースとしており、文化庁に形状変更を申請する。
復元に当たって、江戸中期の控柱のままでは、木製柱が地面にそのままでは、木製柱が地面にそのまま差し込まれているため根本が腐食しやすく、引き抜きの力に対して弱いという問題点が浮上していた。地震や台風による破損や、耐用年数の短さ、維持管理費の急増が懸念されている。
そこで、県教育委員会は、控柱の根本を石製柱として上部の木製柱と金属製の心棒でつなぎ、地下はコンクリート製基礎を置いて石製柱をしっかり固める復元案を作った。史実とは異なる形状になるが、県教育委員会は「文化財の保存修理は維持管理も考慮しなければ、かえって損傷の原因になる可能性がある」(文化財課)として、文化庁の理解を得ていく考えである。(北國新聞2007年10月3日付記事)
辰巳用水の見学 きくざくら学習会
本日、あいにくの悪天候のなか、金沢城兼六園研究会のきくざくら学習会およびお城研究サークルの行事として、辰巳用水の見学会が行われました。
辰巳用水は、箱根用水と多摩川用水と並ぶ日本三大用水ですが、建設当時の寛永期のトンネルが今でも使われている唯一の用水です。
まずは、金沢市の福祉バス「マナビー」に乗って、犀川上流の辰巳用水の取水口である「東岩取水口」に向かいました。
大雨で足場が悪かったですが、増水した犀川のカーブに設けられた取水口には水がどんどんと吸い込まれていきます。貴重な場所ですが、今年11月から犀川ダムの建設のため、当分の間見学できなくなるようです。
次に、少し下流に移動し、清浄ヶ滝排水門を見学しました。この少し下流で辰巳用水建設に伴い唯一のトンネル崩落による死亡事故があったとのことでした。
次に、水路トンネルの内部を見学するため横穴のある場所に移動しました。写真では少し見にくいですが、中央右側から水が流れてきて、上方向に流れています。水位は20~30メートルぐらいですが、トンネルの高さも低いのでかなり圧迫感はあります。入口は非常に滑り易く、気をつけていたのですが結局滑ってしまいました。
最後に、犀川浄水場に移動し、入口付近にある兼六園専用取水口を見学しました。
辰巳用水は総延長11キロメートルで45メートルの高低さしかない。緩やかな場所は10メートルで4.5センチの勾配しかなく、水が流れるギリギリの勾配らしい。200年以上も前にこれだけの土木技術を持っていたことは本当に驚きである。
今日は雨模様で露出が低く、写真もピンボケが多くなってしまいました。柵の内部に入れたことは非常に貴重な体験でしたが、10月中の天候の良い日を選んで、もう一度コースを辿ってみたい。
金沢城探訪会 鶴丸倉庫
「100年後の国宝を作ろう」というキャンペーンの一環で開催された金沢城探訪会の抽選に当たったので、本日悪天候ながら参加してきました。
初めに、旧第六旅団司令部跡(どこかと思っていたら金沢城兼六園事務局の斜め前の建物でした。)で、金沢城調査研究所所長の北垣聰一郎氏によって、「穴太の系譜 -金沢城と熊本城-」というテーマで講演がありました。40名の抽選だったはずなのに、最初から椅子が40名分用意されていないという狭い会場の中、時折大雨で聞こえにくい状況でした。
北垣氏の講演は、所長になって初めてです。穴太の歴史や伝承文献について話がありましたが、伝承文献の残る金沢と熊本で石垣の勾配の計算方法について異なる考え方をしていながら、実は結果は全く同じになるという不思議な一致が見られることがわかり、このことは後日調査結果として何かまとめられると思われます。
講演会の後の見学会は鶴丸倉庫です。鶴丸倉庫は海鼠壁でないため、最近まで軍隊が建築したものと考えられてきましたが、前田育徳会で保存している文献で江戸末期の絵図に描かれているなどの発見により一躍脚光を浴び、重要文化財指定に向けて動いている最中です。
初めて中に入りましたが、今でも倉庫代わりに利用されているようです。
江戸末期の建築とはいえ、軍隊の駐屯により一部改造の跡が残っています。1階東側と2階東側には1箇所ずつ壁に非常口が開けられています。
さらに、2階への階段開口部には通常3方をめぐるはずの高欄がなぜか2方しかなく、
2階の一部には荷物の昇降に使われたと思われる穴があります。
いろいろと不思議な点が残る鶴丸倉庫ですが、さらに解明を進めて金沢城の見どころの1つになればいいと思います。
平成19年度金沢城大学 開校式
今日から平成19年度の金沢城大学が始まりました。開校式では今回も定員の倍以上の申込みがあったことが告げられましたが、初日から欠席される方もいたようです。
私は昨年に引き続きの受講ということになりますが、今年の内容は今までと趣向が変わり、前年と講義が重複しないようなのでこれまた楽しみです。今までは兼六園を楽しむ会からの流れで、「金沢城大学」という名称であっても、兼六園に関する講義も数講あった訳ですが、今年は城郭に関する講義のみとなり、県外から講師の招聘が初めてあります。
開校式の後、第1回の講義となりましたが、今回と第3回から第6回の5日間は、金沢城研究調査室編集の「よみがえる金沢城」をテキストにして話が進められます。今日は金沢御堂と創建時の話でしたが、テキストに出ている古文書の読み方から意味を講義するなど、なかなか面白いものでした。
この「歴史・文化コース」次回と、「城と庭の魅力コース」3回は公開講座として誰でも受講することができます。平成19年度の金沢城大学の講義予定は以下の通りです。
歴史・文化コース
第1回 よみがえる金沢城1
第2回 金沢城と伝統技術 <公開講座:石川県文教会館ホール> 10月6日(土)
第3回 よみがえる金沢城2
第4回 よみがえる金沢城3
第5回 よみがえる金沢城4
第6回 よみがえる金沢城5
第7回 豊臣秀吉の大坂城と城下町
第8回 鳥取城からみた金沢城
第9回 安土城と城下町
第10回 石垣普請と石切丁場
城と庭の魅力コース <公開講座>
第1回 兼六園の石造物 <広坂休憩館> 10月4日(木)
第2回 未定 11月下旬
第3回 未定 1月下旬
ふるさと切手 近畿の城と風景
先日の「ふるさと切手 熊本城築城400年祭」に続き、今年6月に発売された「ふるさと切手 近畿の城と風景」を入手しました。近くの郵便局では品切れだったので、オークションでちらし付で入手しました。が、近畿にはまだ残っているようです。先日、彦根城へ行ったときも売店にまだありました。掲載されている城にはまだ残っているところもあるかもしれません。
今回のものもシール切手ではなく、従来の切手なので絵柄はくっきりといい感じです。2枚ずつ5種類の城が印刷され、50円切手10枚で500円という手頃さがよいでしょう。
奈良県から郡山城追手向櫓
滋賀県から彦根城天守
兵庫県から姫路城天守
大阪府から大坂城天守
和歌山県から和歌山城天守
となっており、5種ということで京都府がありません。元の写真の角度は彦根城がいまいちですね。ホームページの解説では相変わらず、「天守」ではなく「天守閣」となっていますが、切手に印字されていないのが救いですね。誰か指摘したほうがようのでは。
ふるさと切手「近畿の城と風景」の発行
全国 80万シート、近畿36万シート
日本100名城スタンプラリー 観音寺城
記念すべきスタンプラリー10個目は滋賀県の観音寺城です。以前は安土城側(裏街道?)から上りましたが、今回(昨日23日)は表街道から観音正寺に向かいます。
表街道入口にある石寺楽市にスタンプが置いてあります。観音正寺のスタンプは本堂のようでしたが、実際押したわけではないのでよく分かりませんでした。本道は朱印状をもらう人で行列なので、ここは石寺楽市で押したほうがようでしょう。
絵柄は本丸入口のようです。これだけ見せられてどこの城と言われてもわかりませんが、天守のない城は仕方ないでしょうか。
少し迷いましたが、麓の石寺楽市に車を停めて上り始めます。最初から安土城の大手道を思わせる石段。さすがに日本初の石垣の城と呼ばれるだけはあります。石段8合目と9合目の間に駐車場があります。ここは林道入口からの有料道路(500円)を通ってくることができます。
寝不足だったため体力の消耗が激しいです。何度も小休憩しながら観音正寺に到着しました。本堂横の石積みは傍で見ると圧巻です。本堂は意外なほどの拝観者がいて、というより皆朱印状目当てかな?
境内から300メートルで本丸へ行けるようでしたが、時間が来ていたので後ろ髪ひかれながら下山しました。
折角来たので、本堂で魔除け札を購入しました。
金沢城探訪会に参加します
石川県金沢市では「百年後の国宝を作ろうキャンペーン」と称して地元企業が金沢城の復元事業をバックアップしています。地元新聞である北國新聞に時々記事が掲載され、またキャンペーンの一環として旅行や講演会が開かれています。今までは日程が合わず参加できませんでしたが、今回日程があったので参加申込みをしたら、参加できることになりました。
今回は、金沢城研究調査室から金沢城調査研究所へ格上げになって初めての講演会で、初代所長となった北垣聰一郎氏の講演会と、今年に入り江戸時代の建造物と判明した鶴丸倉庫の見学会が各1時間ずつ開催される予定です。
この企画は後日の新聞記事となるはずなのでもしかしたら新聞に出るかもしれません。でも楽しみです。
金沢城 宮守堀の南岸確認
金沢城公園の宮守(いもり)堀の段階復元に向け、石川県が金沢市広坂2丁目で実施している発掘調査で21日までに、宮守堀南岸ののり面が確認された、昨年秋に付近2カ所で同様の遺構が見つかっており、南岸のラインが江戸後期の絵図通りと確認できた。今回見つかった部分の勾配は約30-40度であることも分かり、宮守堀全体を復元する際の大きな手掛かりとなる。
発掘調査は金沢市中央消防署広坂出張所跡地で行われた。約50平方メートルの範囲で最大約3メートル掘った結果、1907年に埋められたとみられる堀の南岸部分が確認された。これまで江戸後期の絵図から推測されていた通り、宮守堀の南岸が約300メートルに渡り真っすぐ走っていたことが、今回と昨年の3カ所での発掘結果から裏付けられた。
宮守堀については、これまでの調査の結果、北岸から南岸まで幅約40メートルで、深さ10メートル以上、北岸の勾配は焼く25-30度だったことが分かっている。今回の調査でこれまで不明だった南岸の勾配が判明し、金沢城調査研究所は「宮守堀の全体像に、だいぶ迫ってきた」としている。(北國新聞2007年9月22日付記事)