本日、金沢城・兼六園研究会の例会がありました。「どこかに出かけるときは多いけど、こういう室内の勉強会は参加が少ない」と言っている方もいましたが、確かに今後の方針を決める例会としては少ない30名ほどが集まりました。
本日の課題は「グループ活動の活性化について」です。結成から17年も経つと組織が硬直化してきたということで、どうにか活動や参加を活性化させる案はないかということで意見交換しました。いろいろな意見がありましたが、高齢化を反映してか、80対20の法則(※)がくっきりと働いているようです。20の執行部や講師予備者と80の聴衆。まあ発表者にとっては聴衆がいないと話し甲斐がないですから、何もすべての方が研究して発表する必要はないと思いますが、発表した後の爽快感や満足感はひとつのやりがいや生き甲斐となると思うのですが。
※パレートの法則といい、経済において全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという説。例として、10名の会社では上位2名で8割の売上を占める。
後半は前石川県立歴史博物館長の徳田氏により、「最後の藩主・前田慶寧について」というテーマでの講演でした。徳田氏も言っておられましたが、加賀前田氏の研究では、藩祖の利家から二代利長、三代利常、五代綱紀が先行しており、それ以降の藩主については一般書もないような状況であります。
最後の藩主となった慶寧が、幕末においてはっきりした態度をとらなかったことを明治政府を構成した薩摩藩や長州藩が、優柔不断と断言し、現在それが通説のようになっています。某有名知識人でもひと頃の安倍政権を加賀藩のようだ、と揶揄したくらいであり、徳田氏はそんな風潮を変えたい、慶寧は非凡な藩主であったということを生い立ちから説明されました。講演は青少年時代を話したところで時間切れとなり、残念ながら成人後の話にまで至らなかったが、徳田氏は今月末にも「前田慶寧と幕末維新」という題で書籍を発行されるそうで発売が楽しみである。
徳田氏は本日の北国新聞に載っていた、東京都板橋区の「加賀藩学講座」の講師も勤められるようだ。加賀藩下屋敷のあった板橋区では、定員40名のところに150名もの申込みがあったそうで急遽80名に増員したとのことだが、東京でもふるさと学習はさかんなようである。私も最後の藩主、前田慶寧については引続き勉強していきたい。
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金沢城 河北門見学常設ステージ
秋晴れとなった本日の昼、用事の前に金沢城に寄りました。土曜日は発掘作業も休みなのでビニールシートがかかっているのは仕方がないとして、晴天の中の金沢城を何箇所か撮影しました。
この写真は金沢城本丸南側の宮守(いもり)堀跡です。発掘調査は数年前に終わり、現在は埋め戻されています。数年後にはここが再び掘り起こされ、右側の土居が数メートル盛り上げられて復元されます。手前に少し見える石垣も数メートル積み増しされるので見ごたえあるものになるでしょう。楽しみです。
金沢城河北門の復元現場ではすでに常設ステージが設置されていましたが、今日は入れませんでした。1メートルほど高くなるだけのようなので、どのくらい眺めが変わるのでしょうか?来週土曜日には起工式があるようですが、夕方からすでに天候が崩れているので中止になるかもしれません。
平成19年度史跡指定答申
文化審議会は16日、新たな史跡指定を渡海文部科学相に答申した。文部科学相は近く答申通り指定などを行う。
今年度史跡指定される城跡は以下の二つ。
・若桜鬼ヶ城跡(鳥取県若桜町)
・佐敷城跡(熊本県芦北町)
関連する史跡は一つ。
・彦根藩主井伊家墓所(滋賀県彦根市、滋賀県東近江市、東京都世田谷区)
(北国新聞2007年11月17日付記事)
日本100名城もう登城したの?
日本城郭協会から会報が届きました。話題はもちろん6月に始まった日本100名城スタンプラリーですが、すでに一番乗りされた方がいるようです。
100名城すべて 4名
北陸東海16城 1家族
中国四国22城 1名
すでに5ヶ月程経過しているとはいえ相当の早さですね。スタンプ押下強行軍でしょうか。私の予想では10カ月ほどかかると思っていたんですが、世の中には時間と財力がともにある方がいるようです。それにしてもうらやましいですね。
金沢城 河北門石垣は戸室石で
金沢城三御門の一つである河北門の復元整備では、城内側の「二の門」の石垣を、すべて戸室石で築くことを「金沢城河北門等の復元整備専門委員会」で了承した。
河北門は今月24日に起工式を行い、2010年3月の完成を目指す。今月から復元過程を見学できる常設ステージを取り付け、全体が素屋根で覆われる来年7月以降は素屋根内部に別のステージを設ける。石垣工事や左官工事などの節目ごとに、専門家や職人が説明する工事見学会を10回程度開く。
石垣工事は来年7月までに終え、同11月ごろには上棟式を予定している。門に使用する木材は、6割を県産の能登ヒバや杉とする。(北国新聞2007年11月15日付記事)
金沢城 鯉喉櫓台石垣5メートル積み復元
金沢城公園の宮守(いもり)堀の水堀化に向け、石川県は14日に県庁で開いた「金沢城河北門等の復元整備専門委員会」で、段階整備案を明らかにした。現在の地表から約3メートル掘り下げて、兼六園側の鯉喉櫓(りこうやぐら)台から中央消防署広坂出張所跡地付近までの延長約230メートルに、水面幅15.4メートルの水堀を整備する。現在は地表から高さ1メートル程度のみが突き出ている鯉喉櫓台の石垣も、藩政期の絵図に基づいて約5メートル積み増し、本来の高さまで復元する。(北国新聞2007年11月15日付記事)
金沢城 1日だけのブルーライトアップ
世界糖尿病デーのイベント(主催:石川県・石川県医師会)で、14日に1日限定で金沢城石川門がブルーにライトアップされました。青色は糖尿病のシンボルカラーだそうです。
夕方6時30分に点灯式が行われ、石川門の櫓がブルーに輝きました。石川門全体がブルーになるのかと思っていましたが、百間堀石垣下からの1つのみブルーに変更されたようです。
今日は幸い天候にも恵まれましたが、点灯式の時間にはテレビ局や新聞社の記者がいるだけで、一般の方は他にほとんどいませんでした。夜景撮影にはいつも失敗していましたので、今回は準備万端三脚を持ち込んで撮影してきました。ブレてないですね、唯一のチャンス良かったです。
青色の光は寒々しいかと予想していましたが、意外にきれいですね。これを機会に特定日にいろいろな色でライトアップしてもらえませんでしょうか?
金沢城・兼六園研究会 キゴ山石切り場を歩く
今日は金沢城・兼六園研究会のお城サークルときくざくら学習会合同のキゴ山にある石切り場を歩く会です。40名ほどの参加で、案内役は金沢城調査研究所の冨田氏です。冨田氏は石垣担当なので、これまでも何度か城内の案内を聞いたことがあります。
舗装された道路からけもの道に入ってすぐに、切り出した石を集めておいたところが現れます。石には石割の際についた「矢穴」や石切集団のしるしである「刻印」が見て取れます。それにしても地表に出た部分は苔生して風情があります。一部石には最近割られた跡があるものもあり、心許ない輩がいて残念です。
さらに山頂に向かうと、数分で地表にくぼみがある場所に巨石がいくつも残る場所に出ました。人の身長よりも大きな石や、割られて加工途中で放置された石(対で残るものもあり)もあり、ここでもやはり矢穴や刻印を見て取れます。
この場所は、冨田氏も絶賛する趣のある場所で、放置され苔生した石の配置が庭にも見えないこともありません。あえて現状維持で発掘調査もされなかった場所らしいので、今後史跡整備されるようなことがあればまず一般公開されるべき場所であろう、とのことでした。確かにすばらしい場所です。
今日は曇っていましたが、週間予報でも雨になっていた天候がもって良かったです。非常な急斜面であったため、雨が降っていたり、雨が降って地面が濡れていたなら、到底登ることができなかったでしょう。
金沢城発掘調査の現在(いま)
本日も金沢市に用事があり、少し早めに出かけて金沢城にやってきました。昨日来た時に気になる場所があったのですが、昼時で作業の方も昼休みだったようです。
現在の河北門現場は発掘調査の最中です。土台の石が以前よりもはっきりと表れていました。
気になる場所の1つは本丸北側の土塁です。シートが外された斜面には土層の違いで線が引かれていました。以前に調査された箇所とは近い(続きかも)と思うのですが、本丸の高さや範囲について明らかになることがあるでしょうか。
気になる場所のもう1つは鉄門前です。以前この近くも調査されていますが、今回はさらに溝や堀跡の範囲を特定する目的で進められているようです。
2箇所の現場は調査が終了すれば現地説明会があるでしょうか。楽しみですね。
金沢城周辺は整備の最中
今日は兼六園も金沢城も観光客でいっぱいでした。本日までは金沢城の石川門櫓と三十間長屋の内部を無料公開していました。
北陸新幹線の金沢延伸に向けて金沢城とその周辺では復元・整備の真最中です。
石川門の太鼓塀は、石川門の北面に足場が組まれていました。
河北門の復元現場は休日中はほとんど防水シートを被っていましたが、被っていない一部には土台の石組列が見えていました。
本丸南側の宮守堀(いもりぼり)の南面に位置する広坂消防署は建物はすべて撤去されていました。宮守堀の復元も本格的に始まるでしょうか。
元石川県庁の北面の建物取り壊しは終了し、南面だけですっきりした感じです。城周辺がどんどん変わっていきますね。